2019年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

最近の記事

おすすめ

最近のコメント

フォト

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« ‘あもにふる’の、書 | トップページ | 『万葉集』 982番の訓(よ)みについて »

2006年8月 1日 (火)

縄文文明を理解するための、ある種の覚悟

『定本ホツマツタヱ』の、序文(緒言)にも書いた事ですが、

縄文文明を理解するためには、

ある種の覚悟が必要になります。

Photo_145

つまり、記紀(『古事記』『日本書紀』)の原書の発見がなされた。

この、事実について、真摯な態度での理解があるのかどうか?

          ・  ・

ここに、

充分な理解がないと、

従前に行われていたような、漢字文献の記紀(『古事記』『日本書紀』)を

もととした、歴史の常識と見比べるような、そのような態度をとる事にも繋がる。

このような、基本姿勢は、ある意味不遜な態度であると、わたくしには思えるのです。

翻訳前の原書のヲシテ文献を軽んじて、誤訳後の記紀(『古事記』『日本書紀』)を重んじる。

これは、いわば逆転の価値判断であると、このように考えるのは、私の間違いなのでしょうか?

           ・

「土俵を変えるのだ」  とは、松本善之助先生のお言葉でした。

このことを、『定本ホツマツタヱ』の緒言では、次のようにまとめておきました。

Photo_146

誤訳前の原書こそが、最も尊ばれるべきだ。

この覚悟に、至らなければ、何にもなりません。

縄文日本の輝きを取り戻そう!

ご声援くださるお方は、クリックを!

本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で!

« ‘あもにふる’の、書 | トップページ | 『万葉集』 982番の訓(よ)みについて »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 縄文文明を理解するための、ある種の覚悟:

« ‘あもにふる’の、書 | トップページ | 『万葉集』 982番の訓(よ)みについて »