「たつ」とは何か? 漢字以前の自然神とは? その5
ヲシテ時代(漢字以前の日本)の自然神の「たつ」には、人々は尊敬の念を持っている事が解かりました。
でも、単純に尊敬の念ばかりでもなかったのですね。
つまり、
他の自然神の起こした事象の事で、ひと悶着があったときに、 人と自然神の間の位置関係が判明する事例があります。
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このとき問題になったのは、他の自然神の「うつほ(気体)」の「ウツロヰ(うつ ヲ カミ)」の起こした災いでした。10代アマキミとなられる、ニニキネさんの青年期の時に、「うつほ(気体)」の「ウツロヰ(うつ ヲ カミ)」が災いを及ぼしたのです。せっかく、ニニキネさんの新宮の完成があったというのに、なのでした。
『ホツマツタヱ』 21アヤに出典する、故事です。
新田の開発に、その、みこころを熱くなさっておられる、ニニキネさん(みまこ・アマテルカミのお孫さんに当たられるので)。
新田開発の拠点になるのが、「にいはり」の新宮殿です。
いまの、茨城県の筑西市(ちくせいし)の古郡(ふるごうり)に、位置します。
「にいはり」の新宮殿の完成が報告されますと、居ても立っても居られません。ニニキネさんは、夜中にご出発なさいました。
古くから栄えていた、「つくば」のミヤ(宮殿)から、北西の方向に御輿(みこし)は進みます。ちょうどこの日の日中には、御兄(おにい)さんのアスカ ヲ キミからも、お祝いが寄せられます。第一の重臣のフトタマさんを使者に遣わしての、祝賀です。
ニニキネさんのご一行は、筑波山付近から、北西の方向の「にいはり」の新宮殿に向けて進んで行かれました。
トサト(十里)来たところで、稲光を見ます。それは、「にいはり」の新宮殿の方であるのでした。
ここで、地図を見て見ますと、
今でも、十里の地名が残っていて、さらに、桑山神社もあります。
雷に、桑原桑原という言い草を、つい思い浮かべてしまいます。
茨城県筑西市桑山の地区です。 ここで、酒徳利に「十里」と書いた江戸時代ぐらいのを見かけました。頼んでは見ましたが、家宝だからと、譲ってはもらえませんでした。いくらでも、出します(ポケットはいつも軽いですが)と、言って頼んだのですが、お金ではないのです、よ、ね。 要は、信頼ですね。
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さて、折角の新宮殿に、落雷です。
ニニキネさんは、祖父のアマテルカミ(ここでは、アメ・アとして表現されています)に、事の次第を報告なさいました。
するとどうでしょうか。
あの温和でおやさしいアマテルカミが、「なさけなき (ウツロヰ・ウツ ヲ)やしろ ひしげ(毀してしまえ)」と、厳しい強い語調でおっしゃったのでした。
自然神というものは、人よりも下位に位置づけがなされていた事が解かります。
縄文時代・弥生時代の真実は、ここにありました。
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一方の、隣国の、
China(中国)の方での、「龍」の意味を見て見ましょう。
『説文』(『説文解字』ともいう、中国後漢時代の永元12年(100)頃、許慎が編纂した辞典)には、
「龍鱗蟲之長幽能明能細能巨能短能長春分而登天秋分而潜淵」
とありますように、
ヲシテ時代においての、「たつ」にあった働きの「防火・鎮火」
のことは、片鱗もないのが、
China(中国)の方での、「龍」の意味です。
(引用文の『説文』が読みにくいと、言われそうですので、大意を、付けます。
「龍は鱗蟲(うろこむし)の代表です。幽(かすか)にも出来、明(あきらか)にも出来、細(ほそく)にも出来、巨(おおきく)にも出来、短(みじかく)にも出来、長(ながく)にも出来る。 また、春分には、天に登り、秋分には淵(ふち)に潜る。」
と言うような内容です。 <龍>は、大した内容では、ありませんね)
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つまり、
ヲシテ時代の「たつ」の言葉に、
China(中国)の漢字の、「龍」を単純に当てるのは,
どう考えても、誤訳であると言うことになります。
誤訳はいけません、わが国の古代の尊さを、貶(おとし)める行為であるからです。
わたくしが、誤訳が許せないと、
このように叫ぶのは、間違いなのでしょうか?
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