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2007年1月31日 (水)

「古史古伝」の言葉には、ご注意!

「古史古伝」と言う言葉を、さも、当然に使っていたら、

眉につばを付けて下さい。

それらはすべて、「偽書」ですから。

       ・

ヲシテ文献だけが、真書としての根拠を提示できます。

また、実際に、出版物として、

真書としての根拠を公開しています。

こちらを、ご覧下さい。

それらの、区別の方法は、こちらに詳しく記しました。

「日本ヲシテ研究所」にても、真偽の区別のガイドラインを提示しております。

こちらを参考になさってください。

        ・

怪しげなもの、それが、「古史古伝」と呼ばれるもの。「偽書」の集団です。

本当に困ったものです。

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本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で!

 

難解語‘しむ’のこと

漢字以前の、ヲシテ時代の言葉には、

多くの難解語があります。

現代人に、どう言ったら誤謬を少なく理解してもらえるか?

いつも、冷や汗たらたらです。

       ・

そのうちでも、最右翼に属するのが‘しむ’の言葉です。

松本善之助先生は「行動為原体」と、表現なさいました。

これも、難解であると思います。

さらに、年月を重ねて熟考を、頭の悪いながらにも続けておりましたら、

さらに、この言葉の背後には、深い‘やまと ことば’の哲学の存在があることに、

思いが至ってきました。

「しむ」「しゐ」と、ひとの生成にまつわる根本からの関連が「しむ」の古語に強く作用していると…、 さて、そうなりますと、「血脈」の当て漢字も適切でない、と。

大海原のような、それが‘やまと ことば’なのでしょうか?

高度であると思います。

漢字以前の、この高度な文明の世界に引き戻す為には、

即物的な言語には、決別の覚悟が必要なのかもしれません。

漢字は、即物的なのですね。また、呪術的でもあるのですね。

どうにも、違う世界だと思います。

縄文哲学のヲシテ時代は、もっと、明解なのですね。 明るいのですね。 世界が。

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2007年1月30日 (火)

‘いちゐ’の枝

奈良に巡拝する時には、

篠畑神社(ささはた)にも、参拝するようにしています。

Photo_270

『定本ホツマツタヱ』をみると、解かりやすいですね。

例のごとく、最下段の『古事記』は全文カットです。

中段の『日本書紀』はダイジェスト漢訳です。

「ささはた みや」ここは、

初代の、‘みつえしろ’(後の斎王)のトヨスキひめさんの、

ご在住のところであったわけです。

また、すぐ近くには、山部赤人のお墓もあります。

「たごのうらゆ」の「ゆ」の言葉の使い方は、古く、ヲシテ時代を髣髴とさせてくれます。

Photo_266

             <篠畑神社の‘いちゐ’の葉>

篠畑神社(ささはた)には、‘いちゐ’の樹を何本も植えて下さっています。

とっても良い匂いです。

花粉症になったときには、‘いちゐ’の葉の匂いが直してくれそうです。

それでなのでしょうか?

‘さく(笏)’には、‘いちゐ’の樹がベストなのです。

Photo_268 

また、中でも、飛騨の位山の‘いちゐ’こそが、珍重されていました。

Photo_269

なぜ、飛騨の位山なのか?

疑問の、不思議のところです。

       ・

今日は、全く別の個所での、

長年の疑問点について、苦しみながらにも、ひとつの試案が湧き出たので、

満足しています。

       ・

真名さんの新記事です。内容も優れているのですが、文章もとっても読みやすくなったと思います。

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2007年1月29日 (月)

ヲシテ文献の、原文に実際に当たることの重要性

真名さんも、既に、最先端に達しました。

ヲシテ文献の、その、深い真実の究明の、

現在の、進行形の、その最先端です。

この記事を、読めば、その事が解かります。

       ・

30年やっていても、40年やっていてもダメな人は、山のように沢山います。

結局のところは、

ヲシテ文献の、原文にじかにどれほど真剣に当たるかどうかなのです。

特殊ヲシテ文字の、判別認識が出来るかどうか?

ここが、ひとつの大きな岐路ですね。

       ・

最低は、漢字仮名混じり文で、早知りしたいと言う、ちょこまズレ。

    -漢字以前の時代であることが、解からない、最低-

         このような人は、すぐ判別できます。

最も困るのが、

解かりそうなので、気を揉ませて、

やっぱり、解からなくて右往左往させられる人。

中途半端は困りモノです。

       ・

本当に、ヲシテ文献の価値の、ハラの底から、お解かりになられる人が、

出現しつつあります。

そこでなのです、

ずーっと、

諦めていましたが、

ひょっとすると、わたくしの、生きているうちに、少しは‘おおやけ(ヲヲヤケ)’のレベルに認知が進むかもしれません。

さてそうしますと、大変です。こちら側の、準備がまだまだ不充実なのですね。

もっと、多くの人数のしっかりした核となれる人物が、

本当のところ必要なのです。

ここが、揃わないと、

後世に恥じない進め方は難しいでしょうね。

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2007年1月27日 (土)

‘あめ’の言葉の、語感の広がり

真名さんの新記事は、とっても良いものです。

こちらです。

先日、とは申しましても、去年の事になりますが、

久米さんの神社に詣でました時、

ここまでは、

解かっていなかったと、自戒いたします。

色々な、英知が集まり、当時の高度な社会・時代性が明らかになってゆきます。

とっても楽しみです。

何しろ、何十年と、不覚の七転八倒、この苦しみの輪が解けるのです。

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            ・

さらに、さらに、 解明・究明が、進み行くことを!

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2007年1月26日 (金)

護りなん…、 ウタの事

冷泉家の、おウタ(和歌)の歌集が届きました。

この数年来、冷泉家に、

おウタの、寄せられる数にも、少しずつ漸増の雰囲気が感じられます。

やまとことば、での、ウタこそが本物であることが、この理解が深まってきているのでしょうか。 とっても良いことであります。  本当に良き事です。

Photo_262

「短歌(たんか)」という、このちょっと低い表現には、漢字から来た言葉が、濃厚にかぶさって来ているのですので、困りものです。 漢字から由来した言葉では、尊く・高度なる‘やまと ことば’の真髄に、そもそものところ達し行ける訳もありません。

しかし、「おウタ」とか、「やまと うた」、あるいは、「和歌」とか、

このような表現においてこそ、麗しい‘縄文日本’の雰囲気に近くなり得るわけです。

        ・

さて、拙歌のこと、

ひとつは、自分ながらも、もっと人様に見ていただきたいと思うウタ。

またひとつは、後のため、

誤植などあるので、訂正後のモノを、提示させてもらいたいと思いました。

上のひとつめは、お題が「たちはな(橘)」です。

ふたつめは、お題が「にわ の きく(庭菊)」です。

上は、春の定家卿を偲ぶ会の、「小倉山会(定家卿忌)」

次は、

秋の、俊成卿を偲ぶ会の、「秋山会(俊成卿忌)」です。

Photo_263

ヲシテ文献の、素養が無いと、

なんの事を言っているのか、意味の不明、と言う謗りを受けるウタであるのでしょうね。 いつもながらの、ことです。

根底を据える、

定基・定礎、ですね、

砂上の楼閣からの脱却の、

その、一歩です。

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2007年1月25日 (木)

高度な縄文哲学の、難解さが… 。ヲシテ文献の忘却の主たる要因。

ヲシテ時代に、制度としての学校が出来ていれば、

随分と違ったことでしょうね。

Photo_258

    <仲哀天皇のご陵墓・藤井寺市(大阪府)>

   -仲哀天皇は、漢字国字化時代に差し掛かる動乱期のお方、

       その、お大変さを偲んでお参りをしてましりました-

       ・

高度な‘縄文哲学’は、

ミカサ やま、の麓で(現在の,奈良市・春日大社)、アマノコヤネさんが、

講義をなされていた事はあったのですが(『ミカサ フミ』参照)、

その高度さのゆえに、

継承も、次第に困難になって行き、

更なる発展に、及んでは、まったくのところ望むべきもない状況でした。

       ・

何事も、発展への、トライがなくては、

伝承にもかげりが見えてくると思うのですが、

如何(いかが)

読者の皆様には、お思いの事でしょうか?

