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2006年8月 2日 (水)

『万葉集』 982番の訓(よ)みについて

本居宣長の『玉勝間』を見ましても、思うのですが、色んな所・色んな方面に、言及があります。 それが、また、とっても大切になる時があるのです。 例えば、富永仲基の事は、本居宣長の『玉勝間』があってこそなのですよね。 (平田篤胤が、この記事を読んで全国をくまなく探させたことから、富永仲基『出定後語』が消失寸前で後世に残った)

つまり、今は、そんなつまらない記事であること、と、思われるようなことでも、

それが、ひょっとして、未来に大きな種を埋め込むことにも繋がるかもしれません。  そんなことで、『万葉集』 982番の訓みについて、一言申し述べておこうと思いました。

   ~   ~   ~

山上憶良(やまのうえ の おくら)は中国に留学した、謂わば当時の超エリートです。洋行帰りといった方が、解かり易いでしょうか? 今風には…、でも、もはや時代遅れの表現ですね。 それは明治的でしょう ね?

留学がえりのエリートの目にも、貧しい人の哀れな生活は、痛ましいものだったのでしょう。

貧窮問答歌としても有名な、この『万葉集』の 982・983番の歌の、読みですが、

わたくしが、変に思ったのが、今現行の読み方についてなのでした。

考えてみましたら、『万葉集』の、本格研究は江戸時代に始まったばかりで、

ヲシテ文献研究と、左程の時間差も生じていないといっても、

(『万葉集』350年(契沖1640~1701)ほど、「ヲシテ文献」250年(溥泉1770頃・近代研究は、40年ほど)ほど)

あながちには、これは言い過ぎだとクレームをつける人がどれほど居るのかどうか?

そのような、現時点での状況であることだけを、お伝えしたいと思いました。

   ~   ~   ~

原文にこの、

初めのところが、

「風雑 雨布流乃 雨雑 雪布流波」

とあります。

この、読み方なのです、私が変だと思うのは。

現代、一般には、

「風まじへ 雨ふるの 雨まじへ 雪降るは」

と言うのが通説になっています。

でも、

わたくしには、どうもピンと来ないのです。

だって、5・7のリズムに合いませんから。  5・6では、調子崩しも甚だしい。

状況からして山上憶良(やまのうえ の おくら)が、そんな下手なウタは詠めないのです。だって、援助を求めなくてはならないのですから。調子外れの演歌では、誰も感動しませんよね。

「風まじへ(混じへ) 雨降るホリ(欲しい)の   雨まじへ 雪降るホリ(欲しい)の」

(雨が、風に混じってくるような大変な時、この時にこそ、欲しいもの。

雪が、雨に混じってくるような大変な時、この時にこそ、欲しいもの。

之こそが、…     と、  山上憶良(やまのうえ の おくら)の本心が貧者・窮者の言葉を通して語られてゆきます。)

このような、ウタの感じに、私には思えるのです。

        ・

そこで、調べてみました。

『万葉集』に、「」の漢字の読みが、その他の用例ではどうなっているのか? と。

そうしますと、「」の漢字を、「ほり」と言う‘やまとことば’に読んでいる例が、何と、34例あった事実に遭遇しました。

ちなみに、その歌の番号を記します。

12,12、164,340、403、560、686、778、975、984、1062、1104,1205、1282、1302、1318、1364,1391,1516,1724,1753、1943,2124,2358、2369,2381,2416,2592、2674,2682,2793,2868,2972,3237,3796,3813

どうでしょうか、982番の山上憶良(やまのうえ の おくら)の歌も、「」の漢字を「ほり」と読んでみても、悪くはないのかと思います。 

         ~   ~

全般的な問題としまして、

ウタ(やまとうた)での文法の面での解釈にも関わっても来るのですが、

西洋文法ではなくて、縄文時代からの源流に溯っての日本文法に依拠する必要があると、かねてからの、わたくしの信念です。

押し付けの憲法ではなくて、ちゃんとした自前の憲法が待ち望まれているような、事と重なります。

           ・

ヲシテ文献の出現の事は、

これまで、2000年近くにもわたっての、日本歴史の研究が、その一からの見直しを迫るべきものであるはずです。

このことは、ひとつ『万葉集』の読み方にも影響を齎すものです。

ここのところを、どうぞ、肝(きも)に深くお据えになられて下さいますよう、願っております。

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