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2006年12月29日 (金)

‘まゆみ’の実

‘まゆみ’の実が綺麗でした。

Mayumi_2

‘まゆみ’と言えば、弓が連想されます。

弓は、古来から使われていまして、

特に漢字文献の時代では、まゆみの樹で作った弓が有名なるが故でしょう。

         ・

でも、ヲシテ時代では、

‘くわ’の樹で作った‘ユミ’が、魔物祓いに使われております。

‘まゆみ’は布にされていたこともあったようです。

Mayuminuno

この、出典の個所は、9代アマカミのオシホミミさんへの

ご譲位のときの事です。ご厳父の8代アマカミ・アマテルかみの、

お心遣いが、ひしひしと感じられます。

           ・

何時の時代から、

‘まゆみ’で‘ユミ’が作られるようになったのか?

こんな所についても、

究明が待たれています。

Yumiturugi_1

この時の、‘ユミ’は、どんな木で作られていたのでしょう。

その、

‘樹’に、込められた、その思いはいか程だったのでしょうか?

本当に、究明の仕事はこれからです。‘国史’としてのヲシテ文献の研究は、

緒(ちょ)についたばかり、です。

深く広く、縄文日本の真の解明にまで、

この歩みは止まれないのです。

     ∽    ∽    ∽

まゆみの実の色に、 女房がウタを詠みました。  

Photo_224

また、

わたくしの、ウタです。

Photo_226

ウタは、

これも、なかなか、思うようには行きません。

ウタが、心のミソギと言うことは、

真実であると思います。

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本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で! 

2006年12月28日 (木)

行く年の…

年初に思っていました事が、

どれほど進みましたでしょうか?

なかなか、思うようには行かないものです。

Photo_223

10のうち、ひとつでも、ふたつでも、進展は進展です。

先を思って、たゆまず…、と言うことが良いのでしょうか?

来る年に、

向けての歩みに専念いたしましょう。

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2006年12月27日 (水)

良き雨に思いて、「ミシリツヒコと名を変えて」のこと

久しぶりの良い雨が降りました。

あくる春の、草木の伸び行く源になる、

そんな、良い雨です。

Photo_222

来年の、更なる良き年となりますように、

みなさまの、ご健勝をお祈りいたしております。

           ・

真名さんが、越後や、和歌山、そして奈良にと、壮大な

新しいシリーズのUPを始められました。とっても楽しみです。

こちらです→「ミシリツヒコと名を変えて

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2006年12月26日 (火)

『富永仲基の「楽律考」』・『平成大礼要話』など

新刊書など、二冊をご紹介したいと思いました。

            ・

一冊は、 『富永仲基の「楽律考」』(朔北社)です。

私の尊敬してやまない、富永仲基の音楽論です。

江戸時代に生を受けた富永仲基の、遺(のこ)して置いてくれた事々は、

とても、とても大きい産物であったと、わたくしは理解しております。

それも、たった32年の生涯で。

そして、この著作「楽律考」は、発見が遅くれた事などから、読みやすいものは今まで有りませんでした。今回の出版は、わたくしに取りまして、待望の一冊です。

広告を見て、ウムを考える事なくすぐさま、注文を致しましたのでした。

本当に素晴らしい!

本当に、素晴らしいのです!

富永仲基の論は、いちいちが最もで頭が下がります。一分のスキも無しです。

このように、

何時いかなる時にも、読者をして納得してもらえる、

このような、内容をしっかりと詰め込む、

そんなことを、心がけねばなりません。  これは、深く、自問する所です。

彼、富永仲基の、一流の高級な文章は読解が難しい所、横田庄一郎さん・印藤和寛さんの現代語訳で助かりました。

文明のそれぞれの大局の見地について、敢然たる把握をふまえた、富永仲基の真骨頂が随所に溢れ出ています。久々の、大興奮の一冊です。しばらくしてから、また何回も読み直そうと思っています。