ヲシテ文献の、その、‘縄文哲学’の秀でて、今後将来の世界にとりまして、

有用なる事、

この事を、わたくしは思うのです。

基礎を、‘縄文日本’の‘縄文哲学’に置き、

更なる、今後将来に向けての、継承発展を期するべきだと考えます。

2007年1月24日 (水)

天地(あめつち)に…、 一体となること。 縄文哲学

‘縄文日本’の時代まで溯りますと、

哲学としての、自然理解の高度さに辿り着きます。

つまり、‘ひと’は、

‘タマ’・‘シヰ’・‘タマノヲ’の三つからなる見えないものを主体として、

物質が集合されて、これで初めて人体の形になる。

この、

‘縄文哲学’の存在は、大きなことであります。

Photo_257

          <ムメ(うめの花)が一花(ひとはな)こぼれました>

この認識の、

確実な定着を縄文時代・弥生時代にかけて、

まつりごとを行う政治家は、心を砕いてきていたことが、

ヲシテ文献に出る、種々の記述から伺い知る事ができます。

オカルトとの戦いは、

既に縄文時代からの大きなテーマであったと言うべきでしょう。

           ・  

理性的に物事を理解することの出来る人は、今の現代にもそんなに多く存在するわけでもありません。

縄文時代でも、おおよそは、大差が無いことでしょうね。

とかく、必要以上に恐れるのです。 理性的に判断できない、となると…。

それを、その誤解を解き、間違わないように指導するのが、大切な仕事であったことが、推測できます。

そこで、

客観的に、定量的に量るなどの作業を経て、

共通の認識に立った、冷静な、適切な、判断を、どんな人とも合意として、共有を可能にしてゆく方法です。

この手法は、

既に、‘こよみ(暦)’の進展・発展にも見られる事柄でもあります。

太陽の巡りに基づいた‘こよみ’。

それと

月の巡りに基づいた‘こよみ’。

ふたつの、まったく周期が異なる、‘こよみ(暦)’が自然には存在するのです。この二つの周期の自然変化を、人々が用いやすいようにと、

工夫を凝らした、‘こよみ(暦)’の製作には、高度な意味合いが込められていたと、考えられます。

8代アマカミとしての、アマテルカミの尊きおこころです。

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2007年1月21日 (日)

Wikipediaは、参考にしないで下さい

ヲシテ文献は、

その理解の困難さは、尋常の範疇ではありえません。

2000年を超える「国史」の再構築ですからね。

過去、

幾多の、とっても多くの人が、「秀真伝」族に、陥落してしまった歴史があります。

陥落陥穽「秀真伝」族で、

本を出したような人が、両手の指だけで間に合うでしょうか?

Wikipediaでも同様です。

       ・

それが、

案外の事で、

変に学歴があるとか、自負心が変に強いとかの人が、

「秀真伝」族に陥る傾向が多くありました。これは、特徴ですね。

それらの人たちは、

漢字への崇拝心が、強すぎるからなのかも知れません。

  それで、純粋の‘日本回帰’には達し難(がた)いのでしょうね。

それらの人たちは、これからも、長い長い年月、

   ‘やまと ことば’という、高度の自国文明には、気付か無いのですね。

そんな事からでしょうね。

誰でも書けるウィッキペディア(Wikipedia)は、結局、どうしようもない「秀真伝」族に、

占領されてしまうのです。主体が特定できないので、ちゃんとした説明も困難なのですね。

          ・

殊に、

ヲシテ文献のように、

時代の最先端を、突っ走っているものについては、

Wikipediaは、ダメです。無理です。

ウィッキペディアの、そもそもの構想は、とっても素晴らしいものなのですが…。

ヲシテ文献は、

余りにも、先先の事ごとの、最先端に過ぎますものね。

          ・

みなさま、信用の置ける人の、文章だけをご覧下さいませ。

「日本ヲシテ研究所」では、

推奨できるものを、認定しております。

「日本ヲシテ研究所、推奨のWebサイト」

上記のところに認定されていないWebサイトは、

ご覧にならないように、なさって下さい!

事情の詳細はこちらに記しております。

         ・

怪しげな書籍もいっぱい出回ってしまっております。

「日本ヲシテ研究所」では、

推奨できるものを、認定しております。

下記のアドレスにて。

「日本ヲシテ研究所、推奨の書籍」

        ・

あんまり関係の無いことですが、

本日は、わたくしの誕生日でもありましたが、

「誤訳」に対する警報を何日にもわたって、今日まで書き続けなくてはならない、

この悲しみに、どうぞ、ご理解の程をお願い申し上げます。

一日も早く、このような事態からの脱却を、

願いつつ…。

本来のわたくしの仕事である、

ヲシテ時代の古語の更なる究明に、もっと、力を傾けたいのです。

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2007年1月20日 (土)

広めようとするのには、‘一息’置いてからでも…

今、現在の世間的な評価の事などは、あんまり考えないようにしています。

なにしろ、2000余年ぶりにも、なるような、その様な天地驚愕の出現が、

ヲシテ文献であるのですから…。

そんなに簡単に、解かるはずが無いのです。 普通の人々には…。

これは、当然のことであるのです。

これを、焦って、

無理に、性急に、解かってもらおうとすると、間違ってかえって無理を生じてしまいます。

この路線が「秀真伝」の事々です。  つまり、誤訳です。

焦りの誤訳によって、壮大な‘縄文日本’の高貴な文明を、誤ってしまう のです。 これは、余りにも、悲しいことではありませんか!

知ってか知らずか、「貶(おとし)め」に向けて背中を押してしまっているのです 、ね。

これこそが、酷(ひど)いことなのです、   つまり‘名折れ’です。

折れちゃったのですね。  バカみたい。

この貶(おとし)めの路線だけは、どうしても、回避せねばなりません。

         ・

大間違いであった、この「秀真伝」の路線のことは、既にこの30年来の研究史にみてもらえますと、

明らかなように、ご理解戴けますことでしょう。

大間違いであった「秀真伝」の路線の特徴は、

  可笑しげな物が、へんてこりんに、くっ付けられたりします。

これで、すぐさま判別が付きます。

つまり、

次のようなものが、くっ付けられていたら、

それは、オカルト紛(まが)いにしようとする、「貶(おとし)め」連中です。大間違いであった「秀真伝」の連中の仕業です。

  х  ペトログリフ

  х  神代文字 ・ 古史古伝 

  х  言霊(ことだま)」・「秀真伝(漢字仮名混じり直訳)」

      ― ヲシテ文献には、“言霊(ことだま)”なんて用例は、

                  一例も無いのです!  ―

  х  カタカナ書きの「ホツマ」なんてものは、眉唾です!

