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2006年4月29日 (土)

言葉は、世につれ、時代を語る

もうすぐです。  ホトトギス

の声を、今か、いまかと、楽しみにしています。

   ? ? ?

 と、 言いましても、

こんな田舎で暮らしている、近所の現代人でも、

   「?」 なのです。

「えー?  俳句の正岡子規って、居ましたよね」

   「はい、知ってます」 

「その、正岡子規の、子規って言うのは、ホトトギスの別名なのですよ!」

近所の人に、説明するのも大変です。

いつも、ホトトギスの声を、耳にしてはいるのですが…。

   ・ ・ ・ ・

「トーキョー、トッキョキョク  (東京、特許局)

と、鳴いている鳥の声を、聞いたことはありませんか?」

   「あ、それなら、知っています」

良かった好かった。話が前に進みそうです。

「それが、ホトトギスです。 ホトトギスの声です」

田舎に住んでよく耳にはしていても、それでも、

ホトトギスの声だとは、知らない人が、

なんと、8割近く・・・・、

そんな様に、感じています。

 ・ ・ ・ ・

でも考えてみますと、

‘特許’の考え方が日本に到来したのは、

明治時代に入ってからの事でした。

知的所有権なーんて、

今では、常識ですけれども、

西暦1474年、ベネチア共和国に始まった発明者条例の事など、

江戸時代では、唯一人として日本人の知るところではなかったのです。

そうしますと、

<トッキョキョク>

なんて言う事に、聞く事は、

明治時代よりも、以降ということになるわけです。

   ! ! ! 

でも、

明治時代以前に、ホトトギスは、

やっぱり鳴いていた筈ですよね。

『万葉集』の歌の中にも、

ホトトギスは、出てきますから…。

いま、勘定してみましたら、120首の多くにもありました。

一首を、例に掲げましょう。

Photo_21

ホトトギスは、気まぐれなので、

何時鳴くか、解かったものではありませんから、

大伴書持(おおともの かきもち)も、

気が気ではなかったのです、 ね。

「うちでは、よく鳴くので、遊びに来てくださいと」

せっかく友人を招いたのでしたが…。

その、とき、

『万葉集』の歌を読み返してみる時に、

<トーキョウ、トッキョキョク> (東京、特許局)

ホトトギスが鳴いていて…。

と考えるのは、

とっても変なことであると思うのです。

皆様に、おかれましては、いかがお思いになられますでしょうか?

でも、

ホトトギスの鳴き声は、

---トーキョウ、トッキョキョク---

と聞こえてしまうのですよね。

ほんと、いったん耳に付いたら、離れない。

それが、

---トーキョウ、トッキョキョク---

です。

本当に、ピッタシです!

  …   …   …

江戸時代、

ホトトギスの鳴き声をどう聞いたか?

ひとつには、

<テッペンカケタカ>

という聞き方もありました。

でも、

考えてみると、

テッペン”とは、「天辺」のことですから、

漢字の流入後の事でしかないわけです。

これでは、本当の、ヤマト民族の本筋にはとても辿りつけないのです。

   ・ ・ ・ ・ ・

何かの拍子のことです。

ホー、ト、ト、ギ、ッス

と、

そんな風に、

聞いてみましたら、なんと何と、そんなにも変でもないのですよね!

これは、

わたくしの、独自の、オリジナルの、

ホトトギスの鳴く声の聞き方です。

メトロノームを、76ぐらいにしてもらうと、案外に

ご支持が得られるのではないか?

そんなことを思っております。

そうしたことが、

もしものことで、

そうだな!

ということになってきましたならば。

ひょっとして、

縄文時代での、日本語の音韻の音価について

それを、確定せしむる上での根拠となしうる可能性も生じてくるわけです。

 &  &  &  &  &

ホトトギスの鳴き声のことから、

こんなちょっとした事からでも、真実の扉は開かれてくるやも知れません。

みなさま、コロンボ刑事のように、些細なことにも、お見逃しなく!

       ~  ~  ~  ~

また、また、

ちょっと思いついてしまいましたので、ひとこと。

“トコヨ クニ”と言う言葉があります。

日本の建国の最も最初の時代での、国号です。

日本の原初の建国は、縄文時代にあるわけです。

縄文時代においての、‘日本’の国家建国の事実があるにもかかわらず。

この、“トコヨ クニ”の国号について、

「常世国」と、あて漢字を、する人があります。

これらの人たちは、

ホトトギスの鳴き声を聞いて、

--- トーキョウ、トッキョキョク --- (東京、特許局)

と、縄文時代にも聞いていたと、直訳して、涼しい顔の人たちです。

同じですよね!  “トコヨ クニ”を「常世国」と、あて漢字にすることと!

          ・

わたくしに、よく聞かれるのですが

「鳥居さんとか、鏑さんとか、どう思われますか?」

こんな質問には、いつも、返答に困ってしまいます。

何も答えないと、不親切と、言われますし…。

それで…、

「付ける薬が無いのですよ」

仕方なく、こう答えるしかないのですね。 でも、いつも、変な顔をされてしまうのです、が。

どうしたって、このラインを、崩すことは、私にはできません。

たとえ、死を賜ったとしてもです。

だって、

縄文時代に、‘特許ッ局’

なんて言うわけ無いですもの。

いくら、ご気楽な気まぐれの鳥のホトトギスでも。

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2006年4月27日 (木)

