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2006年4月 1日 (土)

やなぎ・さくら

Photo_5

やなぎ(柳)の新芽の、
若緑の小さな葉が、
うぐいすの、声の風にそよいでいました。

まだ・まだ、  さくらは、ほんの、ひとはな・ふたはな。
写真にもなりません。
さくらの代わりに、
『フトマニ』の28番目の‘項目’を、はなびら色にしました。

い そ の
いのそのは やなぎ さ
くら の こち よりも かす
み に もも の はなや お
そ ら ん

「いその」の項目は、
こころが、のんびりと…。
そんな、感じでしょうか?
<こち>とは、東の風で、氷を融かし行く力のあるものです。
<かすみ>は、現代では、黄砂が原因であると究明がなされています。
『フトマニ』は、即解しようとするとむつかしいですが、
そんなことは、頓着せずに、
親しみ、楽しんだほうが良いと思っています。

2006年3月31日 (金)

中山忠光卿のこと

中山忠光卿のこと、
書かれていて、拝見いたしました。
写真がよくありましたね。

有り難う御座います。

忠光卿の、辞世の和歌を
掲げます。

おもひきや 山田の案山子(かがし) 竹の弓
なすこともなく くちはてむとは

本当に、悲しい・無念のお気持ちが伝わってまいります。

光格天皇さんの御製のこと

御製のこと、貴記事のこと同感に思います。

そこで、

思い出しまして、

光格天皇さまの、御製を、掲げたいと思いました。

     ~ ~   ~   ~ ~

雨につけ 風に心を痛めける

民のしはざの憂を思えば

     ~ ~   ~   ~ ~

明け暮れも 絶へず心に忘れぬは

安かれと思ふ四方の国民(くにたみ)

     ~ ~   ~   ~ ~

天皇さまの、お名前の「仁」とは、

古いやまと言葉の「ひと」がもとで、

‘ひとつ・ふたつと、数え始めて、10までもの

総てのことに、お心配りをなさって下さる’

と言う意味でした。

ちなみに、‘ひとつ’の、‘ひ’。

それと、10のことを、‘とう’とも、‘と’も言います。

つまり、「ひと」とは、1から10まで揃ってのこと、

すなわち、天上・天下の総てのことを、

意味していたのでした。

説得のための遠征

日本武尊(やまとたけのみこと・『日本書紀』)
倭健命(やまとたけのみこと・『古事記』)
(本居宣長の手沢本にも、
<やまとたけ>と振り仮名がしてあります)

のことで、
説明すべき、ことは、
東北地方への説得遠征のことです。

つまり、
カンヤマトイワワレヒコ(神武天皇)の、
ヤマトウチ(九州から、今の、奈良地方に遷都されたこと)の、
その意味合いが、
征服なのか?
あるいは、やむなき、
討伐であったのか?

もちろん、ヲシテ文献で知りえる、正しいところは、
やむなき、討伐です。

ここのところを、はっきりと理解してもらうための、
遠征。
これが、東北地方への
ヤマトタケのみこと

日本武尊(やまとたけのみこと・『日本書紀』)
倭健命(やまとたけのみこと・『古事記』)

の、
説得遠征であった、という、事です。
もっとも大切な、遠征のこの意味は、
漢字文献の、『日本書紀』『古事記』に漢字翻訳された
その時点で、翻訳抹消されてしまっていたのです。

佐々井 祐清さんのこと

Dsc00681

ネットはちょっと知りたいと言う目的には、

とっても便利です。

でも、

ある意味、もうちょっと、の事も弁えねばとも思います。

佐々井祐清 (ささい すけきよ)さんのことを、

調べようとしたのです。でも、Webでは、ほとんど駄目でした。

というのは、

谷川士清さんの、「倭語通音表」の、

さらに、源流を溯ろうとすると、

佐々井祐清 さんに至るのです。

(谷川士清さんと、佐々井祐清 さんとの間が、

賀茂真淵『語意考』です。<単に『語意』とも言う>)

昔、

静嘉堂文庫で、

2回ほど拝見した『仮名遣拾芥抄』が忘れられません。

もっと時間を作って、ゆっくりと見ないと・・、 と、思います。

そのうち、に。

2006年3月30日 (木)

かく すれば  かくなるものと

かく すれば かく なるものと
しり ながら やむに やまれぬ
やまと たましい
 

ペリーの浦賀来航を聞いて、密航をしようとした
吉田松陰。(1830~1859)
ペリーも、その潔さに敬服したと言う。
当時の、密航は死罪が当然の定め。
後ろ髪を引かれつつも、引き渡さざるを得なかったペリー。
やがて、吉田松陰は、安政の大獄で、刑死する。