      ― ヲシテ文献の生命線である‘特殊ヲシテ文字’が、

            抹消されてしまうではありませんか!―

30年来の、悲しい物語です。

ああ、 なんて悲しいことでしょう。  これらの人々は、どうにも救いがたき事々です。

それらが、さらなる、 それら、

さらなるの、  嫌になるほど、

亜流が“貶(おとし)め”で騒ぐのです。 悲しいことです。 哀れなる事です。

ヲシテ文字の文字形でも解かります。

       

このような、トンマな事は、本当に困りものです。

    ~   ~   ~

さてさて、

真剣に、 考えてゆきましょう。

真面目さが、何よりも、大切なことだと思うのです。  

そうしますると、

何と、明るい未来が開けてゆくのですね。

真摯(しんし)に日本の「国史」の再構築を考えてゆこうとする、

良い方向の、

適切な、Webサイトを、「日本ヲシテ研究所」では推奨しています。

「日本ヲシテ研究所、推奨のWebサイト」

こちらに、推薦されているのが、推奨サイトです。

ここに掲載されていない様なものは、一切お勧め出来ません。

       ~   ~   ~

焦らず、早まらず、

ここは、

じっくりと、構えましょう。

1、ヲシテ文献が、「真書」であるかどうか? この確認作業が、取っ掛かりの前提の条件です。

2、「真書」であると、自らの判断でしっかりと出来るようになったら、

次の段階に進んでください。

3、ヲシテ文献の、内容についてじっくりと、究明を進める。

4、‘縄文日本’の文明の特質について、究明を進める。これは、漢字国字化時代以前の‘日本’の真実の姿についての解明を進めてゆくことです。

5、‘縄文日本’の文明と、諸外国との比較を進める。

6、‘縄文日本’の文明の、その特質について、この把握に基づき、

今後の将来に寄与を出来得る線を考えてゆく。

7、この後の事でよいのでは、と思います。広く世間に真実を勧めようとするのは。

           ・

自分自身の判断として、ヲシテ文献は「真書」である。 このように考える。

このことが、

本当の根拠になります。

他人の考えがどうだとか、

世間一般の常識がどうだとか、

その様な事々は、後からゾロゾロとついて来るモノでしかありません。

物事を決めてゆく、原動力は、先見性のある各・個人個人の見極めに立った理解こそ、であること。  重要なひとつの事です。

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2007年1月19日 (金)

大笑い、ペトログリフ

なんでも、

数万年の前からあったそうだ?

       ~    ~

ペトログリフと言う、岩に刻んだ文字だそうです。

でも、

江戸時代にそんなものがあれば、誰かが、書き留めていても良さそうなものです。全国を網羅する紀行文が記されていますから!

本当に、何万年もあったのですかね?

風化もしないで?

          ・

わたくしは骨董が、昔から好きでした。

女房も、けっこう選別眼があります。

ある時、骨董屋で、良い時代の出物がありました。

書物などで、見て知っているものと、そっくりなのです。

時代も付いていて…。(茶渋が、いい具合に深く染み込んでいるのです)

でも、何だか、変なのです。全体の雰囲気が…。

それで、

女房に見てもらいましたら、

「おかしい」との、判定でした。

          ・

実際、

贋作を作ろうとする人も居るには居るのですが、

習作として、勉強のために、模作する場合も多いのです。

それを、

骨董屋が安く仕入れて、茶渋や何かで時代を付けるのですね。

一丁完成です。

          ・

茶碗のように、虫眼鏡で点検されるモノでも、

多くの人が、贋作掴みをさせられてしまいます。

まして、

雨ざらしに放置されている、天然の岩なんて、

全くのところ、やりたい放題です。

ペトログリフは、大笑いのシロモノです。

特に日本では、そうです。紀行文や、地誌などの蓄積が、うず高く山のようにあります。そこの現れないのは、どうかしているのです!

骨董品でもそうですが、

贋作掴みをなさらないよう、くれぐれも、ご注意ください。

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2007年1月18日 (木)

写本における、誤写の文字の多さ

写本においての写し間違いは、どんな文献でも付き物です。

所謂(いわゆる)誤写の文字です。

誤写の事は、長年来の、そして永遠の問題でもあるのでしょう。

この対策としまして、

近代研究の定礎として、それぞれ、漢字文献にも「校本」「定本」が作られています。

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『古事記』は、『校本古事記』として、一巻本(写真左)で、

     倉野憲司・古事記学会・続群書類従完成会(昭和40年)にて、刊行されました。 

『日本書紀』は、『定本 日本書紀』として、4巻本(写真右)で、

     国学院大学 日本文化研究所・角川書店(平成7年)、として刊行されました。

それらを見ますと、、

結構な数の写本の文字使いの違いが有るのですね。

一般の、流布本(る ふ ぼん)しか見ていなかったり、

さらに、現代文への翻訳文しか見ていなかったりしますと、

そこそこ安定した、書物であると錯覚しておられる向きも多いのかも知れません。

ところが、諸写本の、伝来の文字の違いは、思っておいでである想像以上に大きいと言えます。

              ・

たとえば、

「ト」と「ホコ」

(『ミカサフミ』76ページ、『記紀原書ヲシテ』466ページ、<11054>

『ホツマツタヱ』2アヤ19ページ、18アヤ3ページ)

の漢字訳の文字にしても、

驚きの事実がありました。

『古事記』は、「矛」としている、と、思っていますのが当然とされています。

ところが、どっこい、

実は、古い写本は「矛」に書かれていたのです。筆で書くと、良く似ているのです、「矛」と、「矛」とは。特に行書だと、酷似です。

つまり、もともとは「矛」と書かれてあり、「おさめる ほこ」と読ますべしだったのです。

それが、現在では、

矛」で、‘ほこ’が一般になってしまっている。

これは、伝承時代に起きた誤謬であるのですね。

矛」の文字を書き写す時に間違って、「矛」と書いちゃったのでした。

間違いが見つかっても、未だに直せないでいるのですね。問題です。

でも、もう『古事記』の命脈はそろそろ尽きようとしていますので、

積極的に修正に動く必要はないのかもしれません。

また、

『日本書紀』でもこの個所で、伝承時代に起きた誤謬があります。

そこは「戈」と記されていますが、

その読みについて、古い写本の主流が、「ほこ」だったのでした。

ところが、流布本は「ほこ」にしてしまっています。

酷い話です。

『古事記』の誤写に引っ張られて、面白そうな読みを、

取ってしまったのですね。「ほこ」の方が面白いですものね。

詳しくは、『ホツマツタヱを読み解く』の173ページに記しました。

         ・

このような事実に付きまして、ご理解いただけますと、、

ヲシテ文献に、殊の他に多くある写本の詳細な文字の違いについても、

それなりに、正確な理解が得られるのではないか?  と、思っております。

ヲシテ文献は、消え行く間際の、ほんの小さなともし火によって、

何とか・かんとか、ようやくにして残りえた事情もあります。

社会的に是認されている文献よりも、伝承が粗雑になってくる傾向は強く及んでくるはずです。 つまり写本の、写し間違いの発生の割合は、多くて当然と考えるべきでしょう。

そもそものところ、誤写の事は、何時の時代にもあります。

恥ずかしながら、

現代にも、誤植は少なからず発生しているのです。

と言いますのも、

何年と、使ってきていても、まだまだ、誤植の発見は、

あれ!  と、思うほどに、見つかるものです。

活字に起こしたとしても、その様なものです。

まして、写本ですと、その何倍かの発生頻度があると予想されます。

何事も、ゆめゆめ… 、

簡単にはお思い召さる事の無きように、と、存じます。

             ・

訂正シールを、

頼んだ矢先、この翌日に、

また、さらに、二つも見つかり、追加発注をしましたのが、

一昨日の事でした。

ゆめゆめ… 。

           ・

今日の「日経新聞」の文化欄に、富永仲基『楽律考』の記事が掲載されました。

富永仲基の難解な文章を、現代文に読み解いてくださった、

印藤和寛さんのこぼれ話です。

面白いです。

           ・

真名さんの、 「ミシリツヒコと名を変えて5」がUPなされています。

解かりやすく、楽しい記事になっています。

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2007年1月17日 (水)