縄文時代の、コトとフエそしてカタの演奏の再現に向けての、

ひとつの指標にもなるのではないかと、思います。

            ・

もう一冊は、鎌田純一先生の、

『即位礼大嘗祭 平成大礼要話』(錦正社) です。

真摯な鎌田純一先生は、『先代旧事本紀』のしっかりした研究でも知られます。

わたくしも、お陰さまで助かっております。

その、鎌田先生が、

今上陛下のご大礼の詳細につきまして、纏めて下さいました事は、

これは、一度、ご紹介しておかねばと思いました。

真摯なご仁である鎌田先生の、文章には信頼が置けることです。

ただ、漢字国字化時代以前の事についての記述だけは、

何とかしてもらいたいと、願うばかりですが…。

どうぞ、みなさま、お手にとってご覧頂ければと思います。

             ・

二冊だけと、思っておりましたら、

あともう一冊、追加して紹介をしておきたい新刊書がありました。

『アメリカに頼らなくても大丈夫な日本へ』(日下公人・PHP研究所)

日下さんの、読みやすい文章力は、見習わなくては…。

また、内容についても、皆様のご参考にと…。

           ・

と、

思っていましたら、あともう一冊も、追加したいと思いました。

良く書けているので、ついつい、読んでしまった一冊です。

『牡蠣礼讃(かき れいさん)』(畠山重篤・文春新書)

季節柄でもありますので…。

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2006年12月25日 (月)

縄文時代の、こよみ(暦)

縄文時代には、ストーン・サークルもあったことから、

天文学は現代人の想像以上に発達していたようです。

そして、

ヲシテ文献には、このことが、具体的な文章として記載されていました。

初代のクニトコタチさんの頃に、既に‘こよみ’の守護を司るカミが祭られている事の記載が見られます。時代は、少なくとも縄文時代の前期、前葉のころには溯れるものと、考えられます。(『ホツマツタヱを読み解く』)

Photo_219

縄文時代の前期に高度な‘こよみ’(暦)が‘日本’に存在していた。

そうしますと、

中国(China)からだけの伝来ではなかったということが、

明瞭になるわけです。

中国(China)の漢字は、3000年の歴史しかありません。

縄文日本の‘こよみ’には、6000年の歴史があります。

どちらが古いのか、明瞭です。

もとは、元々は、‘日本’に有ったことになります。

         ・

上に、掲げました『ホツマツタヱ』21あや(章・巻)29ページの、

おおよその、内容の解説を、下に記します。

   ∽ ∽     ∽ ∽    ∽ ∽    ∽ ∽ 

「きつをさね(東西・中央・南北)」のうちの「を(中央)」は、

「うち(かしこところ・宮中)」をとくに護ることでもあります。

Wononisyu

の、ヲシテ文字のうち、‘教える’‘朝廷’などの場合に多く用いられる、下の特殊文字で記述されていることから言える訳です。

「トコタチ」とは、‘日本’建国の初代のアマカミのクニトコタチのミコトであったわけです。

初代のアマカミである、クニトコタチさんは、「としのりの、たまめカミ」をお祭りになったのでした。「としのりの、たまめカミ」とは、東・西・中央・南・北の「キ・ツ・ヲ・サ・ネ」と、‘こよみを、あみて、養い、潤す’の意味の「ア・ミ・ヤ・シ・ナ・ウ」の、5プラス6で、合わせて11神の事を指します。

つまり、‘こよみ’の守護神の「としのり、たまめカミ」は、人の生命を護ってくれることにもなりました。それは、方角・と物体を編み上げる働きについての祭祀であるからです。これで「ヰ・クラ、ム・ワタ」が形作られるのでもあります。

