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2006年4月 8日 (土)

池 大雅 (いけの たいが)の、絵

池 大雅(いけのたいが)の、絵はとても人気があります。

   ♪   ♪   ♪

もう、時効になっていましょうか、

松本善之助先生から、

池 大雅(いけのたいが)の絵に、まつわる話を聞いたことがありました。

わたくしにも、思い当たることがあったので、

この話には、思い出深いものがあったのでした。

   ~  ~ ~  ~

じつは、わたくしは、

骨董の趣味が、昔からありました。

そんなことで、池 大雅(いけのたいが)の絵を手に入れた、

そんな、ことがあったのです。

いわゆる、「掘り出し物」。

で、通常の通り相場での、そんな、高額だと、

わたくしには、手に入るわけも無いのですが…。

いわゆる、「掘り出し物」だったため、

なんとか、手に入ったのでした。

さて、 これを、売って、出版資金に…。

と、皮算用が頭の中にめぐっていたころのことでした。

偶然にも、

どういう拍子か、松本善之助先生との、

やり取りの中で、

「昔、池大雅の絵を貰ってねー」

それを、賛助資金にという、篤志家の人が有った、

とのことでした。

ところが、ところが、

なんと、せっかくの池大雅の絵は、

「贋作」。

「悪くて、言えなくてねー」

と、おっしゃっておられました。

池大雅の絵には、本当に贋作が多いのです。

   ~    ~    ~

「へー」

てなもので、聞いていましたが、

早速、家に帰ったら、

「掘り出し物」の池大雅の絵を、調べに調べました。

落款やら、なにやら、本当に良くできているのです。

書籍で調べた、落款と、相違が無い。

ところが、

なのです。

絵の、それ自体に、

なんだかちょっと、力が無いのですよねー。

もともと、「掘り出し物」購入時にも

幾分は気に掛かっていたのですが…。

    ・   ・   ・

この、池大雅の絵は、

今も、押入れの中に、突っ込んだままになっています。

こんな事からなのでしょうか?

わたくしは、

何でも、現物の、本物に当たってみないと、

気が済まないのです。

出来うる限り、オリジナルに近づく。

ヲシテ文献にしてもそうです。

完成した時代、成立した姿に出来るだけ近づく!

さらに、  さらに、

究極のオリジナルとは、

作者の心ではないでしょうか?

2006年4月 7日 (金)

本居宣長の功績 ・ 富永仲基の顕彰

本居宣長は、

多くの事跡・功績を残してくれていると思います。

それらの中で、

あまり知られていないのが、

富永仲基の著書を後世に残したことがありました。

これは、平田篤胤の、奔走を促したことにつながるのですが、

なにはともあれ、

富永仲基の、著作の保存に多大な功績を残す結果に

なったことは事実です。『玉勝間(たまかつま)』の中で、

絶賛の賞賛の言葉を、述べていなかったとしたら、

はたして、富永仲基の著作が残ったかどうか?

ほんとうに、危ういところでした。

当時でさへ、平田篤胤は、探索に非常に苦労した、

と言っていました。

  ~   ~    ~

ぜひ、宣長の書いている文章を、お読み下さい。

『玉勝間(たまかつま)』の、8の巻の、中ほどにあります。

富永仲基の学殖の深さに高い評価を与えています。

きっと、『出定後語』も読んでみたくなると思います!

   

大絶賛された、

富永仲基は、ミチ

の、根本について優れた洞察力を

むけたのでした。

『出定後語(しゅつじょうこうご)』には、とっても優れた考え方が、

まとめられてあります。

わたくしは、両手の指で間に合わないくらい、

何回も読んでおります。

現代に、最も良い解説書を刊行してくれたのは、

出版社の、

隆文館です。

隆文館からの刊行本の、『出定後語』(富永仲基)が、

いま、どこかへ、雲隠れしていてしまったので、

もう一冊購入しようと思うのですが…。

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縄文日本の輝きを取り戻そう!

ご声援くださるお方は、クリックを!

本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で!

http://blog.with2.net/link.php?290290

2006年4月 6日 (木)

特許事務所で…、 宣伝のこと

文字形の意匠登録をしよう。

ということになり、

特許事務所では、
めぐり合わせも良くて、本当に親切にしてくださいました。

その、親切ついでに、
「もっと、ヲシテのことを、宣伝してくださいよ」
と、
特許事務所の担当の美人の人から言われてしまいました。

でも、
そう、
できるだけのことはやってきたつもりなんですけど…。
ほんとに、わたくしひとりでは、微力なのです。

過去に、
新聞広告の、第一面の下の欄の、書籍欄にも、掲載しました。

    <全国紙の、2社に! 、Y紙・M紙>
    <地方紙には、かなりの量で!>

  さらに、

    <全国紙の、S紙は、地の記事として掲載くださいました。>

    <英字紙の、J紙は、書籍紹介で写真入りにして下さいました。>

それやら、月刊誌では、
『歴史街道』(PHP出版)にも、2ヶ月連続で
広告を打ちました。
でも、大きくは知られないのですねー。
先日、出版社から、そろそろ、広告の清算をと、連絡がありました。
せめて、皆様、
その、広告の感じだけでも見てくださいませんでしょうか?