もう、ナツ(夏)になります。 -季節感のことー

あすからは、

もう4月です。  そう、旧暦の暦のことです。

_

   -<卯の花が、まだですので、

          白い花・ヤマシャクヤクをお目にかけました>-

旧暦の4月は、もう夏です。

日本の古来からの季節感は、4月をナツ(夏)と

感じることに有りました。

うのはな(卯の花・うつぎの花)の白さがさわやかになる、月、

ですので、‘ウツキ’(4月)と呼ばれてきていました。

縄文時代からの、月の名称です。

      ~ ~ ~

旧暦と言うよりも、本当は、日本固有暦と言う方が正しい

事があります。

クワ(桑)の樹の、中国種の導入にもあったように、

暦についても、細かな改良については、中国暦の、

導入があったのですが、基本的な枠組みとしましては

縄文時代・弥生時代の日本古来から太陰太陽暦が

行われてきていたのでした。

     ~ ~ ~

太陰太陽暦は、高度で複雑な暦です。

太陽の一年の周期、365日あまり。

月の一月の周期、28日あまり。

これを、融合させる暦です。

異なる周期のものを相(あい)調和させるためには、

緩衝用の何かを設ける必要があります。

これが、‘うるう月’です。

8代アマカミの、アマテルカミの時代に、

太陰太陽暦の完成が、詳細な点にまで出来上がった。

そのように、ヲシテ文献にあります。

   ~ ~ ~

どうぞ、

みなさま、ヲシテ時代の季節感に!

と思います。

世の中には、

西暦の繁行について、危機感を持たれる人もあります。

わたくしは、

もっと、実際の生活に密接な、太陰太陽暦の活用について、

これも、申し上げたいと思うのです。

日本列島に生活するうえでの季節感は、

縄文・弥生時代でのコヨミ(暦)でこそ、シックリと来るからです。

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2006年4月23日 (日)

珍品のクワ(くわ・桑)の樹

いつも、朝から・晩まで、

くわ・くわ、と言っていましたら、

女房が、珍しい品種のクワの樹を、

見つけてきてくれました。

あまりにも、珍品なので、

ご紹介したいと思いました。

Photo_19

もうひとつ、あります。

Photo_20

クワの樹の、人の長命に寄与することは、

前に書きました。 →こちら

そこで、さらに詳しく、

クワの樹の歴史をもう少し省みましょう。

そもそも、日本にあったのが、ヤマグワの樹でした。

それで、縄文時代から、ずっとキヌ(絹・シルク)を、

作り、活用してきていたのでした。

ところが、

日本自生のヤマグワの樹は、

春に沢山の葉を付けてくれるのですが、

夏、秋には、ほとんど葉が使えないのでした。

そこで、8世紀頃から、

中国種の桑の樹の導入が始まったのです。

大きく、2回中国種の桑の樹が、日本に導入されています。

  ・  ・  ・

私の家には、2本のクワの樹があります。

1本は、日本の在来種の流れを強く受けている‘赤木’

の品種に、極めて近い樹です。

この樹は、春先の葉の繁りがとっても勢いがあります。

でも、真夏を過ぎる頃からは、

食せるような葉がほとんど出でくれません。

      ・

もう1本は、秋にも良く葉を出す樹です。

中国品種の‘十文字’の流れを強く受けている樹です。

この樹は、葉の切れ込みがとっても大きいのが特徴です。

でも、春先には、あんまり葉を繁らせてくれません。

  ~ ~ ~

春と、秋、2回も養蚕を行えると、絹糸の生産は、

うんと多く出来ます。

そんなことから、色々な品種の

クワ(桑)を導入して、また、品種改良も進めてきたわけです。

やがて、新品種と、

日本在来種との、交雑交配が進んで、

現在では、純粋な日本固有在来種のヤマグワは、

無いようです。

みなさま、もしも、珍品のクワの樹を、

お見つけになられましたら、

お教え下さいませ。

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2006年4月22日 (土)

知恵コブのこと、 昆布のこと。 三好屋昆布さんのこと。

松本善之助先生の、後頭部には、大きな知恵コブがありました。

写真を探したのですが、

知恵コブを、

わざわざ写したものはちょっと見当たりませんでした。

  ~ ~ ~

一昨年のことでした、

一周忌の、桜花忌の、

お参りの時に何の拍子か、知恵コブの話題になりました。

Photo_2

           <東京、桐ケ谷斎場にて、平成15年4月12日>

「みつるさん、にも有るんですよ」

女房が言いますと、

松本先生の奥様が、マジマジとわたくしのコブを

診られました。

そのときの、何だか変な感じを、どうお伝えしたら

よいものか?ちょっと量りかねてます。

「松本先生の知恵コブよりも、少しだけ中側に位置しているんです」

このように、わたくしがお答えしていても、

松本先生の奥様は、

ずっとまだまだ、診ておいででした。

  ~  ~  ~

あと1cmほど、中側に知恵コブのある人が、

現れてくださるかもしれません。

そうすれば、丁度、真ん中にコブがあることになるわけです。

     参考→ 「松本善之助先生の絵と書」

          「か は かみの… 」の松本善之助先生の書

      ? ? ?

へんな、コブの話に、お付き合い下さって、恐縮です。

コブのついでに、昆布の話をしましょう。

伊勢神宮の、お供え物にも昆布が良く用いられています。

『フトマニ』にも、ちゃんと載っていましたのです。

それはそうですね、『フトマニ』は、

アマテルカミ(8代アマカミ)による、ご編集にあられる、

大切なものなのですから。

Heyoro

昆布の形は、ホコ(後のツルギ<剣>)の形に、

似ています。

体にとって悪質のものを除外してくれる働きも、

何かしら、

相(あい)似ています。  ヲシテ時代での発音は「コフ」と、清音だったのでしょうね。水が、ヲシテ時代は「ミツ」であったようにです。外二点の濁点での濁音表記は、漢字国字化時代以降のものでしょうから。

