日本民族の根底の問題、記紀の価値は高いか?低いか?
ヲシテ文献が発見され、研究が進んできました。
記紀(『古事記』『日本書紀』)との原文対比の書物の『定本(ていほん)ホツマツタヱ』を、
使いこなしてくださる人が続々と出現しています。
・
そうしますると、次の段階に差し掛かります。
それは、古代史のおける漢字文献というものの、冷静な視点での見直しです。
記紀(『古事記』『日本書紀』)には、一体どの程度の価値があるのか?
(ただし、『日本書紀』は、12代景行天皇54年秋より以降については、国史としての位置づけが出来ます。)
こころを、特に冷静にしてお考え下さい。
~ ~ ~
1、
記紀(『古事記』『日本書紀』)の原書が、ヲシテ文献(『ミカサフミ』・『ホツマツタヱ』・『フトマニ』)であること。
2、
『ミカサフミ』・『ホツマツタヱ』・『フトマニ』から、記紀(『古事記』『日本書紀』)に漢字翻訳された時に、誤訳が多く、また、翻訳削除個所が約50%程もあること。
~ ~ ~
この、2点の事実から、どの様に考えるべきでしょうか?
記紀(『古事記』『日本書紀』)などの、古代史においての漢字文献は、その価値が極めて低いと言わざるを得ない。
(ただし、『日本書紀』は、12代景行天皇54年秋より以降については、国史としての位置づけが出来ます。これは、高い価値を有します。)
このように私は、考えます。
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