「加上(かじょう)」の考え方の事

わたくしたちの‘縄文日本’の文明は、成立時代が古く、

そして高度なものでした。

縄文時代前期には大要の完成が見られ、

縄文時代末期から弥生時代にかけて、

さらに深化の度合いを高めた事が理解されます。

          ・

さて、その外の、世界各地を見渡してみますと、

BC500年ごろに、釈迦が仏教を始めます。

仏教の進展の歴史を調べますと、面白いことが解かります。

日本には29代の欽明天皇の御世の時(AD510~570)に、

仏教が伝わったとされています。

この頃には、すでに、大乗仏教にと進展していたのでした。

小乗仏教と、大乗仏教とは、その趣が大きく異なります。

このあたりの、仏教の進展の歴史を究明して、

あるひとつの原理を見出したのが、富永仲基(1715~1746)でした。

あるひとつの原理と言いますのが、「加上(かじょう)」の考え方です。

と、考えますのも、そもそも、釈迦の死後何百年も経ってから、

大乗仏教が成立してくるのです。

日本に到来した仏教・仏典は多くの歴史的な「加上(かじょう)」が

様々に包含されている。と、このように分析しますと、すんなりと解かる。

 このように、富永仲基は発明したのでした。

さらに、文明比較において富永仲基の慧眼は炸裂します。

Photo_255

     <『出定後語(しゅつじょう こうご)』

       (隆文館・昭和57年、元版は延享2年版・国立国会図書館の所蔵刊本)>

竺人つまりインド人は、「幻」に傾く。

今、現在にも数学の能力の突出性はつとに知られています。

漢人つまり中国人(Chinese)は「文」に傾く。

現在もそうです、決め事・形式に偏重する傾向があります。

東人つまり日本人は、「絞」に傾く。

日本人は、「じゃあ、どうすればうまく行くか?」実質・将来を重んじる傾向があります。

           ・

文明比較の論も極めて参考になるのですが、これは、さておき、

「加上(かじょう)」 の考え方、

これが、 ‘縄文日本’の文明の発展進化の歴史考究に つきまして、

大きなツールになるのです。

仏説の、その多くの蓄積は、これも膨大なものです。

たとえば『大日本仏教全書』は、古書店でたしか260万円の販価が付いていました。それら、仏教哲学の深遠なまでヘの進展を分析考慮するのには、「加上(かじょう)」の考え方が有ってこそとっても有利になり得ます。

このことは、引きまして、‘縄文日本’のこの高度な文明の歴史的な発展の状況を、解明する為にも、欠かすことの出来ない考え方であるのです。

シナ仏典の程にはうず高くは積み上げられていない、ヲシテ文献ですが、成立時代がさらに遡及すること何千年にもわたる古さがあります。その内包する先行文献の「海」は時間軸も大きく拡がっており、内容の特定作業にも困難さがあります。

このことは、さらに複雑な様相を秘めている事でもあります。このため、「加上(かじょう)」の考え方の必要性は、さらに高いと申せますのではないかと思います。

『出定後語』の流布本には、岩波書店,日本思想体系,第43巻があります。

解説本としては、隆文館『出定後語』を、お勧めします。

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2007年1月15日 (月)

‘かみ’の言葉。 『ヲシテ時代編、時代別国語辞典』

国語辞典では、『大言海』をお勧めしています。

古語辞典も含めて考えても、やはり、『大言海』が宜しいでしょう。

Photo_254

                <つばき(ヤブツバキ)

でも、

それでも、どうしても限界があります。

と言いますのも、

『大言海』といえども、漢字文献を土台にした辞典であることを、

避けることができないからです。

       ~   ~

たとえば、「かみ」の言葉を例にとって見ましょう。

   「かみ」の“やまとことば”として、『大言海』では、

       ‘神’ ‘上’ ‘長官’ ‘頭’ ‘髪’ ‘紙’ 

の6項目を、立てて説明しています。

でも、

ヲシテ文献に視る、「かみ」の言葉の説明としては、

この6項目の分類では、適切ではなさそうなのです。

最も大きな差異は、‘神’の項目について見られます。

              ・

立脚点の根底の文献に変更がなされるときには、

辞書についても、作り変えなくてはならないのですね。

『ホツマ辞典』を、さらに詳しく、拡充してゆきまして、

『時代別、国語辞典、ヲシテ時代編』と銘を打つような書籍にすることも、ひとつの仕事です。

それには、まだまだ、気の遠くなるような作業が必要です。

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2007年1月14日 (日)

「やまとことば」の‘かみ’、しかし、中文(China語)との大きな違い

今日は、近くの神社に行って来ました。

古いお札(ふだ)を焼く‘とんど’に、もう何年来の溜めてしまったお札を土に返すためでした。

「この神社の、ご祭神は… 。    …   」

宮総代のお役の人が火の番をしながら、説明をして下さりました。

「はー、そうですか」

あり難く、拝聴しておりましたわたくしです。

        ・

宮総代の人に、教えてあげようか、とも思いましたが、

やっぱり、やめときました。  一般の人たちには、

あと30年ぐらいの年数が経たないと、 これは、このヲシテの真実は、ほんの少しの理解でさえも無理なことと言うものです。 簡単そうで、やっぱり難しいのですね。   無理難題を強く要求するのは、これは「はたれ」ですもの、ね。    無理は、いけません。

それほど、 ヲシテ文献の発見と究明は、革新的な出来事であると云うことなのです。

        ・

根本のところから、緻密に考えますと、

大きな、ステージの違いの事で、理解しやすいような事を言いますれば、‘かみ’と‘神’との言葉の包含する意味合いの違いで説明いたしますと、宜しいでしょうか。

        ・

端的に、解かりやすいこと、それは、

「やまとことば」の‘かみ’と、  「漢字」の‘神’の違いについてであると思うのです。

これを、例にとって説明しておきましょう。

漢字の「神」の文字に当てて問題のなさそうな言葉は、ほんの少しに限られます。 「やまとことば」の‘かみ’のうちでは、のことです。  そうですね、10分の1にも満たないのではないか?

そんな感じです。

  ~

国語辞典を、ちょっとも視てもいないような人たちには、この、詳しい語彙の違いについて、理解はできないのでしょうが、それは小学生程度の以下のレベルとして、除外してくださいませ。(直訳・誤訳族の、「秀真伝」のもろもろです)

  ~

さて、

そこで、外国語である、漢字の「神」、この言葉の意味を見て見ましょう。

日本では、国語辞典は、定評のあるところも色々ありますが、

わたくしは、『大言海』を高く評価しております。

     「かみ」の“やまとことば”として、『大言海』では、

       ‘神’ ‘上’ ‘長官’ ‘頭’ ‘髪’ ‘紙’ 

   の、6項目が立てられてあります。

英語では、『オックスフォード』が、定評のあるところです。

漢字では、『康煕字典』が、最もスタンダードといえるでしょう。

Photo_253

これが、『康煕字典』の「神」の項目です。

この記事の、大要は、「目に見えないもの、大きな宇宙的な働き、鬼や魂のこと」

と言ったようなところと、理解してよいでしょうか?