へ よ ろ

へのよろは ほこ の し

つく と  みなれくさ  こぶ

も  うみべ に  なれや よ

ろ こ ぶ

  ~ ~ 

我が家では、羅臼(らうす)の天然ものを、

ずっと頂いております。

安価に、羅臼の天然昆布、これを入手できるようになったのは、

骨董の好みで、昵懇の知友の知り合いが出来たお陰でした。

大阪の、天六(天神橋筋6丁目)に、その良いお店があります。

ところがです。

いまも、気に病んでおりますのが、

今は先代になりましたが、骨董好きの知友のご主人さんの

その、ご葬儀に不実をしてしまったことです。

高齢でありましたので、仕方のない事なのでしょう。

じつは、丁度その日、怖い人の葬儀と偶然に合わさりましたことから、

気の弱い私は、上阪についてどうしても、恐れをなしてしまったのでした。

今にも悔やまれることです。

そのことが、今も気がかりで、

多めに注文しますが、

それが、かえって、おまけを沢山に入れてくださって、

かえって、恐縮するばかりなのです。

羅臼の、本物の天然もの、

(これが北海道でも、これほどのものはありませんでした)

これを、良心的にお分けくださるのが、

天神橋筋五丁目、三好屋昆布さん といいます。

おそらく、私の知るところでは、

良心的さ日本で一番の昆布屋さんであると、

思っております。

毎年、2~3万円ぐらいを、宅急便で送ってもらっています。

それのことで、

東京の百貨店で昆布を見て、驚きました。

その高価なること!

ここで、頼んだら、

一体いくらになるのか?  と、思いました。

でも、そこの高価なるその昆布も、と、

さらに、試しにと、一切買ってみたら、硬くて、ほとびなくて、

味は出にくいしで、ちょっとやそっとの驚きではありませんでした。

みなさま、昆布は、

良いお店でお買い求め下さいませ。

蛇足だらけになってしまいまして、恐縮、恐縮です。

また、わたくしの尊敬してやまない富永仲基の畏友に「三好棟明」さんがおられます。ひょっとして、三好屋昆布さんのご先祖に関連があるのかも?

そんなことを思ったりもしています。Miyosi1

『出定後語』に出ています。

富永仲基が畏友だという位ですから、どれほどか!

仲基も、早世に近いでした若さですから、共に本当に残念なことです。

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2006年4月21日 (金)

お陰さま、そして、プラス

「お陰さまで、」

この言葉の美しさを思います。

先人たちのお陰をもって、今がある。

感謝の気持ち

これを、持たない人のことを、

‘ハタレ’と、言いました。 ヲシテ時代でのことです。

しかし、色々と頭を打ったりして、

やがては、自分の間違いに気がつく時が来ます。

そして、

罪を悟った‘ハタレ’たちは、

改心して誓いました。

それは、〘ヲシテ〙に対して誓ったのです。Photo_17

さて、‘ハタレ’たちは何のヲシテに誓ったのでしょうか?

それは、

のヲシテ」ですよね!

日本の上代、それも縄文時代・弥生時代の、

国家の骨組みは、‘立憲君主国家’だったことが、

解かっています。

オカルトや・シャーマニズムなどではなかったのです。

ちゃんとした、国家理念に基づいた、

国家の建国が、縄文時代に、成し遂げられていたと、

判るのです。

‘立憲君主国家’

、‘立憲’とは、

上代における、いわば憲法と言うものが、

のヲシテ」です。

Photo_18

のヲシテ」の意味を、

一口で言い表すと、

「恵民立国」の言葉が、もっともふさわしいと思っています。

  ~  ~  ~

「恵民立国」については、

『ホツマ縄文日本のたから』(展望社)で、詳しく説明をしてあります。

なにかの、おついでの時など、結構多くの各地の図書館にも、

官費購入をして下さっていますので、ぜひ、ご高覧下さい。

  ~  ~  ~

また、

国家のレベルだけで「恵民立国」の精神を、

言い表すことは、実のところは、あんまり推奨できないのです。

それは、

個人個人の、係わり合いの、積み重ね。

これこそが、縄文時代にも溯る、国家建国の

おおもとの論理だったことがあります。

個人個人の積み重ね…、  です。

一口に、説明をしますと、

「恵民立国」とは、

わたくしたちが、日々の日常生活において、

行い続けている価値判断にも、適用できて言えることなのです。

「人様のためにも、何か良い事をしておきたい」

この心がけこそが、

縄文時代から、知らずと受け継がれてきていた、

日本民族の本来の原初からの ‘たから’

このように、強く信じています。

  ・ ・ ・ ・ ・ ・

そのあたりにつきまして、

A、B、C、と、分けてみました。

C、   ‘ハタレ’ のランクは、  “マイナス人間”

B、   感謝の気持ちを深くわかる人、 “悪くはない人間”

A、   ‘ト’の精神(トのヲシテ)に、目覚めた人、 “プラス人間”

『ミカサフミ』の、初めのアヤ(章)には、

いろいろな、

恵みに対しての感謝。

このことが、判り易く記述されています。

『ミカサフミ』を、熟読してみればこそです!

わたくしのように、大した者でない言葉など、

いくら連ねても、所詮は、解説文に過ぎません。

どうぞ、原文の雰囲気に!

と、お願いするばかりです。

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2006年4月20日 (木)

感謝のカード

先日、NHKの人気番組の「ご近所の底力」

で、マナーのことがありました。

そこで、

もっと楽しくやって行ければと。

感謝の、気持ちを表すことに、何かヒントを、と

カードを作ってみました。

Arigatou

使えるような、

そんなアイデアを、

「縄文文字ヲシテ手習い帳」に載せてます。

でひ、ご一読を!

順次、書きながらの公開です。

皆様におかれましても、何か良いアイデアの

お知らせを、お待ちいたしております。

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2006年4月19日 (水)

鶴は、千年

鶴は長生きだと、

古くから思われてきました。

Photo_16   

さらに、

さらに古く、

ヲシテ時代にも、ありました。

富士山の南麓、水の湧き出る池に、

住んでいた鶴は、長生きで、

千年の寿命がある… と、思われていました。

それは、長生きの薬草の

「ちよみくさ」の、根っこを食べているから … 。

「みずもわく、にわにすむつる、ねをはみて」

2006年4月18日 (火)

まじめさ の、判定基準

なにが、「まこと」か、

この認定の如何(いかん)によりまして、

なにが、「まじめ」か、

を、どう判定するかが、変わってきます。

H18413_2 

   ~   ~   ~   ~  

さて、わたくしが申し上げたいのは、

他でもありません。

記紀 (『古事記』『日本書紀』)の原書の発見があった。

と言う事実です。

これが、わたくしの、申し上げたい、

まこと」なのです。

  !  !  !

