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2007年1月 7日 (日)

文書のかたち、「ふだ」とは? その4

お神楽などでも、お馴染みの「さやけ おけ」のウタは、

ヲシテ文献に、その源流を溯ることができます。

Photo_235

この文章のうちの、ピンク色にしましたところは、

「みち すけ の うた」と、言われていたのでした。

すなわち、

広範に流布されていたであろう、ことが想像されるところです。

後々(のちのち)には、漢字文献にも記載が残されるほど。

それは、

「文書」として、一般の人々にまでも浸透していった、

と、

そのように考えるべきかと思います。

この個所は、残念にも『古事記』にも、『日本書紀』にも記載が洩れたところでした。 よくある事でもありますが。

でも、

『古語拾遺(こご  しゅうい)』という、斎部広成(いんべ ひろなり)さんが祖先からの古伝を記したフミには、

ちゃんと、しかるべくの記載がなされていたのでした。

『古語拾遺』は、西暦の807年に成立した事が解かっております。

         ・

不思議なことです。

那智の大滝で有名な、那智大社のお祭りも、このウタが千年以上も使用され続けてきた事実もあります。

でも、

正確さを期するとすれば、

ヲシテ文献に根拠を据え直す必要がある…、 と、

つまり、

伝承があっても、文献に漢字文献にその事の記載があると、

仔細は引っ張られてしまうのですね。 残念なことに。

でも、その、基となる伝承の伝わりが無くては、

つまり、「たね」が無くては、尾ひれの伝承も残らないのですよね。

         ・

なにはともあれ、

この、「みち すけ の うた」は、何らかの「文書」にしたためられていた、

と、考えて良さそうな文章です。

何人もの歌い手・舞い手・楽奏の人たち、この合体によりまして、

所謂、交響楽のような演奏が実現するわけですから、

歌詞、そして楽譜に相当する何らかの「文書」の存在があったのではなかろうか?

この、事例においては、根拠とすべき文面・文章を見出すことは困難ですが、

大きく、ヲシテ文献の全体を通しての世界観からしますと、

ここにも、何らかの実在した「文書」の存在の香りがすると、

このようにも、わたくしには、思えるのです。

        ・

このように、大切な個所も

『古事記』にも、『日本書紀』にも、本当に記載が一切されていないのですね。

悲しいと言いますか、呆れ返ると言いますか、そのような事情です。

これが、真実の状況なのです。

二千年来に近い、誤謬なのですよね。 大きな、間違いなのですよね。

目を、ぱっちりと、して、見てくださいまし、

と、

大きな声で叫びたくなります。

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