        ・

でも、

でもですよ、

ヲシテ文献に見る、「かみ」の言葉は、

この、『康煕字典』に出る言葉の概念とは大きく違う!

このことは、

ヲシテ文献の原文に、素直にぶつかってみた人には、

共通の認識ではなかろうか?   と、思うのです。

みなさま、よくよく、

この事実に付きまして詳しくごろうじになって下さりませ。

結局のところ、

中文(China語)と、漢字国字化以前の‘やまとことば’とは、

全くの根底からの成り立ちを異にする異国語であった。

この、結論に達っしてのこと、この事であります訳でございます。

           ・

これからの事です、

中文(China語)と、古い時代・漢字国字化時代以前の‘やまとことば’との、

詳細な比較検討の、仕事が待たれてもいます。

ヲシテ時代の‘日本語’と、漢字国字化時代以降の‘日本語’とは、

こんな違いがあります。  その、変化の変遷について…。  など、これを極めてゆき、調査してゆくことは沢山あります。

        ・

さて、それはそれとしまして、

一般の人々には、

「神様」としての、認識は未来においても必要なのかな。

と、思ったりもしておりました。この事は、アマテルかみも、矢張りお悩みであられた事でもあったことが、推察せられるからです。

‘縄文哲学’での明解な解析によりまして、オカルトはその影を収めさせることができたのですが、そこは、人の世の中です。不安もあるわけですね。

 アマテルカミが、お悩みであらせられたことの、その事情がわたくしにも、

目の前に浮かんでくるようになりました。

何か良い解決方法を、模索してゆきたいと思っております。

デキのあんまり良くもない、わたくしなりにの事ですが…。

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2007年1月13日 (土)

何故、そう謂(い)えるか・根拠のこと

根拠」のこと。

これが、最も大切なのですね。

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                <ロウバイの花>

なぜ、その様に謂(い)えるのか。

それには、「根拠」があって、初めて話が成り立ちます。

相互理解の根底が、「根拠」によって成り立つからですね。

          ・

たとえば、

ヲシテ文献が、記紀(『古事記』『日本書紀』)の原書である。

と、わたくしが謂います。

それは、

厳密に文献比較をした、「根拠」があるから、謂えるのです。

これは、『定本ホツマツタヱ』として公開しています。

また、『ミカサフミ』にある同文個所の表示もしています。

ですから、『ミカサフミ』と、『ホツマツタヱ』ともども、記紀(『古事記』『日本書紀』)の原書であることが、謂えるのです。

          ・

ここを外すと、

言いたい放題の、レベルに落ちるわけです。

誰も見たことがない「文書」を持ち出してみたり、

あること無いこと、嘘800を並べ立てる…。

そんな人たちは、何時の世の中でもいます。

要は、

選別眼を持ってもらうことが重要ですが、

その、判断の壷・要は、「根拠」の有り無しです。

ここのところを、

しっかりと身に付けて頂ければ、一生涯にわたってオカルトに騙され無くてすみます。

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2007年1月12日 (金)

沢山のアクセス有り難う御座います。直訳(漢字仮名混じり)は‘クニ’を誤まること。

沢山の、本当に沢山のお方に、このブログをお読みいただけまして、

まことに嬉しく思っています。

            ∽  

もう、アクセス数が28000件も超えてしまっているのですね。

びっくりです。

去年の春4月ごろだったでしょうか、

この頃に始めたブログですので、今ですとたった、約10ヶ月しかありません。アクセスがこれ程にも多くというのは、まさに驚愕と言って良いと思います。

             ・

有り難う御座います。

推敲も、充分には出来ていませんので、お見苦しいような、

そんな読みにくい文章のことを、お詫びいたします。

それでも、ずっと耐えながらも、お読み頂いていますと、

ヲシテ文献は、元の文字、つまり‘ヲシテ(縄文文字)’で読んでこそ!

と、 

この、意味のご理解が頂けると思うのです。

一番大切なことだと思うのです。  この事は!

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     <い いろ、の書 (『ホツマツタヱ』31アヤ28ページ)

               ―「い」とは心、心の色を詠むウタ、の意味だった― 

そうしますと、

ヲシテの、安直な直訳(漢字仮名混じり文)は、適切でないこと。

誤訳は、‘縄文日本’の光輝を貶めるものだと、

この、わたくしの強い主張。

この重要性が、順々とお解かり頂けて来ると思うのです。

これは単に、

自慢したいとか、そんな低い次元での話ではないのです。

わたくしたちの‘縄文日本’の高度な文明に、泥を塗るような行為だけは、

どうしても許せないから、

声を大にして叫んでいるのです。

            ・

適切な、真摯な、ご理解のほどを、

どうか、どうか、お願い申し上げたく存じる次第であります。

      ~          ~

縄文日本の、その光輝の燦然と輝けるさま。

この類まれな、尊さを、千年余りぶりに、お解かりくださる同志が、

ここにきて、出現し始めて来ました事は、まことに、嬉しき限りです。

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‘くに’を過(あやま)つものは、

「秀真伝」のごとき低俗なたぐいと、『古事記』『日本書紀』など当時の恣意的な誤訳の漢字文献であると、このように考えます。

      ・

とっても、良い事がありました。

それは、

とっても良いおウタを、お寄せ下さりましたのであったのです。

Photo_250

国家の、根底からの本当の意味での再建には、

‘歴史’の再認識から始める事が、

どの様に考えましても必要となされます。

  特に、

今、この、錯乱しつつある現在にとりましては、

正しい‘歴史’を再構築する。

この作業が、どうしても欠かすべからざること。

このように、判断いたします日々を過ごしておりますことごとです。

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2007年1月11日 (木)

文書のかたち、「ふだ」とは? その8

このような調子(その1~7)で、延々と、わたくしは調べてゆきますが、

読者の皆様には、これでは、退屈になろうかと思いました。

そこで、

「ふた(ふだ)」の材質が木材であるだろうと、推測できる用例を掲げて、

一件の落着と致しましょう。

Photo_246

        <『定本ホツマツタヱ』349~350ページ>

        <『記紀原書ヲシテ』上巻701ページ、こちらはルビなし>

11代のアマカミに、後(のち)に、御(ご)即位をなさいますのが、

ホオテミさんでした。 この時は、お兄上に嵌(は)められてしまい、

自失呆然と言った日のことでした。

雁が罠に捕まってもがいているのを見て、

思わず逃がしてやったのが、ホオテミさんの行為でした。

それを見た、

シホツツのヲヂが、力(ちから)になってくれたのでした。

そして、目の細かな、しっかりしたカタアミを入れて、

また、‘うた ふた’を付けた‘かも ふね(帆を備えた大きな船)’に、

ホオテミさんを乗せて、「帆 上げ 鞆綱解き放つ」のでした。

そうしますと、風に帆が膨らんで、見る見るうちに、

目的地の、‘ツクシ(筑紫・九州)’の‘うまし の はま(今の宮崎県の海岸)’に到着したのでした。

         ・

この用例にあります、‘うた ふた’は、船に付けるものでした。

つまり、海水がかかっても何ともないものであるはずです。

それは、

木札であると、考えられるのではないでしょうか?