Photo_6

ご安心下さい。

出版社から、今日、また連絡があって、

広告費は、今度の清算の時でよいとのことです。

Photo_55

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2006年4月 5日 (水)

要石 (かなめ いし)

松本善之助先生に、お供して、

鹿島神宮に

参拝に赴いた時のことでした。

鹿島神宮の、大鳥居の前の茶店で、お茶を

頂いていた時、

突然に、地震が来たのでした。

震度は、3ぐらいのものでしょうか?

地震慣れしていない私は、

怖さを覚えました。

東京にお住まいの、松本善之助先生は、

いたって、平気なご様子でした。

関東と、関西、なんとはなしの雰囲気の違いは、

このようなところから、起きて来るのでしょうか?

   ~    ~   ~   ~    ~

鹿島神宮には、 「要石(かなめいし)」

があります。 

これは、実は、地震避(よ)けなのです。

つまり、

「要石(かなめいし)」

のあったおかげで、地震が小さくなったとも、

考えられないことも有りません。

さて、「要石」

どう言ったら良いでしょう。

この

「要石(かなめいし)」

とは、

目に見えるところの石の頭は、小さなものです。

お鍋を、逆さまにしたような物。

ところがです。

江戸時代に、水戸光圀公が、

堀りに、掘って見たそうなのです。

ですが、いくら掘っても、石の底には掘り至らなかったと伝えられています。

なんと、その、掘りに掘ったのが、

七日七晩。  というのです。

黄門様にても、匙を投げる巨大さでした。

   ~    ~ ~   ~ ~    ~

「要石(かなめいし)」

本当の起源・所縁(ゆかり)は、

実のところ、

縄文時代にも溯るほどの、由緒がありました。

そうしますと、

「要石(かなめいし)」

ではなくて、

‘カナメ イシ’

と書く方が、より、適切ですね。縄文時代には、

漢字など無かったのですから!

   ~    ~ ~   ~ ~    ~

‘カナメ イシ’

の伝承が残っているのは、

鹿島神宮だけではなくて、

ほかにも多くあります。

鹿島神宮の近くの、

香取神宮にも有ります。

これは、ヲシテ文献にも、記載がちゃんとあったほどの、

由緒も正しきものでした。

  

これは、漢字の、渡来以前に溯れる、本当の、日本の伝統です。

 

Kanameisi1_5

現在の、詳しい、要石の状況などは、

こちらを、ご参照になってください。

香取神宮     (フツヌシさん)

 

鹿島神宮  (タケミカツチさん・ミカツチともいう)

そのほかにも、日本全国の各地に、

「要石(かなめいし)」

は、広がっています。

人間生活は、自然災害と、決して無縁ではあり得ません。

それは、常に、天然自然の恵みを頂いてこそ、

生活が可能になることのできるのが、

ヒト(人間)

であるためです。

天然自然と、どの様にして関わりあいを持つか、

このことが、極めて重要です。

シャーマニズムのような、いわば低レベルの関わり方が

縄文時代に一般的であったことは、有り得ない事実です。

「要石」に見ても、それが解かります。

地震を、どうやって

ヒトの生活に、小さな被害で済ませれるか?

これが、「要石」を、設置する考え方です。

現在、言われだしている、

「減被害・減災害」の考え方と、

同一だと、お思いになられませんか?

これって、単なる、シャーマニズムではありませんよね。

   ~    ~ ~   ~ ~    ~

   ~    ~ ~   ~ ~    ~

2006年4月 4日 (火)

うぐいす、の 和歌

あんまり、

何年ぶりなのでしょうか?

本当に良い、お歌を、

聞かせてもらえました。

実は、

わたくしの、女房の和歌なのですが、

本当に感動してしまいました。

女房は、

インターネットは、さっぱりですので、何も言わないと思います。

この場で、お広めさせてくださりますよう、お願い申し上げます。

    …  ∽  …  ∽  …  ∽  …

うぐいすの かわりてかわる

鳴き声の そのとしどしの

おもむきおぼゆ

浮世はなれ・大笑い

ヲシテ文献を、やっていると、
笑い話に事欠かない。
10年以上も、研究会に来ている人の、
職業を知らないままだったことがある。

それが判明したのは、
ある時のことだった、
松本善之助先生の奥様から
「あの、銀座のお店の人はお元気ですか?」
と、聞かれた。
ところが、わたくしには、心当たりがなかったので、
「え?」
と、言っていましたら、
その、銀座でお店を構えている人とは、
私の、自宅で開いている研究会に、
もう10年以上も、通い続けて来ている人のことだったのでした。

松本善之助先生も、
「ヲシテの話をしだしたら、キリがなく続いちゃうからねー」
と、あきれ果てておいででした。

Matumotosennsei

私の自宅で開いている研究会は、
人数も少なく、また、遠方から行きかえり両夜行便で通って
来てくださる人もあるのですが…。
よく、10年以上も、と、
お腹を抱えての、大笑いになりました。

2006年4月 3日 (月)

真実の、日本の独立

日本は、日本国は
本当に独立国なのだろうか?