2000年近く、まったくの突如として、

降って湧(わ)いたようなことです、が。

事実は、事実であり、これは、真実なのです。

祖国の日本を、大切であると、

このように思う人であれば、

真実、つまり「まこと」を受け入れることが、

先ずもって、「まじめ」であると判定できることになります。

それも、

謙虚にです。

記紀 (『古事記』『日本書紀』)の原書なのですから、

それなりの、心構えが必要です。

    $ $  $  $ $

「漢字かな混じりに、直訳(誤訳)して、金儲けしよう」

なんて、ゲスだけは、やめて下さい。

お願いします。

オカルトになります!

これまでは、

ひどい人たちが、多くありました。

    ~   ~   ~

つぎに、

では、「まこと」に出合って、どう向き合うか?

の段階になります。

「一般の生活者」

この言葉が、今現在に、耳に柔らかな雰囲気を、

醸します。

でも、考えてみましたら、

やっぱり国家の中での、個人・そして共同体の一員、

その枠組みは、どの様にしたって変わることなどないのですよね。

例えば、一時は、「ディズニー」ランドの夜更かしに、

楽しんだとしても、

中東などの苦痛が100%なくなるわけでもありません。

そして、拉致の問題にしてもそうです!

では、

どの様にしたら、

世界に、本当の平和を齎して行く事が出来るのか?

わたくしたち、一般の人間が、そのしあわせな、日々を送ってゆけるのか?

この、

極めて、重要なキーポイントを指し示すことが出来る。

これが、「ヲシテ文献」なのです。

わたくしたち、日本民族の、本当の真価は、

縄文時代にも溯る国家建国の再確認にこそあります。

この、縄文日本建国の、真実の日本の国家形体の

論理だけが、単に日本だけではなくて、

究極の世界の平和に、大きな貢献を齎し得ると考えます。

      ~  ~  ~

それには、

どのようにして、ヲシテ文献と接してゆくべきか?

Soranarumonoha_1

の、心構えになって、ヲシテ文献をみる・読む・理解する、

これが必要だと思うのです。

‘ミノミハシラ ヲ ユキヌケテ’

とは、

つまり、虚心に、

自らの人格さえも無色透明にするほどの、無心の境地。

と言えるのではないかと、

わたくしは、理解しています。

ここに、判定の基準があるように、

ずっと、思ってきておりました。

Photo_49

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2006年4月17日 (月)

仮名遣いについて、‘縄文仮名遣い’への遡及

仮名遣いのことは、 (かなづかい)

説明するのも難しい。

   ・  ・  ・

そもそも、

「何でそんなの覚えなくっちゃならないの?」

この、疑問について、

わたくしの、敬愛してやまない、浅野信先生も、

つねに、頭を悩ましたおいででした。

文法も、そうであるし、

そのまた、小さなややこしい‘仮名遣い’なんて!   と。

教え子の、若い人たちから、

疑問が湧き出るのです。

噴出するのです。

  ~  ~  ~

でも、みなさま、

先日、佐々井祐清(ささい すけきよ)さん のことを書きましたら、

仮名遣いについての、トラックバックが来ましたのです。

結構、完全なる無関心でもないのかな?

そんな思い、をさせてもらいました。

ただ、

私の、立場と致しましては、

「歴史的仮名遣い」に、戻そうと言うのではありません。

もっと、もっと、

日本語の源流に、

それも、

縄文時代にまで溯ろうじゃありませんか!

縄文時代にこそ、まことの、日本語の活き活きとした、

オリジン(本当の源流・本当の故郷)がある!

このように、主張しているわけです。

そこまで、遡及してこそ、

日本語に本来ある輝きを取り戻すことができる!

Photo_12 

それは、

根拠として、

ヲシテ文献の研究を、

正面から突破してきました経過においての、

研究成果からです。

詳細は、わたくしの既刊の書籍にて、

どうぞ、ご検証のほどを、お願い申し上げたく存じます。

どうぞ、

「歴史的仮名遣い」などよりも、

もっと、もっと、日本語の源流に、

溯ろうではありませんか!

‘縄文仮名遣い’については、

現在、連載を始めました、 「縄文文字ヲシテ 手習い帳」にて、

触れて行きたいと思っております。

すぐに、解かるようにせよ、といわれても、

困るのです。

何故ならば、

ヲシテ<縄文文字>を覚えてもらうことが、

‘縄文仮名遣い’の説明には、

どうしても必要な前提条件なのですから。

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2006年4月16日 (日)

ルビ? どうして要るの?

縄文時代、日本のおいては、

‘縄文文字ヲシテ’ が、使用されてきていました。

これは、記紀との、原文比較をおこなった結果、

事実として、確認できるに及んだわけです。

~   ~   ~   

そこで、

‘縄文文字ヲシテ’

の古代での文字形を再現して

縄文時代に、その時代にまで遡及しようと、

長年にわたって、格闘し続けてきたのです。

何故ならば、現代に発見された写本は、

筆使いにおいて、漢字の文字形の雰囲気が

濃厚だったのでした。

それでは、崇敬してやまない、

アマテルカミのみこころに

近づくことが出来ない。

つまり、縄文時代においての、

その使用している実感に浸ることが出来ないからでした。

筆の特注・和紙を捜し求めること・墨の選定、

文字形についての、遡及の試行錯誤。

その、期間、実に30年余り。

使った金額、

ウン百万円。

爪に火をともす程とは、申しませんが、

自動車は、中古ばかり、新車は一度も買ったことがありません。

朝の食事は、

めざしよりも、質素で、煮干のジャコの酢漬け10匹です。

それは、なにより、

国家の、民族の、将来を切り開いてゆくための、

礎(いしずえ)を築きなおさなくてはならない。

この心積もりによってなのです。

~  ~  ~  ~

しかし、

実際に現代に使ってもらってこそ!