布では、海水に弱いですね。特に文字が染められているなら、なおの事ではないか、と、考えられます。  現在のように、水にも強い染料があれば、話は違いますが…。

         ・

ヲシテ文献の原文には、

「つくし」と、ありまして、これは九州の事であると、

明瞭に解かります。

しかし、『古事記』『日本書紀』の漢字文献には、

故意的に、なのでしょうか? 具体性を無理にも翻訳削除したような感じです。

このことから、竜宮城のようなイメージに取られてしまっているのですね。

御伽噺(おとぎ ばなし)ですね。  貶(おとし)めですね。

ひどい話です。 漢字文への翻訳には、故意的な誤訳でなくても、

大きなリスクがあるのですが、さらに輪をかけて故意に・恣意的に誤訳されてしまったものが、 

『古事記』『日本書紀』の漢字文献であると、このことが判って参りますと、

もはや、過去の遺物としての位置づけにと、

『古事記』『日本書紀』の漢字文献の置き場所を定めるべきであることが順当であると、このように判断すべきでしょう。 

                     ・

誤訳モノにも、

色々あります。

1200年余りの、長い歴史のあるもの。

40年ほどの、短い歴史しかないもの。

ここには、幾分かは優劣をつけるべきでしょうね。

『古事記』『日本書紀』の漢字文献は、1200年余りの、長い歴史があります。

「秀真伝」のたぐいは、たかだか40年ほどの、短い歴史だけしかありません。

そして、程度の低いものです。

これらは、

ともに、‘縄文日本’の光輝を貶める存在です。

そこで、

1200年余りの、長い歴史の『古事記』『日本書紀』の漢字文献は、一時記憶の「ごみ箱」へ。

40年ほどの、短い歴史の「秀真伝」のたぐいは、完全削除の「ごみ箱」へ。

このように、ファイルを移動してはどうでしょうか?

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2007年1月10日 (水)

文書のかたち、「ふだ」とは? その7

‘うた み ’と、だけ記載された用例でも、

「文書」の形式に作られ、染められていたモノであると、

このように判断できる個所もあります。

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        <『定本ホツマツタヱ』138ページ>

        <『記紀原書ヲシテ』上巻194ページ、こちらはルビなし>

ヲヲンカミとは、8代アマカミ(古代での天皇陛下)の

アマテルかみ、のことです。

‘さつさ’と言うモノ(不詳)に、‘うた み’を付けられたのですね。

‘うた み’を付けて投げ込んだ、と言う事からしますと、

この、‘うた み’は、今に言う「文書」であったことは、明瞭な事実と申せましょう。 木簡の形式のものか? 布に染めた形式のものであるか? いずれであってでも、です。

この‘うた み’には、5行のピンク色にしたところのウタが、

染められてありました。

「はたれ も 鼻毛みつ(三本)足らず…」なんて、なんとも

間抜けさを言うウタです。

初めの3音の「さすら」と、

最後の3音の「らすさ」は、3音の‘廻りウタ’になっています。

‘はたれ(悪さをする人たち)’たちは、このウタで単純な

(いか)りを発して、それで簡単に討ち取られてしまうのです。

            ・

「さつさ つづ ウタ」の、‘うた み’は、

どの様なモノに染められていたのでしょうか?

布か? 木札か?

微妙なところでしょうか。

     ~   ~   ~

真名さんの記事が続々と公開されています、

「ミシリツヒコと名を変えて4」久米の仙人で有名な久米寺も出ます。

久米寺は、

聖徳太子の弟皇子にあたる、来目皇子(くめ の みこ)の創建とのことです。

この記事を読んでもらったあと、いよいよ謎解きが始まるようです。

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2007年1月 9日 (火)

文書のかたち、「ふだ」とは? その6  涌谷町の黄金山神社のこと

ヲシテ文献の世界は、とっても広大ですね、

「文書」のことを、一つ調べようとしただけでも、ゾロゾロと、

まだまだ、 まだまだ、

(と)め、処(ど)も無く続いて行くわけであります。

         ∽

そんな中、極めて珍しい金属での「文書」なる‘かな あや’の、

こと、

これは、とっても面白いので、ご紹介しておきたいです。

これは、

『ミカサ  フミ』の貴重な文面を、江戸時代の溥泉(ふせん)さんが

残してくれた、引用文(『春日山紀』にある引用文)にあります。

Photo_239

           <『校註ミカサフミ・フトマニ』120ページ>

           <『記紀原書ヲシテ』下巻、577ページ(こちらはルビなし)>

時は、縄文時代と、弥生時代の狭間のような頃です。

8代アマカミ(古代での天皇陛下)のアマテルかみ、の

その、妹君(いもうと きみ)の、ヒルコ(わかひめ)さまは、

とっても優秀なお人であられたのでした。

「にふ」とは、水銀のことです。

水銀のアマルガム法による、金メッキの技術を、

祖父のトヨケかみ、からの技術伝授に与(あずか)ったほどの、

それ程に素養と、努力の極まってのおいででのお方であらせられたと、

わたくしは、理解しております。

水銀のアマルガム法による、金メッキの技術は、‘そめ ふた’と呼ばれたのですね。

伊勢神宮の建築で、木口の防腐と装飾を兼ねた金飾りが付けられてあります。

この金飾りの、実在の根拠としての事は中世(奈良時代もつい、中世といってしまいます、わたくしです)の文献にも残っておりまして、

正倉院文書に、文章が見られます。これは天平19年(747)のご遷宮の為の記録です。

また、絵図は『永禄遷宮金物図』(天正13年・西暦1585年)があります。

詳しい調査報告は、『伊勢神宮の建築と歴史』(福山敏男・日本資料刊行会、1976)が良いでしょう。

銅に、金(ゴールド)の水銀アマルガム法によるメッキ技術で現在にも連綿と受け継がれているのは、この『ミカサフミ』記載の伝承通りとして理解できます。

(ゴールド)のことは、‘こかね’と呼ばれていまして、

『ホツマツタヱ』に典拠があります。

Photo_241

      <『定本ホツマツタヱ』206~207ページ>

      <『記紀原書ヲシテ』上巻、277~278ページ(こちらはルビなし)>

    ―大意―

ワカヒコ(あま の こやね)さんが、東北地方にご出張であったときの事です。

当時の、首都は東北地方にありまして、

8代アマカミの、アマテルカミの後を、

その皇子のミコの、オシホミミさんが、9代アマカミとして御即位に、

なられて、都は、「たか の かう」と呼ばれ東北地方に置かれたのでした。

そして、ある日の事、

ワカヒコ(あま の こやね)さんが、宮中に伺候した時、

「こかね の はな」の詳しい話を質問したのでした。

そこで、

9代アマカミのオシホミミさんの、

義理の父に当たるタカギ(7代タカミムスビ・ウホキミ)さんが、

答えて述べたのでした。

‘ヒノキミ(アマテルカミ)’の宮を護っているカラスが、

(くち)に銜(くわ)えた‘こかね(ゴールド)’を吐き出して飾るのです。

それで、アマテルカミのお宮は‘こかね(ゴールド)’でピカピカになったのです。

イサコ(イサナミ・イサコヒメ)さまは、アマテルカミの御母上であられるのです。

我が祖父のトヨケカミは、

「イサコ(イサナミ・イサコヒメ)産み子も しかしか と 

と、おっしゃっておられたのは、

この事でした。

砂金の産出は、黄金山神社に見られます。

また、日高見神社の近くにも砂金の産出があります。

ワカヒコ(あま の こやね)さんでなくとも、

「ひさみるやまと 讃えたまひき」

と、

叫びたくなるようです。

      …   ・   …

そんな中、

金属での加工の技術を習得なされておいでであった、

8代アマカミ(古代での天皇陛下)のアマテルかみ、の

その、妹君(いもうと きみ)の、ヒルコ(わかひめ)さまは、

「文書」を、金属で鋳造することを創出なされたのでした。

これを、‘かな あや’と名付けられてもおられます。

     ~   ~   ~

面白いですね、

かな あや’なら、これは、ひょっとすると、

約3000年ぶりの出現も、もしかすると可能かもしれません。

深く・密かに・フツフツと、わたくしの期待しておりますところです。

こがね(金・ゴールド)の輝きに溢れる千木(ちぎ)の、その光り輝く様な、

そのような輝きの‘ヲシテ’を、本当のところ是非とも目にしたいと思います。

それが、

かな あや’なのですね。 金属による「文書」なのですね。

ワカ ヒメ さまの、ご努力に一目遭遇したきものです。

一日も早い発見を、

このことを、祈りおります日々で御座います。

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2007年1月 8日 (月)