そんな、疑問が投げかけられる、ことも
今、現在の時代にしてまでも、よくあります。
敗戦後の、戦後処理が、
完全に終了したとも言いがたいことであるからでしょう。

わたくしの、専門といたしまして、

外面的なこと、は、さておいても、
内面的なこと、
心の側面に限定しただけでも、
とても、
寂しくなります。
祖国の日本を、大切に思わない人がある。

こんな、
衝撃的な事実も現実であると申せましょう。
でも、本当に主体であるはずの大多数の、日本民族一般が
その心のよりどころを、
見出せないでいるのです。

このことを、
わたくしは、長い年月、憂い続けてきました。

   ・   ・ ・   ・ ・   ・   ・

記紀(『古事記』『日本書紀』)の、
原書が、
すでに、発見されているのに!     です!

この事実が、
どれほど大きな、衝撃であるのか、
本当に、理解した人は、
いまだ、
日本全国で、10人の指を数えるにも、満たないほどではなかろうか?
と、
わたくしは、覚っています。

 九州のお人

 岡山のお人

 四国のお人

 和歌山のお人

 伊勢のお人

(あれ!?    今までに、本を出している人は、

松本先生、と、

私、以外には 、  ありませんね。 )

もれて、忘れていたら、ごめんなさい。

このごろ、物忘れが、始まって…。

   ・   ・ ・   ・ ・   ・   ・

本当の、
真実の意味での
祖国・日本の独立は、
縄文時代の、高度な文明に、誇りを持つことに始まる。
わたくしの、この信念は
もはや、30年あまりにして、
固まりました。
もはや、いささかも、変化のしようもありません。

それで、
現代には、
ほとんど見向きも、されることもない、
縄文文字ヲシテの、復元と復旧に
心血を注ぎ続けてきていたのでした。
縄文日本の光輝を、どうしても、取り戻さなくてはいけない!

Wositenitikahi

どうぞ、
みなさま、
縄文文字ヲシテを、
お使い下さい。
日本の、真実の誇りを取り戻しましょう!

2006年4月 2日 (日)

物忘れ ・ ‘角筆’文献

日本民族は、物忘れが得意なことだと思う。

つい100年前までは、普通に使われていたことが、

現代では、忘れられていることも多い。

‘角筆’文献はその例として、(かくひつ)

最適だ。

‘角筆’なるものは、明治天皇の御物の中にも有るというのに!

Kakuhitu1_1

宇和島市の旧家に保存されていた、

象牙質の、美しい‘角筆’

18歳で亡くなってしまった「弥生」さんの遺品。

竹製や、木製が多い中で、象牙質の‘角筆’は、珍しい。

Kakuhitu2_1

‘角筆’で書かれた文字を撮影することは難しい。

以前、三重県の県立図書館で、四苦八苦しながら

撮影していたら、

「なにを写しておられるのですか?」

と、図書館の司書の人に、聞かれた。

ベテランで、優秀な、司書の人でさえも、

‘角筆’文献のことは知られていないのだ。

Kakuhitu3_1

宇和島市の旧家で発見された‘角筆’の文字。

右上の余白に、薄いくぼみ文字で「ボウシツ」とある。

見えるだろうか? 本物の現物を見ても、それと解かるまでに、

初めての人で、10分ぐらいかかる。(説明しても!

‘角筆’で書くのは、現代で言うと、蛍光ペンで忘備メモを書くようなものだ。

    ~  ~    ~   ~    ~  ~

‘角筆’文献のなかには、見ごたえのある美術品もある。

高野長英が、獄中で書いた、漢詩の手紙は、すばらしい。

高野長英(1804~1850)の壮絶な生き方を、如実に実感することが出来る。

それは、本物の実物でのこと。

高野長英記念館(岩手県奥州市<旧・水沢市>)に、

展示されているレプリカには、

その、伝わってくるものがない。

ほんとに、良くできたレプリカなのだが…。(‘爪書き’ともいう)

やはり、本物にあたらなくては、と思う。

所蔵家の了解が得られたら、

この場所に、

苦労して撮影した、

写真を公開出来ればと願っている。

それまでは、宇和島市でのゆかりの石碑で、偲んで頂ければと、

Takanotyouei1

   ~  ~    ~   ~    ~  ~

たった100年前の、

‘角筆’文献でさえも、忘れ去られ…、 だった。

そんなことだから、

2000年を溯るような、

ヲシテ文献のことが、サッパリと忘れられていても、

決して不思議なことではない。

   ∽   ∽   ∽

なお、角筆文献の研究については、

小林芳規先生が切り開いてくださっておいでであります。

『角筆文献研究導論』 (汲古書院) を、

是非、お読み下さいますよう。

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