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2006年8月12日 (土)

誤訳の積み重ね・連鎖の恐ろしさ「秀真伝」

パトリック・スミス

『日本人だけが知らない日本のからくり』(株式会社新潮社)を読みました。

だいぶ前に、買っておいた本でした。

と言うのは、かなり変な日本理解なので、ほおって置いた本でしたから。

久しぶりに、手にとって見たら、、気がつきました。

「あ、そうか。 『秀真伝(誤訳ホツマ)』と、同じだ」 と。

直訳の・そのまた直訳したような、理解の仕方でしたから…

   ~   ~   ~

もっとも、おかしな個所は、

「かみ」の‘やまと言葉’を、すべて「神」と直訳理解してしまっている事です。

つまり、誤訳です。

‘やまと言葉’での「かみ」は、

多くの意味が包含されています。思いついただけですぐに五指に達します。

1、上(うえ、の意味)、川の上流などもいう

2、祖先

3、偉人

4、天皇陛下(お かみ , と尊称する

5、西洋的理解での、「神」

それら2~5までを、すべてごっちゃにして、「神(ゴッド)」と、直訳理解してしまう、おかしさは、矢張り外国育ちの人には理解しがたいのでしょうね。

         ・

このことは、

ヲシテ文献を、漢字仮名混じりに、直訳すると、

何ともならない、いびつな物になってしまう、

まったく同様の「からくり」なのでしょう。

      ~   ~   ~

たとえば、『ホツマツタヱ』の39アヤの例を挙げてみましょう。

ヤマトタケさん(日本武尊)の、おこないになられた論功行賞のところで、

Kamokatominamezumu_1

この、引用文中の「かみ」の言葉は、

わたくしなら、「ウタの大切さを良くご存知の、古代の偉人」と理解します。

何故ならば、引用文を現代語に要約しますと、

「ヤマトタケさんの連歌に、ちゃんと返し歌を捧げた人には、クニ(村)がご下賜されました。 みやげ物の運搬に労力を使った人には、報償金だけが下賜されたのでした。

不満に思っていた、 みやげ物の運搬に労力を使った人たちが、

連歌の歴史についての講義を受けて、思わず口について出た言葉が、

『キミ(ヤマトタケさん)は、<かみ>か!』 と、みんなで声を揃えていたのでした。 こうして、ヤマトタケさんの偉さに改めて感動したのでした。」

の、ような内容であるからです。

ちなみに、連歌の返し歌を、捧げえた人物は、

かの、有名な秦の徐福の子孫で、日本名が「そろり・よすな」と言うのでした。

帰化人に、また、帰化人の子孫に、ヤマト文明に造詣の深い人が出るのも、面白いことです。

           ・

それにくらべて、

この、引用文中の「かみ」の言葉を、「神」と直訳したら、

変ですよね。

そのような誤訳の、積み重ねが、「秀真伝(直訳・誤訳ホツマ)」です。

「秀真伝(直訳・誤訳ホツマ)」は、すべて、廃棄処分にするべき代物(シロモノ)であることは、幾人かの人には理解されつつあります。

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2006年8月11日 (金)

洞ヶ峠の、筒井順慶の墓所、近くにはスガタひめの神社

古来、筒井順慶(1549~1584)の洞ヶ峠(ほらがとうげ)のことは、良く知られています。

たまたま、

スガタヒメさんの神社近くを、参拝のためにテクテク歩いていたら、

ひょっこりと、

順慶の墓所に出くわしました。

Jyunnkeibosyo_1

立派な五輪塔です。

Jyunnkeibosyonohi

洞ヶ峠(ほらがとうげ)のことは、どうも、史実としては誤伝の様相が強いようです。

でも、

洞ヶ峠(ほらがとうげ)、と聞くと、どうしても、日和見・裏切りのイメージを感じることになってしまいます。後世に、自分自らの名前を残すには、出来ればよいイメージにしたいものだと思いました。

筒井順慶の城跡の石碑もありました。

Jyunnkeinosiroato

奈良の近鉄の、筒井(つつい)駅から歩いて5分ぐらいの所でした。

知らないことって、本当に多いものです。

Tutuijyunnkeinosiroato

赤い四角が、順慶の城跡です。

順慶の、墓所は、ここから南に2Kmほど、最寄の駅は、近鉄の平端(ひらはた)です。

筒井順慶の墓所を、さらに東に行きまして、佐保川を渡ると、菅田神社もあります。

Photo_150

上、佐保川(さほかわ)