なのですよね。

こんなわけで、

無料配布の、文字フォントとしたのでした。

~  ~  ~  ~

それが、

こともあろうに、

「ルビ付きを、下さい」

という、メールが来ました。

   ~   ~   ~

特殊文字のヲシテが、はっきりと区別されねばならない!

そのためには、

どうしても、

縄文文字ヲシテを復活させねばならない!

   ? ? ?

この、私の主張につきまして、

完全な否定をしようと、

そのように、

いっているのでしょうか?

「ルビ付を、作れ!」 とは、

どうも、そのような、

毅然とした考えからでもなさそうなのですが…。

~  ~  ~  ~

とは言え、

わたくしの、

相当に大きな、

落胆のほどにつきまして、

どちら様でもよろしいのですが、どうか、

どうか、

ご理解くださいますれば、

と、

存じ上げますばかりです。

Photo_51

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2006年4月15日 (土)

縄文哲学は、活きている

縄文哲学は、現代にも活きている。

こういっても、

なかなか、この論調については、説明をしようとしても、

旨くには、語りにくいのが現状です。

    ~  ~ ~  ~ ~

新渡戸稲造の、『武士道』が、この頃、よく喧伝され始めました。

そこで、

『武士道』から見てみましょう。

新渡戸稲造は、米国人の女性を妻に迎えます。

とても美しい人で、あったと、写真で、拝見したのですが、

この米国女性から、よく言われたそうです。

「善悪の判断を、日本人は何の基準によって判断するのか?」

と、

また、

「どうして、それが良くないことだと、日本人は考えるのか?」

と。

それに答えるにもってして、

新渡戸稲造は、『武士道』をあてたのでした。

   ・   ・   ・

たしかに、ある一面、正しい判断だろうと、思います。

でも、

一般の庶民の日本人でも、善悪の判断基準は

持っていたわけなのですよね。

そうすると、武士階級だけで、

武士道精神を、独占していたとも限らないのですね。

事実、明治維新で活躍した人たちには、

武士階級には属していない人も多かったのです。

‘草莽’

と言う言葉がありましたよね。

「やむ  に やまれぬ   やまと たましい」

これは、町人階級で医者だった、谷川士清の、和歌の一節です。

Photo_8 

  ~   ~   ~   ~

山本七平さんの、「日本教」

という捉え方もありました。

これもある意味、真実でしょう。

日本には、古来から目に見えにくい形で、

何らかの規範がある。

それを、「日本教」と命名したのです。

「武士道」だけで捉えるよりは、より、真実に近いでしょう。

    ~   ~   ~   ~

ここで、

ほんの、近々のことに、

ヲシテ文献

発見がありました。

記紀(『古事記』『日本書紀』)の

原書として、ヲシテ文献の位置を

認識しますと、これまでの日本歴史においての

把握のなされ方が、根本的なところから、

違ってきます。

つまり、

これまでは、

解かりにくかった事々について、目の前の鱗が、

とれたように、即解できるのです。

その、ひとつが、縄文文明・縄文哲学のことでした。

実のところ。

漢字の渡来するずっと以前から、

日本には、 ‘縄文哲学’が確立されていた。

そして、これこそが、現代日本人に、も、

根底としてある、規範だった。

だから、こそなのでしょう。

どんなに、大きな文明・文化でも、

‘日本ナイズ’にしてしまう、

こんなことが、起き続けて来ていたのです。

なにしろ、

縄文文明は、

控えめに少なく見積もっても、6000年もあるのですから!

   ~   ~   ~

新渡戸稲造の奥様、メアリーさんだったでしょうか?

縄文哲学について、説明してあげたいです。

きっと、納得してもらえることでしょう。

2006年4月14日 (金)

北畠神社に参拝してまいりました。

さくらの花に誘われて、

北畠神社の参拝にあがってまいりました。

Photo_9

    ~ ~ 

ちょっと今年は遅れていて、

さくら(やまさくら)は、2~3分ぐらいのところでした。

北畠神社にもそのせいか、あまり人影もなく、

ムクロン樹の、木の実を沢山拾うことが出来ました。

もっと麓の、さくら、は、もう少し開化が早かったので、

それは、どうしても、お目にかけたいと思いました。

‘やま さくら’

の、風情

これは、何とも形容をすることが、むつかしい。

しかしながら、これこそが、

本当の意味での、

縄文文明からの伝来の、

日本の原風景なのですね。

そうは、お思いになって、下さいませんでしょうか?

Photo_10

ソメイヨシノの品種の様な、

彩度が、

本当にはっきりとした鮮やかさだけの、

華やかさだけではありません。

もっと、もっと、

しっとりと、

やわらかで、愛(いつくし)みのある、そして

樹木のそれぞれが、個性の豊かな!

そんな感じ、

それが、

明治時代以前に、溯る、

雰囲気であると思うのです。

みなさまには、

どのように、

お感じになっておいでなのでしょうか?

     ∽   ∽

後醍醐天皇の、お志につきまして、

わたくしも、深く拝察させて頂いておりますところが、

多く御座います。

後醍醐天皇さまの、

御心(みこころ)のおん趣(おもむき)につきまして、

『神皇正統記(じんのうしょうとうき)』を、拝読するにつけ、

心に、ググッと来るものがあります。

     ・  ・  

『神皇正統記(じんのうしょうとうき)』は、

矢張り『群書類従』に、備えられてあります。

   ~  ~  ~

何かの折に、

ぜひ、『神皇正統記(じんのうしょうとうき)

を、お読みいただけますよう、

お願い申し上げます。

『神皇正統記(じんのうしょうとうき)』は、

『群書類従』の第三集<輯>(巻29)に収められてあります。

このおかげで、

現在にも、残り得たのだと追想することもあります。

また、

後醍醐天皇さまの、ご執筆にあられる書もあります。

『建武年中行事』といいます。

この書物も、日本歴史における、

重要な書物です。

おついでの時でも、是非とも、お読み下さいますよう、

お願い申し上げます。

後醍醐天皇さまの、

ご執筆にあられる書の、『建武年中行事』も、

矢張り、『群書類従』の中に収められてあります。

『群書類従』の、第6集<輯>(巻85)です。

どうぞ、原文をこそ、お読みいただけましたなら、

後醍醐天皇さまの、おん息(みいき)使いに、

思いを廻らせて戴けるものと、

そのように、

願って

やみません。

2006年4月13日 (木)

やまと 、の 光(ひかり)。 その美しさ!