    ~   ~ ~   ~ ~   ~ 

実は、この和歌には、もとうたがあったのでした。

    ~   ~ ~   ~ ~   ~ 

なにゆえ に くだきし身ぞと
人問わば それと答えん
やまと たましい

谷川士清(たにがわ ことすが)
『日本書紀』の全巻の注釈書を、日本で始めて出版した
偉人です。

Dsc00633_1
あの、本居宣長(1730~1801)でさへもが、先輩として敬慕したほどでした。
それが、谷川士清。(1709~1776)
水戸藩や、あるいは、紀州藩だったら比較的に、
逆に安泰だったのかもしれません。
ではなくて、藤堂家の藩公と親しい関係があったため、かもしれません。
藤堂家としては、幕府の目が、怖かったのでしょう。
宝暦事件・明和事件に必然的に関わった谷川士清に対して厳しい処置が、
なされます。

Dsc00637
士清の没するのを待ち構えていたかのように、
嗣子の士逸(ことはや)を追放処分に処しました。
士逸(ことはや)さんも、出来る人だったといわれています。
宝暦事件・明和事件と、幕府はなりふり構わず自己防衛を進めました。

しかし、所詮は蟷螂の斧だったとも申せるのかも知れません。

    ~   ~ ~   ~ ~   ~ 

しきしまの やまとこころを
ひと問はば あさひににおう
やまさくらはな

そう言えば、今日、やまさくら の早咲きの樹に、
ひと花・ふた花、春が来ていました。
本居宣長のこの歌も、
谷川士清の和歌の、本歌取りだったのかも知れません。
あの世に行ったときに、本居宣長に訊いて見たいと、
ひとつの楽しみです。

2006年3月29日 (水)

ハガキ …、 「その3」

Photo_4 

          <国立公文書館所蔵の『ホツマツタヱ』写本>

もう、

かれこれ 30年以上も前になる。
松本善之助先生からの、ご指導は、
葉書が多かった。
今なら、さしずめメール、と言うところになるのだろうが。

一日に、3枚も
おハガキが、来る。
そのうちの、一枚に、「その3」と書かれてあるのだ。

想えば、
本当に、真剣に、ご指導を頂いていたことが
ひしひしと、感じられる。
朝に、投函してくださった、お葉書。
昼に、投函してくださった、お葉書。
晩に、投函してくださった、お葉書。

たしか、「その4」の
お葉書もあったような、記憶もある。
裏はもちろん、表にも宛名が小さくなるほどに、
びっちし!
どこから読んだらよいのか。
これがむつかしかった。

その、お気持ちを考えると、
今でこそ、良くわかる。
当時のことを思うと、
「申し訳ない」 の一言に尽きる。
そんな、試行錯誤の連続であったのが、
ヲシテ研究における、最前線の
事情だった。
わたくしなどは、物分かりの悪いほうなので、
愚直に進んでいった。

しかし、目先の利く人ほど、直訳に走り
誤訳に走り、墓穴を掘ってゆく道筋を辿ることになっている。もはや、100年後には、直訳の線はないだろう。

ヲシテ文献には、これを ‘キキスギネヂケ’と言う言葉で表す事例がある。
ハヤギキ(早、聞き)を喜ぶところの、間違い。 という。

『古事記』は、新しい

Photo

             <明け方の海上から、宮崎を望む>

明治には、品格の高い研究者が多く出た。
山田孝雄先生も、そのうちの一人に数えられる。

西欧文化の、流入の著しい時代にあって、
日本とは何か、
この問いに対して、真っ向から立ち向かっていかれた、
その、姿勢に感銘を覚える。

その、山田孝雄先生の、

仙台のご自宅の机の上に、
原稿用紙1000枚の、論文を積んで、可否を問うた人があった。
この人こそ。
梅沢伊勢三先生であった。

風呂敷包みの中の、1000枚の原稿用紙に、びッちりと
書かれた内容に。

「そういうことになるか」

と、山田孝雄先生は、つぶやかれた。

その1000枚の原稿用紙には、
「古事記より、日本書紀のほうが、内容的に古い」
ことが、事実の積み上げによって細論されていた。
いわゆる、
‘紀前記後’説である。
やがて、『記紀批判』(創文社・梅沢伊勢三)として、世に出る。

『古事記』に対しての、強烈な信奉者が多くあった時代、
その、大本山にも思われていた。
山田孝雄先生は、真摯なご姿勢であられた、と追想する。

     ~ ~  ~  ~ ~

文献に書かれた内容の、
細かな比較によって、その文献の成立時代がわかる。
この手法は、
ヲシテ文献にとって、
またさらに、有効性の発揮がなされることになった。

詳細な、内容比較を行ったところ、

もっとも新しいもの、 『古事記』

次に新しいもの、  『日本書紀』

最も古いもの、  『ホツマツタヱ』

  と言う、結論になる。

「そういうことになるか」

  と、

つぶやいてくださる、真摯なお方は尊い。

2006年3月28日 (火)

縄文文字ヲシテ の 基本文字

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くわしい、文字の意味などは、こちらにあります。

http://julian.way-nifty.com/nwk/

219文字の、ヲシテ(縄文文字)があります。

桜花忌のこと

Img_0704_2

早いものです。

松本善之助先生の、ご逝去から、もう4回忌になります。
今年は、縄文文字ヲシテのフォントの製作に、思いのほか
手こずってしまいました。
もう終わる、もう終わる…。  と、約5ヶ月の混戦でした。
このため、
4回忌の墓参には、段取りがつかなくなってしまいました。
昨年の、春、
三回忌の桜花忌の写真がありました。
これで、遥拝することにいたします。

松本善之助先生の、ご功績は、
ヲシテ文献の、位置について
これを見定められたことにあります。

記紀(『古事記』『日本書紀』)の、原書が『ホツマツタヱ』である。


『ミカサフミ』も『フトマニ』も、同一の尊いランクの書物である。

この言葉の、重さに付きまして、
あらためて、
想いを馳せることになりました。

2006年3月27日 (月)

うた(和歌・短歌)は、こころ を 清くする

日本人だけでしょうか?

