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« 破裂音の「ぱ」や「ぴ」のこと | トップページ | 「ヲシテ」と言う言葉について、ヲシテ文献の言葉について。 濁音の「ヲシデ」は間違いです。 »

2006年12月21日 (木)

縄文哲学が、これから、どうして必要か?

ヲシテ文献を、

じっくりと読みますと、宗教と言うより、

哲学に裏づけされた、高度な文明の姿が読み取れます。

これが、‘縄文文明’とわたくしの主張しておりますことです。

         ・

この、‘縄文哲学’こそが、

将来の日本はもとより、世界の将来にとりましてことさらに重要な案件になるわけです。

    ~   ~   ~

一般に、

人に、道や道徳を馴染ませるものとして、「宗教(Religion)」がいわれます。

そこで、現今では、

日本人は、仏教か、近頃ではキリスト教なども、また、伝統を尊ぶ気持ちの強い人などは「神道」というところに向かうことになります。

でも、

でもですね、それは、結局のところ‘対立’にしか過ぎないのですよね。

「宗教(Religion)」では…。

            ・

えー?

と、 お思いの事でしょうね。

でも、

「神道」が確立してきたのは、実のところは8世紀以降の事なのです。

えーっ?

こんどは、もっと驚きの事でしょうね。

            ・

仏教や、あるいは儒教など、外来のいわゆる「宗教(Religion)」の伝来・導入によって、この刺激から、

はじめて、

日本独特の伝統が、何となく形となってきただけのもの、それが「神道」なのでした。

だって、「神道」の読ませ方でも、考えてみましたら、怪しげなものですよね。

漢字読みの「シンウ」を、わざわざ。「シンウ」だなんて、清音に読ませるのですから、樹に竹を接(つ)ごうといった、涙ぐましき事です。

     ~   ~   ~

ところが、どっこい、

これを、ひっくり返してしまいませんか?

「宗教(Religion)」よりも、

「哲学」の方が、より普遍的であると思うのです。

世界各国、の人々に大きな摩擦は起きないと思うのです。

しなやかなる、‘縄文日本’本来の哲学でこそ…。

「宗教(Religion)」であれば、そうは無風には参りませんよね。対立を惹起するからです。

つまり、‘日本’特有の無色透明のような、

そんな、この、

本来からの‘縄文哲学’として、縄文以来の‘日本’文明を再認識しますと、

その、しなやかな‘文明力’こそは、世界に類を見ない強力で、強靭な力のある文明力だったのです。 柔・よく豪を制するとも言いましょうか? ちょっと見には、頼りなさそうではあるのでしたが…。

つまり、

本質としての‘日本’は‘縄文文明’をもってしてこそ、

向後、世界に対して大きな貢献をなしうる。 と謂える。

このような構図を画いております次第です。

縄文日本の輝きを取り戻そう!

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本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で! 

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