「ヰ・クラ、ム・ワタ」の表を掲げます。漢字文献時代よりも、さらに何千年も溯る縄文日本の文明の高度な内容がお解かり戴けるかと思います。

肝心なことは、

ヲシテ文献の「ヰ・クラ」とは、目に見えない形而上の概念を表現する語彙でした。

これに反して、中国(China)渡来の「五臓」とは、単なる内臓器にしか過ぎなかったのです。

後出しジャンケンの方が、程度が落ちるのですね。

詳細は『ホツマ辞典』をご覧下さい。

Photo_221

また、

「としのりの、たまめカミ」は、「あめより くだす ひよみカミ」とも言われます。

ここまでが、初代のクニトコタチさんの時代までの事でした。

こののちの事です。

「フタカミ」とは、7代アマキミのイサナギさんのことでして、

この時になりまして、さらに、‘こよみ’の守護神の進展がありました。

つまり、7代アマキミのイサナギさん・イサナミさんは、

「としのり、たまめカミ」の11神に、さらに新たに守護神の8神を新たにお加えになったのでした。

すなわち、

1、うつろい

2、しなとへ

3、かくつち

4、みつはめ

5、はにやす

6、ををとし

7、すへやますみ

8、たつたひめ

の、8神です。これを「やまさカミ」と言います。

             ・

さらに、この後の時代になりまして、

10代アマキミの弟の方のニニキネさんの時代には…。

      -と、さらに続いてゆきます。 後略-

   ∽ ∽     ∽ ∽    ∽ ∽    ∽ ∽ 

たった、6行の原文解説でも、長文になりました。

それだけ、ヲシテ文献の文章に込められている意味合いは深いと申せましょう。 まだまだ、充分には言い尽くしは出来ておりませんから、更なることでもあります… 。

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2006年12月24日 (日)

縄文哲学と、宮中

縄文哲学は、少なくとも6000年の歴史があります。

このことを明らかにしたのは、『ホツマツタヱを読み解く』(展望社)が最初です。

6000年は、確実な線を言ったわけでして、

おそらくは、10000年の伝統はあるものとも推測します。

           ・

縄文哲学と、宗教性との関係について、

少し述べておきましょう。

詳しくは、『縄文人のこころを旅する』(展望社)に解かりやすく記載いたしておりますので、そちらを、お読み下さると良いかと思います。

           ・

縄文時代の時代は‘日本’は、‘一神教’であったと、

『縄文人のこころを旅する』(展望社)で述べました。

それでは、

縄文哲学と、一神教との、関わり合い方がどうか?

と言う視点ですね。

Uotimiya_1

この、「かぐ の みや」「うおち みや」とは、現代に言う「宮中」の事なのです。

つまり、「かしこ ところ」。また、今では「賢所(けんしょ)」とも言いますね。

これは、

「賢所(けんしょ)」なんて漢字読み由来の言葉を用いるのは、

尊きものを尊ぶがゆえに、直接表現を避ける呼び方なのです。

直裁的なことは、はばかられて…。 との、気持ちです。

           ・

さて、

「宮中」にての、創造神祭祀は

アマカミが、全国民を代表して執(と)り行ってくださる仕組みなのでした。

‘一神教’であり、なおかつ、縄文哲学が備わっている。

この、構造の高度さに、わたくしは身震いを感じます。

感動が、冷めることがありません。

みなさまは、いかがで御座いましょうか?

           ・

ちなみに、

掲示しました、『ホツマツタヱ』6あや(巻・章)の29ページの、大要は以下の通りです。

     ^     ^     ^

「さ(南)」のミヤトノ(政務をお取りになられる宮殿)の前に、たちはな(柑橘種あるいは橘の樹)を、お植えになられました。これは、世の中の政治がうまく行われているかを、知る為の植物です。それで、「かぐ の みや」と名づけられました。

その、「かぐ の みや」の「き(東)」には、さくら(桜)をお植えになられました。さくら(桜)は、夫婦仲の円満さを知る為の植物です。このところを、「うおち みや」と名づけられました。

アマテル カミは、8代アマカミとして、おん親(みず)から御政務を御執(と)りになられました。もちろん、創造神祭祀もおん親(みず)からアマテル カミがお執(と)りおこなって下さいました。

このため、全国のどこでも、国民が遍(あまね)く豊かになったのでした。

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