Sugatajinnjya

菅田神社は、スガタヒメさんの、お父上の神社でしょう。

菅田神社は、60か村以上もの、総社であったと記録する書物もあります。

   ~   ~   ~

さて、

主の目的は、スガタヒメさんの方の事でした。

そもそもの本題は。

Sugatahime1_1

スガタヒメさんは、とっても聡明でご立派なお人です。

わたくしの、尊敬・敬慕する姫君でもあります。

10代アマキミ(後に言う天皇陛下)の、兄の方の(二朝廷並立時代)

ホノアカリさん(アスカきみ)のおキサキさんとして、入内なさっておられました。

それが、スガタヒメさんです。

ミソギ場として、使っていたアスカ川の川辺を田圃にと作り変えたのは、

これは良くない。

と、

夫君でアマキミの、ホノアカリさんに、諫言を申し上げたのが、

スガタヒメさんでした。

Sugatahime2_2

残念なことに、

ホノアカリさん(カグヤマ ヲキミ)は、諫言(いさめ)を聴いて下さることはありませんでした。

スガタヒメさんは、離縁されてしまいます。

そして、お父君の、近くに閑居なされたのであろうと、

わたくしは、推測するわけです。

         ・

神社の写真を掲げましょう。

Sugatahime4

社殿は、赤く朱色で温かみを覚えました。

Sugatahime_1

ちょうど、満月でした。

旧暦の7月は、

祖先の人を想う季節でもあります。 「あふみ つき」は、ヲシテ時代の言葉です。

そこで、ウタ(和歌)が出ました。

Sugatahimeuta

       ~   ~   ~

真名さんが、新たなテーマで連載を始めておられます。

紀子さまの、ゆかりのお花の、

ランの花「プリンセス・キコ」のよい写真も掲載して下さっています。

ご安寧にてのお祝いを申し上げることになりますよう、

ひとえに、お祈りいたしております。

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2006年8月10日 (木)

秋の、初めの満月

旧暦の7月は、もうアキ(秋)です。

Afuminomoti

さえざえ と  、満月の月明かりは、いつもそうですが、

特に、アキ(秋)に入った初めの時は爽快感に勝ると思います。

古来、電気による照明のなかった時代は、月明かりのあるなしで、

夜の行動が大きく影響されました。

満月ですと、月明かりで夜っぴきのお祭りも出来ます。

ちょうど、

7月の満月は、涼しさも感じられて、

祖先の人たちを思う、季節でもあります。

現代では、盆踊りといいますが、

仏教の到来以前の縄文時代からずーっと行われてきた行事です。

Photo_147

  あふみ・先ず   フメを やわして

  カゼとなす    ゆみはり に うむ

  イウ と アサ   ヲ と タナハタ の

  ほし まつり   もち は みをや と

  いきたま に   ゑな の はすけ の

  メ ヲ あえば  あおぎ おどりて

  い を うくる

        ・

ひらがなに、変えるのも難しさを伴うのが、ヲシテ時代の言葉です。

ヲシテ時代では、助詞の「を」は、ア行の「お」を使用します。

また、ヲシテ(縄文文字)の特殊文字が、消えてしまうので、

意味不明に陥ってしまいます。

どうぞ、元の文字、ヲシテ(縄文文字)でお読み下さい。

ここに、わたくしたちの国の本当の自覚が根っことなって磐石のものになると思うのです。

いま、引用した、『ミカサフミ』の最初の行の、

「アフミ」は、

‘アキ(秋)の爽やかさの感じられるようになった、ふみつき(7月)’

を意味します。「アフミ」の「ア」は、ぐりぐりの「ア」ですものね。

また、最後の行の、

「イ を うくる」とは、「イ」は、心のことです。

和漢同時に、偶然同じ発音であったようです。

            ・

たま まつり(祖先の尊崇)のことは、

『フトマニ』にも、記載があります。

Photo_148

メガ、とは今に言う‘みょうが’のことです。

『大言海』には「めうが」に出ます。

‘みょうが’を食べると物忘れすると、言われる慣用句のいわれは、

縄文時代からの、はるかな記憶から来ているようにも思えます。

      ~  ~  ~

‘タナハタ’や、‘たま まつり(祖先の尊崇)’など、縄文時代から連綿と受け継がれてきた年中行事の、その目的は、『ミカサフミ』に明記されていました。

Amewosiru_1 

つまり、

天地運行のリズムを、実感することに大きな意味があったのでした。

縄文哲学は、わが身を天地のリズムに合わせることで、

健康を得て、更なる楽しみに向かうためだったのでした。

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