文書のかたち、「ふだ」とは? その5

もうひとつ、「のこし ふみ」もあります。

7代アマカミ(古代の天皇陛下)のイサナギきみ、そして、イサナミきみの、

つまり「フタカミ」の御遺勅(ご いちょく)です。

7代アマカミ(古代の天皇陛下)と、言いますと、

8代アマカミのアマテルかみ、の、そのご両親であられるのですよね。

尊き、ことでございます。

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この文章のあとに、

さらに、5・7調で12行の文章が続きます。

末っ子の、ソサノヲ(スサノオ)の、不出来のことを悔いてのご遺勅です。

やっぱり、どう贔屓目に見ましても『古事記』、『日本書紀』には、適切な訳文が抜けています。

特に、『古事記』の酷さは、目を覆いたくなるような、惨状です。

ここに、ここを、どうしても、

勇気を持って、目を開いて見て頂きたいのです。

『古事記』を、‘クニ’の第一の書物だなんて、

そのように思っているのが、悲しきことに現在の実情であるのです。

そんなことでは、

新聞紙面を毎日賑わしている、現実面での、目を覆いたくなるような事件の続発は、

避けることが出来ない。 と、 このように強く思うのです。

クニの混乱のその根本は、歴史を度外視した『古事記』偏重にあると、

このように考えております次第です。

            ・

「文書」について、調べてまいりましょうと、

‘ふだ’の事…。

この、初めの路線を忘れないようにしてゆこうと思います。

ただ、ただ、

現代は、

根本の大切なことが、忘れ去られること100%に余りにも近いので、

どうにも、一言、言いたくなってしまいますことをご容赦願いますばかりです。

詳細にすればするほど、漢字文献に対しての追求は強くなってしまいます。

でも、 そんなに、悪くは思っていないのです。 私としましては。

単に、成り行きの事を率直に積み上げただけの事です。

なんら、悪意は毛頭御座いません。このことだけは、ご理解願いたく存じ上げます次第です。

            ・

この「のこし ふみ」は、5・7調で16行ほどの長文でもありまして、

また、

7代アマカミ(古代の天皇陛下)のイサナギきみ、そして、イサナミきみの、

御遺勅(ご いちょく)であるという、大切な‘ふみ(文書)’ですから、

おそらくは、絹のように高級な素材に染められていたのであろうかと、

想像しております。

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2007年1月 7日 (日)

文書のかたち、「ふだ」とは? その4

お神楽などでも、お馴染みの「さやけ おけ」のウタは、

ヲシテ文献に、その源流を溯ることができます。

Photo_235

この文章のうちの、ピンク色にしましたところは、

「みち すけ の うた」と、言われていたのでした。

すなわち、

広範に流布されていたであろう、ことが想像されるところです。

後々(のちのち)には、漢字文献にも記載が残されるほど。

それは、

「文書」として、一般の人々にまでも浸透していった、

と、

そのように考えるべきかと思います。

この個所は、残念にも『古事記』にも、『日本書紀』にも記載が洩れたところでした。 よくある事でもありますが。

でも、

『古語拾遺(こご  しゅうい)』という、斎部広成(いんべ ひろなり)さんが祖先からの古伝を記したフミには、

ちゃんと、しかるべくの記載がなされていたのでした。

『古語拾遺』は、西暦の807年に成立した事が解かっております。

         ・

不思議なことです。

那智の大滝で有名な、那智大社のお祭りも、このウタが千年以上も使用され続けてきた事実もあります。

でも、

正確さを期するとすれば、

ヲシテ文献に根拠を据え直す必要がある…、 と、

つまり、

伝承があっても、文献に漢字文献にその事の記載があると、

仔細は引っ張られてしまうのですね。 残念なことに。

でも、その、基となる伝承の伝わりが無くては、

つまり、「たね」が無くては、尾ひれの伝承も残らないのですよね。

         ・

なにはともあれ、

この、「みち すけ の うた」は、何らかの「文書」にしたためられていた、

と、考えて良さそうな文章です。

何人もの歌い手・舞い手・楽奏の人たち、この合体によりまして、

所謂、交響楽のような演奏が実現するわけですから、

歌詞、そして楽譜に相当する何らかの「文書」の存在があったのではなかろうか?

この、事例においては、根拠とすべき文面・文章を見出すことは困難ですが、

大きく、ヲシテ文献の全体を通しての世界観からしますと、

ここにも、何らかの実在した「文書」の存在の香りがすると、

このようにも、わたくしには、思えるのです。

        ・

このように、大切な個所も

『古事記』にも、『日本書紀』にも、本当に記載が一切されていないのですね。

悲しいと言いますか、呆れ返ると言いますか、そのような事情です。

これが、真実の状況なのです。

二千年来に近い、誤謬なのですよね。 大きな、間違いなのですよね。

目を、ぱっちりと、して、見てくださいまし、

と、

大きな声で叫びたくなります。

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2007年1月 6日 (土)

文書のかたち、「ふだ」とは? その3

今で言う、遺書に当たるものもありました。

ここでは「おして」として、表記されています。

ワ行でなくて、ア行の「お」で記載してあるのです。

どうして、ワ行でなくて、ア行の「お」なのか?

何かそこに込められた事情がある、と、

わたくしには思えるのです。

Photo_234

不祥事があって、「みはた」つまり朝廷からの、「さおしか」と言う勅使が使わされての呼び出しがあったのでした。

呼び出しに名を連ねたのが、

今の出雲のところを治めていた、カンサヒさん。

その、臣下であった、コクミさん。と、美人の妻のサシミメさん。

それに、娘さんのクラコヒメさん、の4人でした。

           

今で言えば、検察官・裁判官にはカナサキさんが、その任にあたりました。

カナサキさんが、問い質します。

コクミさん、あなたが美人の妻のサシメさんを、迎えることにも問題があると聞いています。

また、クラコヒメさんを、蔑ろにしていることも問題であると聞いています。

この点につきまして、事情を説明してください。

           ・

そこで、コクミさんが申し開きをするわけです。

サシメは、正式にわたくしの妻として公認されています。

その根拠には、わがキミ(公)クラキネさまの、「さります の おして(遺書)」に記してくださってあります。

           ・

と、

コクミさんが反論しますが、

穴だらけの、こじ付けばかりでしたので、罪せらることになります。

また、この場合の「さります の おして(遺書)」の物質・形態についての、

詳しい形状につきましての推測は、今のところ進み得ないでいます。

           ・

それはさて置き、

「おして」と、ワ行でなくて、ア行の「お」で記載してあるのは、

謙譲の意味を表している、と、

考えてみてはどうでしょうか?

詰問する場に呼び出されて、

わがキミ(公)クラキネさまの遺書を根拠にする、コクミですが、

そもそも、わがキミ(公)クラキネさま、と言っても、

地方統治のキミ(公)ですから、今で言えば、県知事のようなものですよね。

その、公式文書は、

「みはた」つまり朝廷の格式よりもずっと低いところにあるわけです。

今で言えば、県の条例のような位置になるのでしょうか?