これほどの、お風呂好きは。

外国での噂に、日本人のお風呂好きからくる、トラブルを小耳に挟むことがあります。

古来、

ヲシテ(縄文時代)の時代から、

「体を清むることは、禊で」

と言ったことが伝統的に伝わってきていましたから、相当な清め好きであるのです。

日本人は。

ここで、

皆様にお伝えしたかったことは、

「こころ・からだ」

このふたつのことです。

「こころ・からだ」のうちで、

 ‘からだ’のほうは、禊(みそぎ・お風呂)で清めたとしましょう。

でも、もうひとつの、

 ‘こころ’のほうは、どうしましょう?

          …

わたくしなどは、田舎暮らしですので、

ウグイスの声を、

今も聞きつつ…

です。

どうぞ、お歌(和歌・短歌)を、お詠(よ)み下さい。

ウタ(和歌・短歌)、こそは ‘こころ’を清めてくれます。

みなさまの、投稿を、お待ちしております。

誤訳のひどさ

Goyaku

時代が、違うと、

言葉に含められた、意味がまったく異なっています。

古い、それも、漢字以前にも溯る時代の言葉を、

現代語の漢字の言葉に、直訳しようなんてことは、

まったくもって、ナンセンスです。  誤訳です。

ヲシテ(縄文文字)、で読んでください。

本当の尊さ・日本の大切さが、見えてまいります!

国のいしずえ(基礎)

近来、

明治時代以来、

考古学の研究成果には、目覚しいものがあります。

日本列島には、世界に先駆けての、縄文土器を作り・活用していた文明があったのです! その歴史、1万年を越します。

漢字が、流入してから、日本に文化が出来たなーんて、

こんな、の生えたような常識には、だんだん見向きもされなくなってくることです。

それでは、

日本の真実とは何か?

記紀(『古事記』『日本書紀』)の、原書が、発見されたのです!

とにかく、そこに、日本歴史の基礎を定めなおすべきなのです。

ここで、ちょっと、注意してもらいたいことがあります。

漢字の、流入以前の日本のことを、知ろうとするのですから、

漢字に直訳しよう、なんて、ゲスの考えだけは、ナシにして下さい。

記紀の誤訳の、ニノマエです。 そんなことは、やめてください!

    ?  ?  ?  ?  ?  ?  ?

それじゃ、どうするの?

このために、パソコンで使える、縄文文字のフォントを

製作しました!

本当の、日本の独立は、

縄文文字を取り戻して、こそ、です。

思いつめてきていて、30年を過ぎました。

涙ぐましい、その成果を、

どうぞ、みなさま、

存分に、ご活用になってください。

縄文文字ヲシテの、ダウンロードは、こちらからどうぞ。

日本ヲシテ研究所

縄文時代、縄文文字ヲシテの復活!

やっと、パソコン用の文字フォントが完成です。

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筆どころ、中国山地の熊野地方の、筆匠の特別の腕によりまして、

なんとか、納得のできる筆が完成しました。

やっと巡りついた強靭な毛の腰の強い、

「山馬(さんば)」の毛は、もう、輸入禁止(ワシントン条約による・希少動物保護)になっています。すごく、高価になって来てしまっています。もう、買えませんかね?

紙も、特別の、新規開発の和紙があって、こそでした。

特別の和紙は、鳥取県の山奥、東郷町の紙匠の製作です。

    …      …      …

  縄文文字ヲシテについて、

       説明を、しましょう。

漢字以前の日本で、縄文時代から使用されていた文字、これを、ヲシテといいます。
ヲシテは、文献として、五七調で、12000行余りが、発見されています。
ここに、縄文哲学が、はっきりと読み取れます。
縄文時代から、日本は、文明国であった。
縄文時代の前期での、国家建国が確認できます。
「古事記」「日本書紀」の
原書 の発見は、歴史評価に大きな変革を招来します。
日本の未来を見定め、
ヲシテ文献 の発展を進める。
それが、
日本ヲシテ研究所です。

パソコン用の、文字フォントの、配布(無料)を始めました。

       ・

とりもどせ むち(6000)年(とせ)ぶりに

湧き立つる ちからヲシテは

ひのもと(日本)の もと

        ・

本当の日本を知るには、縄文時代の高度な文明にまで、

ヲシテの世界に

溯ってこそ。 と、信じます。

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