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2006年9月21日 (木)

「‘あめ’を 知る」 ヲシテ文献の、‘あめ’とは…

ヲシテ文献の‘あめ’とは、如何(いか)にも、

縄文日本の、ビッグワードです。

Photo_181

漢字国字化時代に、降(くだ)って、

‘あめ’は、「天(てん)」と言う言葉に も、格落(かくお)ちされて表現されました。

‘あめ’から、「天(てん)」へは、格落ちである。

と、このように

わたくしは、考えます。

           ・      ・

縄文日本の、高度な文明では、

「あ」・「め」と、

それぞれの、この2音が、‘漢字’の持つ意味内容よりも、もっと、高度な哲学を包含している。

これが、‘あめ’の “やまと ことば”です。

本当のところは、‘漢字’より、‘やまと’のほうが哲学的に高度であった。

この、事実の認定を、再認識して頂きたいと思います。これは、ヲシテ文献ありてこそ、初めて解かる事実です。詳しくは、『ホツマ辞典』の「アメ」の項目を、ご覧下さい。(さらに、ここ数年にて、解釈が進みつつあります、『ホツマ辞典』の改定版には、加筆をしたいと思っています)

つまり、

漢字文化での哲学的な把握のなされ方よりも、

‘やまと ことば’での縄文文明のほうが、さらに、さらに高度な哲学を包含しているのですよね。   冷静に見ましても…。

       ・

こんなことです。

現代の常識では、‘ひらがな’より、

‘漢字’が高度である、と  思いつめてきていました。

ところが、

実のところは、この事は、大きなる誤謬に属する、  と、

そういうことなのです。

“漢字”のChinaより、実のところは、“かな”の‘やまと ことば’の縄文日本の文明の方がとっても高度であった。

この、事実についての、再発見・再認識です。

縄文日本の文明の素晴らしさは、世界でも、最も最初の土器の製作・活用にも見出すことが出来ます。

このことは、

‘やまと’の、 古代の縄文日本に、高度な文明が成立していたのです。

でも、

それは、

余りにも高度であったため、一般の人には極めて難解なるがゆえに、

「漢字」の表記法などを受入れたと、

巨視的に見ての、8世紀頃付近の歴史の把握として、一考あるべしと、考えます。

真実の扉が、開かれることになります。

         ・

このことは、

余りにも、大きな誤謬の転換期です。

どうぞ、

お気持ちを、しっかりと なさってくださいますこと、

この事のみを、

祈念いたし続けております。

縄文日本の輝きを取り戻そう!

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本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で!

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