それで、

「ヲシテ」とは、言い難くて「おして」として表現し、

そのように記載がなされていった。 と、考えてよいのではないでしょうか?

        ・

この、「さります の おして(遺書)」の、物質として、その形状は、

詳しく知るすべが今のところない状況です。

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文書のかたち、「ふだ」とは? その2

「みそき の ふみ」というのが、『ホツマツタヱ』5アヤに、あります。

この、「みそき の ふみ」は、

現存のヲシテ文献の、内に引用がなされている、文章です。

つまり、現存のヲシテ文献には先行文献があったことが解かります。

この「みそき の ふみ」は、現在発見されているヲシテ文献よりも古い文書であったことになります。

当時の、宮中(都・首都)に諸臣が集まった時に、

‘まくら ことば’のことについてのことを、教えて欲しいと、質問が出ました。

これに、答えたのが、前回の『文書のかたち、「ふだ」とは? その1』でラブレターを手渡された人物でした。この方は‘オモイカネ’さんと申し上げます。天文学者でもあり、建築家でもあり、また、国語にも造詣の深い人物であったことが窺われます。

Photo_233

と、これより、

アチヒコ(おもいかね・おもひかね)さんが、「みそき の ふみ」についての、

詳しい解説を述べてゆかれます。

当時においても、相当に難解な、高度な文章であったのでしょうね。

今では、その詳細な文面の理解についても難しいのですが、

その、「みそき の ふみ」の本体・実物の内容は、

想像されうるところの最少の分量でも、

5アヤ25ページから、30ページにかけての文章であったと、

このように、

考えられます。つまり、5・7調で20行あまりの分量と言うことになります。

と言うことは、240文字余りとなりますので、

記されていた物体は、樹の板よりも、絹などの布を想像するのが自然なところであるのでしょうか?

このように、見てみてはどうでしょうか?

長文の文章の表記には、絹などの布を用い、

また、改まった正式の時にも、絹などの布を用いる。

一方で、

和歌のような、短文の表記には、樹の板を用い、

通常の手紙や、告知文などにも樹の板を用いることが一般的であった。

と、このあたりの状況をこれから調べてゆきましょう。

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2007年1月 5日 (金)

文書のかたち、「ふだ」とは? その1

実際の世界として、

これは、バーチャルではなくて、

つまりリアルのものとして、わたくしたちの‘くに’の古い時代の真実を読み解いてゆこうと、そのように、考え続けているわけです。

そこで、

「国家」の運営にとって、‘文書’はどのような位置づけをもって存在していたか?

また、人々の生活のそれぞれの、シーンにおいて、、‘文書’はどのような位置づけをもって存在していたか?

この事を、希求してゆきたいわけです。

        ・

‘文書’とは、これは漢字由来の言葉ですから、明瞭に奈良時代以降の呼び名です。

漢字国字化の時代以前には、‘文書’の意味合いのことは、別の呼び名で表されていました。

つまり、ヲシテ時代では、‘ふみ’と言われていました。

また、ヲシテ時代は高度な文明の時代でしたから、幾つにも名称があって、

‘ふみ(文書)’のことを、‘あや’あるいは‘ふだ’、‘うた’、

さらには‘ヲシテ’の言葉で表現されていたこともあります。

で、

今回は、その形状についての概要を見てゆきたいわけです。

内容や、文章の形式ではなくて、

「文書」が何に記され、どのような使われ方をしていたのか?

この、

ワンポイントに、視点を集めて見ます。

               ・

それは、

ラブレターの‘うたみ’でした。

Photo_230

8代のアマカミ(古い時代の天皇陛下)であられたアマテルかみ、

その、御妹君(おん いもうと きみ)であられた、‘わかひめ’さまは、

かねてからの、その、お思いをお寄せになられておいでであった、

‘あちひこ’さんに、この機会を逃しては 、    と、その強きお心によりまして、

おウタを、どうぞと、

そのように、なさりましたのであったのです。

お手渡しのなされました場所も判っております。

今の、和歌山県和歌山市の名勝の所、「わか の うら」でした。

Photo_232

                 <わか の うら>

この時の…、 これが‘うたみ’に染められた「文書」であったのでした。

濃いピンクの三行の31文字のところです。

上から読んでも同じ!  下から読んでも同じ!  すごい、和歌です。

とっても、高度な技術、

そして、

とても、ご勇気・お思いの極まっての事であられたこと、

今の、今日のわたくしにも、その、ご発念のお気持ちはそれとはなくもお察しもうし上げれるようにも、存じ上げる次第に御座います。

このときの、

‘うたみ’とは?

これは、絹などの布や、あるいは、樹木の板であることも想像のうちにあって不都合の無い様に考えてもおります。しかしながら、詳しくその形状や・その素材・材質の特定に寄与しうる様な、根拠となる詳細なる記述には、この典拠の出典個所では恵まれていませんでした。

           ・

この‘うたみ’が、どの様な形態の‘ふみ’であったのか?

それを‘ふだ’と言うのです。  形状を。

で、

何に、染められていたか?

そして、染め道具は何だろう? 染料は?

これを、どうやっても知りたいものなのです!

歴史を辿りつつ究明に歩を進めてまいりたいと思います。

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2007年1月 4日 (木)

朧月、大きな‘カグ(かく)’の実

今夜のお月様は、

「おぼろ」でした。 何とも言えないふくよかさ。

そして、良い匂いがそこはかとなく。

これは近くにある、‘ザボン’の大きな実からの、かおりか?

あれ?

お月様からの香りか?

Photo_229

振り返ってみると、飾り棚の上に朧月があって…?

これは、‘ザボン’ですね。

ヲシテ文献の出典の用例に厳密であると、柑橘あるいは橘の種類の‘たちばな’および‘かぐ’は、

両方とも清音での記載が当時の正確な記載の主流であったように、考えられます。つまり、‘たちはな’および‘かく’となるわけですね。でも、5・7調の文章からここだけ切り離してしまうと、‘たちはな’および‘かく’では読み難くなってしまいます。難しいところです。 どうしましょう…、 解かり易く、さらに、正確さを込める為には。

今宵は、また、お酒が過ぎるような…。

そこに‘ふくよか’の月、そのお光。

これだけ、力を授かったら、さぞ良い‘アイデア’が浮かんで来てくれるやも知れません。

        ・    

昨日は初詣、と、

そう思っていましたのに、今日が十六夜ですから、太陽暦は二度楽しめます。

太陰太陽暦での、一日は「朔日」ですから、お月様は新月で全く見えない日なはずなのですね。つまり、古来での元旦は、お月様の見えるはずがないのです、太陰太陽暦でなら。  でも、現行の太陽暦は、お月様の満ち欠けには関係なしの暦ですから、元旦の2日ののちに満月! なんて、 こんなギャップも生じるわけです。

今年は、あんまり寒くない‘しもつき(旧暦11月)’で助かります。

冷え性ですので。 

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2007年1月 2日 (火)

‘国史’としてのこの大切な位置

あけまして、おめでとうございます。

新年は、この初日は、アマテルかみの

ご誕生の日でもありました。

つまり、元祖・天長節ともいうべき日、そのように理解しますと、

なおのこと、おめでたきことです。

Photo_228 

      <『定本ホツマツタヱ ―日本書紀・古事記との対比―』>

この事実を、

私が理解いたしましたとき、

‘国史’の再構築が必要である。

と、

このように強く思ったわけでした。

これは、ひとつの仕事が、課せられているのだと…。

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