やまと の みちは つきせじ

この言葉は、『フトマニ』にある言葉です。

深く、常に、

思い続けてきております。

そこに、たどり着かねば!   と。

    +   +   +

‘やまと’の言葉の、意味・語彙の語源から説明すると、

本に書く、半分ぐらいになってしまいます。

本当に深い、内容があります。

ひとこと論評で、済ませようとすると、

極めて簡単ですけれど…。

   ・  ・  

そんなことでは、

本当の、わたくしたちの、縄文日本の光輝には、

たどり着けませんでしょうね。

ご面倒でも、『フトマニ』の原文に、お目を通して

戴けませんでしょうか?

これが、

わたくしの、切なる願いでございます。

Futomanimoyamato

65

も や ま

もやまと の みち は つ

きせじ  ありそ うみ の は

まの まさこ は よみ つ

く す と も

2006年4月12日 (水)

解かる人は、何時の時代も

勉強とは何か?  真実の、まなびとは?

「記紀(き・き)」、つまり、『古事記』『日本書紀』、

その、原書が発見された。

この事実に対して、これまで、

あんまりに、ひどい扱いしかしない人ばかり、

が目立ちすぎてました。

『ホツマツタヱ』を直訳に、現代訳に翻訳して済まそう、

というような、次元の低いレベル。

それでは、本当の、日本の素晴らしさが解かるはずもありません。

      

それらの、‘直訳(誤訳)族’が、

多くの本を出して、祖国の日本の本来の光輝を貶めている。

これらは、「秀真伝」という、のです。

また、「ホツマ」という、ことも多い

   ~  ~  ~  ~  ~

その一方では、

「ヲシテ」の、真実性に対して、率直に理解をしてくださるお方もある。

「ヲシテ」は、縄文日本の、光輝を復活させるのです。

このことを、真実、

いろいろと、驚嘆させてもらっております。日々です。

ほんとうに、ありがたい事であると、

思っております。

と、

申しますのも、

『記紀原書ヲシテ

 -『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』『フトマニ』のすべて-』   上・下巻  (展望社

の、刊行についての物語は、

もはや、

涙ながらなくしては、語れません。

ルビ無しの、書籍の出版!  なんて、本当に、

夢の、また、  夢でした。

そして、廉価に価格を設定するために、

大部数を刷りました。

おそらく、50年は、寝かせて塩漬けの状態でしょう。

でも、やらくてはならない、仕事です。

とは言え、

もうちょっと、

私の気持ちが平静を取り戻してからに、

させて、もらえませんでしょうか?

どうも、涙ながらには、キーボードの

文字は、見えにくいのです。

この、

松本不二子さんの、お話は、

どうか、落ち着いてから、

に、

させて下さいませ。

   ~  ~  ~  ~  

さらに、

今回の、「縄文文字ヲシテ」のパソコンソフトの開発にしても、

『縄文人のこころを旅する』に、付録にしました、

ヲシテの日本歌曲の作曲・録音にしましても、

すべて、松本不二子さんの、お力によるのです。

このことだけ、申し添えさせてください。

   ~  ~  ~  ~  ~

また、

この他にも、

まじめな路線で、ヲシテ文献に接してゆこうと

この、わたくしの、進めてきた方針に、

理解と・共感をしてくださる方の、出現が、

相次いでいます。

これまでは、

オカルトまがいか、

はたまた、

‘古事記・経’信奉者、か、

あんまりにも多くって、ウンザリしてましたが…、

やっと!  です。

良い、紀行文の記事がありました。

Speak Easy 日本巡礼
1000年前の、『延喜式』ではどうだったか?

さらに、遡及してヲシテ時代ではどうだったのか?

まじめな、紀行です。

http://blog.goo.ne.jp/manasanda/e/1198c8d0d9ce862b337f94d68d537e4d

2006年4月11日 (火)

桑の新芽のこと

桑の新芽が、もう! はじけます。

     ∽    ∽

狭い書斎の二階の窓から、

日々に、はじけゆく動きが、

動画のように展開されています。

今年は、ベランダから、葉をつめそうです。

    …   …

さくら、には、現代人の関心も強いのですが、

 古代、

縄文時代での、さらなる強い関心は、

あるいは、クワ(桑)の方に有ったのかも知れません。

アマカミ(最も初めの天皇さま)の、2代目にご即位をなさった、

このお人、このアマカミさまを、

クニサツチと、申し上げます。

このお方の、

ご長寿の、秘訣。

これが、クワ(桑)にあったのです。

Mikasafumi95psyou

わたくしも、そのようにありたい。  と。

クワの樹の、青葉に囲まれた、

そんな毎日に、憧れておりました。

しかし、現実には、

四方八方とは、なかなか実現には至りません。

せめて、目前には、クワの木を植えて、楽しんでいます。

(とはいえ、勝手に小鳥が持って来た自生の山桑です)

クワの新芽を、

油で揚げるのが、

とっても楽しみです。

長寿と、おいしさ、

天然自然の恵みを…、  楽しみです。

H18410s

明日か?

明後日か?  ?

