「加上(かじょう)」の考え方の事
わたくしたちの‘縄文日本’の文明は、成立時代が古く、
そして高度なものでした。
縄文時代前期には大要の完成が見られ、
縄文時代末期から弥生時代にかけて、
さらに深化の度合いを高めた事が理解されます。
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さて、その外の、世界各地を見渡してみますと、
BC500年ごろに、釈迦が仏教を始めます。
仏教の進展の歴史を調べますと、面白いことが解かります。
日本には29代の欽明天皇の御世の時(AD510~570)に、
仏教が伝わったとされています。
この頃には、すでに、大乗仏教にと進展していたのでした。
小乗仏教と、大乗仏教とは、その趣が大きく異なります。
このあたりの、仏教の進展の歴史を究明して、
あるひとつの原理を見出したのが、富永仲基(1715~1746)でした。
あるひとつの原理と言いますのが、「加上(かじょう)」の考え方です。
と、考えますのも、そもそも、釈迦の死後何百年も経ってから、
大乗仏教が成立してくるのです。
日本に到来した仏教・仏典は多くの歴史的な「加上(かじょう)」が
様々に包含されている。と、このように分析しますと、すんなりと解かる。
このように、富永仲基は発明したのでした。
さらに、文明比較において富永仲基の慧眼は炸裂します。
<『出定後語(しゅつじょう こうご)』
(隆文館・昭和57年、元版は延享2年版・国立国会図書館の所蔵刊本)>
竺人つまりインド人は、「幻」に傾く。
今、現在にも数学の能力の突出性はつとに知られています。
漢人つまり中国人(Chinese)は「文」に傾く。
現在もそうです、決め事・形式に偏重する傾向があります。
東人つまり日本人は、「絞」に傾く。
日本人は、「じゃあ、どうすればうまく行くか?」実質・将来を重んじる傾向があります。
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文明比較の論も極めて参考になるのですが、これは、さておき、
「加上(かじょう)」 の考え方、
これが、 ‘縄文日本’の文明の発展進化の歴史考究に つきまして、
大きなツールになるのです。
仏説の、その多くの蓄積は、これも膨大なものです。
たとえば『大日本仏教全書』は、古書店でたしか260万円の販価が付いていました。それら、仏教哲学の深遠なまでヘの進展を分析考慮するのには、「加上(かじょう)」の考え方が有ってこそとっても有利になり得ます。
このことは、引きまして、‘縄文日本’のこの高度な文明の歴史的な発展の状況を、解明する為にも、欠かすことの出来ない考え方であるのです。
シナ仏典の程にはうず高くは積み上げられていない、ヲシテ文献ですが、成立時代がさらに遡及すること何千年にもわたる古さがあります。その内包する先行文献の「海」は時間軸も大きく拡がっており、内容の特定作業にも困難さがあります。
このことは、さらに複雑な様相を秘めている事でもあります。このため、「加上(かじょう)」の考え方の必要性は、さらに高いと申せますのではないかと思います。
『出定後語』の流布本には、岩波書店,日本思想体系,第43巻があります。
解説本としては、隆文館『出定後語』を、お勧めします。
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コメント
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お聞きしたいですが、「インド人は、「幻」に傾く。」についてもう少し説明していただけませんか?インド人はどうして「幻」に傾くんですか?
教えてください。
お願いいたします。
投稿: マセオ | 2008年2月21日 (木) 00時57分
富永仲基のこと、
近世において際立った人だと思います。
彼の、どのようにして、この結論を表明するに至ったのか?
ここは、一口の解説は、困難すぎて私には無理です。説論に至るには、そこに至ったプロセスがあるわけです。
そこをすっ飛ばしての、ことを、
どう説明できるか? 私には、無理です。
ひとつ、彼の残した書物、『出定後語』を読んでもらうことが必要でしょう。
ヲシテ文献でもそうですが、
矢張り、原書に当たらなくては、
どうしようもありません。
投稿: いけだ | 2008年2月21日 (木) 05時27分