クワの、新芽のテンプラは、

何とも言えない、上品な、芳しさがあります。

(かぐわしさ)

しとぎ餅にしたのも良かったです。

しとぎ(簡易的に、おこめの粉を水でこねた物。 本来はお米を水で一晩ほとびらせて捏ねる。)を、クワの葉に乗せて、

蒸し、

これを、油で揚げたら、本当にご馳走でした。

2006年4月10日 (月)

煎餅本! 修理は,ピンセット。

和本は、湿気がちなところに、

長くあると、煎餅(せんべい)みたいになります。

紙と紙とが、ぴったりくっついて、板状です。

      ∽   ∽

‘煎餅本’とは、よく表しています。

日本語の造語能力の巧みさには、脱帽です。

     …   …   …

   それが、

私の手によって、修理なんて!

本当に思いもよらないことでした。

この写真は、‘煎餅本’修理の状況です。

Yasutosihonnsyuuri

あ、

何か、お気づきでしょうか?

ちょっと、今より、毛がふさふさ。

そうですね、もう、10年以上の以前になっています。

琵琶湖のほとり、

今は、高島市になっています。

その、古い神社の神輿庫(みこしくら)から、

『ホツマツタヱ』の、日本で最古の、

いや、世界最古というべきですね。

『ホツマツタヱ』の、完写本が発見されたのです。

平成4年(1992)

これより、わたくしの、‘煎餅本’との格闘が、

開始されたのです。

    …    …   …

『ホツマツタヱ』の、最古の完写本は、

杉の木箱に3箱。  6冊ずつ入っていて、24冊。

そのうち、初めの一箱が、痛みに強烈なものがありました。

つまり、‘煎餅本’です!

虫食いがひどく、、紙と紙とが引っ付いているのです。

無理やりはがすと、

虫食いのところが、跡も無く霧散してしまいます。

一枚一枚、裏打ちしながらでないと、

和本を開くことが出来ない。

平成4年に発見された状況は、

‘煎餅本’だったのでした。

『ホツマツタヱ』の、最古の完写本、ひとつの文字だって、

無くしてはならない!

本当に、ひとつの文字だって、なくすわけにはゆかない!

修理をする、専門のプロもありましたが、

ヲシテ(縄文文字)を読めなくては、虫食いの破片を貼り合わす事など、

できる事が、有り得ましょうか?

虫のシマは、捨て去られること100%です。

日を見るよりも、明らかです。

さらに、当時、腕の良い専門家は、多忙でまったく話にもなりませんでした。

これも、幸いだったのでしょう。

このような成り行きで、わたくしの、格闘が始まったのでした。

2本の先尖りのピンセット、

これを、息を止めて、

メガネを外して、あやつりました。

上に掲載しました写真は、

もう、虫食いのところが終わった時のものです。

気楽に、   写真でも写してよ。

こんな感じですね。     てなことは、

息をつめての間は、考えもできませんでした。

虫食いに、挑んでいる時には、

写真など、写す余裕は無かったです。

     …   …   …

さいわい、たまたまでしょうか?

わたくしの、

お茶の師匠が、

生業として、表具屋を営んでおいででした。

自治体から、表彰をお受けになったほどの、

お腕をお持ちだったのが、助かりました。

お茶の不肖の弟子の願いに、

「この良いキレ(上等の布)を、使えば良いよ」

と まで、お導きくださいました。

     多くの、お人に、

本当に、親切になってまいりましたことを思います。

表具師の、お茶のお師匠は、

深谷(ふかや)房雄先生、と申し上げます。

それで、‘煎餅本’の虫食いに、

何とか立ち向かうことが出来たのでした。

修理の専門家に、大金を払って、修理依頼をしていたら…、

と思うと、ゾッとなります。

何文字のヲシテが、失われてしまったのだろうか?

わたくしによる、

修理の、美観は大したことは無いですが、

それは、何時でも、またやり直せます。

虫食いは、

あの穴の繋がった、島になってしまったダンゴは、

下手でも、やはり、わたくしの修理で良かった。

と、

思っています。

2006年4月 9日 (日)

ホツマの言葉 、 ヲシテの言葉

『ミカサフミ』と、『フトマニ』を先に出(出版)すべきだ!

松本善之助先生からの、ご教示は、

わたくしだけには、特に、すさまじいものがある。

それは、

ホツマ辞典』の、出版の、細部調整でお伺いした時の、

ことだった。

もう、『ホツマ辞典』の印刷が、寸前の段階にまで差し掛かっている、

そんな時に、さへも、

『ミカサフミ』と、『フトマニ』を、先に出(出版)せ!

と、おっしゃるのだ。

Sakurahana_3

しかし、作業の方の段取りは、

もう、すでに、印刷所は、刷版を用意しつつあり、

出版社は、書籍取次ぎ卸の各社と、

発売日の日程のツメに入っているのです。

いくらなんでも、松本善之助先生のお考えとは言え、

とても、現実的な話とはならない。

でも、松本先生の、ご主張のお言葉は、強烈なままです。

それほどに、

『ミカサフミ』と、『フトマニ』の、啓蒙の遅れについて、

松本善之助先生には、大きな危惧を抱いておいでであったこと、

これを、今では、理解する。

そもそも、

『ホツマツタヱ』よりも、

『ミカサフミ』と、『フトマニ』の方が、尊いのだ。

当然ですよね、

断然に、『ホツマツタヱ』よりも、

『ミカサフミ』と、『フトマニ』の方が、尊い。 これは、当たり前のこと。

ただ、ここからが問題だったのでした。

事の成り行きから、『ホツマツタヱ』だけが、先行して普及し始めた。

『ホツマツタヱ』だけを、

普及において、先行をさせてしまった。

このことを、松本善之助先生におきましては、

ずっと大きな、お心の負担になられていたのでした。

だって、

『フトマニ』は、アマテルカミの、

おん(御)、み手づからによる、ご親選(しんせん)なのです。

これが、国宝級でないはずもない。

この、とんでもなく、貴重なことにつきまして、

わたくしからも、

どうぞ、ご理解を!

と願うばかりです。

   ~ ~  ~  ~   ~ ~

それで、誤訳族の、「秀真伝」や「ホツマ」などとは、

はっきりと区別するしかない!

『フトマニ』を忘れて、どうするの?

『ミカサフミ』を忘れて、どうするの?

『ホツマ』だけだから、オカルトに走ってしまうのでしょうね。

   ~   ~ ~   ~

みなさま、

国学の、正しい精神を引き継いだ形で、進めましょう!

これを、明瞭にするため、

「ヲシテ」の言葉を、主流として流通させてゆこうとしています。

   ~  ~   ~  ~   ~

オカルトに、染めようとするもの達とは、

はっきりと、区別を!

ぜひ、ぜひ、    お願い申し上げます。、

‘ホツマ’の言葉だけで、

‘ヲシテ文献’を言い表そうとしていたら、

要注意です!

完璧に、

要注意です!

‘誤訳族’である確立は、99%を下りません!

2006年4月 8日 (土)

池 大雅 (いけの たいが)の、絵

池 大雅(いけのたいが)の、絵はとても人気があります。

   ♪   ♪   ♪

もう、時効になっていましょうか、

松本善之助先生から、

池 大雅(いけのたいが)の絵に、まつわる話を聞いたことがありました。

わたくしにも、思い当たることがあったので、

この話には、思い出深いものがあったのでした。

   ~  ~ ~  ~

じつは、わたくしは、

骨董の趣味が、昔からありました。

そんなことで、池 大雅(いけのたいが)の絵を手に入れた、

そんな、ことがあったのです。

いわゆる、「掘り出し物」。

で、通常の通り相場での、そんな、高額だと、

わたくしには、手に入るわけも無いのですが…。

いわゆる、「掘り出し物」だったため、

なんとか、手に入ったのでした。

さて、 これを、売って、出版資金に…。

と、皮算用が頭の中にめぐっていたころのことでした。

偶然にも、

どういう拍子か、松本善之助先生との、

やり取りの中で、

「昔、池大雅の絵を貰ってねー」

それを、賛助資金にという、篤志家の人が有った、

とのことでした。

ところが、ところが、

なんと、せっかくの池大雅の絵は、

「贋作」。

「悪くて、言えなくてねー」

と、おっしゃっておられました。

池大雅の絵には、本当に贋作が多いのです。

   ~    ~    ~

「へー」

てなもので、聞いていましたが、

早速、家に帰ったら、

「掘り出し物」の池大雅の絵を、調べに調べました。

落款やら、なにやら、本当に良くできているのです。

書籍で調べた、落款と、相違が無い。

ところが、

なのです。

絵の、それ自体に、

なんだかちょっと、力が無いのですよねー。

もともと、「掘り出し物」購入時にも

幾分は気に掛かっていたのですが…。

    ・   ・   ・

この、池大雅の絵は、

今も、押入れの中に、突っ込んだままになっています。

こんな事からなのでしょうか?

わたくしは、

何でも、現物の、本物に当たってみないと、

気が済まないのです。

出来うる限り、オリジナルに近づく。

ヲシテ文献にしてもそうです。

完成した時代、成立した姿に出来るだけ近づく!

さらに、  さらに、

究極のオリジナルとは、

作者の心ではないでしょうか?

2006年4月 7日 (金)

本居宣長の功績 ・ 富永仲基の顕彰

本居宣長は、

多くの事跡・功績を残してくれていると思います。

それらの中で、

あまり知られていないのが、

富永仲基の著書を後世に残したことがありました。

これは、平田篤胤の、奔走を促したことにつながるのですが、

なにはともあれ、

富永仲基の、著作の保存に多大な功績を残す結果に

なったことは事実です。『玉勝間(たまかつま)』の中で、

絶賛の賞賛の言葉を、述べていなかったとしたら、

はたして、富永仲基の著作が残ったかどうか?

ほんとうに、危ういところでした。

当時でさへ、平田篤胤は、探索に非常に苦労した、

と言っていました。

  ~   ~    ~

ぜひ、宣長の書いている文章を、お読み下さい。

『玉勝間(たまかつま)』の、8の巻の、中ほどにあります。

富永仲基の学殖の深さに高い評価を与えています。

きっと、『出定後語』も読んでみたくなると思います!

   

大絶賛された、

富永仲基は、ミチ

の、根本について優れた洞察力を

むけたのでした。

『出定後語(しゅつじょうこうご)』には、とっても優れた考え方が、

まとめられてあります。

わたくしは、両手の指で間に合わないくらい、

何回も読んでおります。

現代に、最も良い解説書を刊行してくれたのは、

出版社の、

隆文館です。

隆文館からの刊行本の、『出定後語』(富永仲基)が、

いま、どこかへ、雲隠れしていてしまったので、

もう一冊購入しようと思うのですが…。

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縄文日本の輝きを取り戻そう!

ご声援くださるお方は、クリックを!

本当の意味での、日本の独立は縄文遡及で!

http://blog.with2.net/link.php?290290

2006年4月 6日 (木)

特許事務所で…、 宣伝のこと

文字形の意匠登録をしよう。

ということになり、

特許事務所では、
めぐり合わせも良くて、本当に親切にしてくださいました。

その、親切ついでに、
「もっと、ヲシテのことを、宣伝してくださいよ」
と、
特許事務所の担当の美人の人から言われてしまいました。

でも、
そう、
できるだけのことはやってきたつもりなんですけど…。
ほんとに、わたくしひとりでは、微力なのです。

過去に、
新聞広告の、第一面の下の欄の、書籍欄にも、掲載しました。

    <全国紙の、2社に! 、Y紙・M紙>
    <地方紙には、かなりの量で!>

  さらに、

    <全国紙の、S紙は、地の記事として掲載くださいました。>

    <英字紙の、J紙は、書籍紹介で写真入りにして下さいました。>

それやら、月刊誌では、
『歴史街道』(PHP出版)にも、2ヶ月連続で
広告を打ちました。
でも、大きくは知られないのですねー。
先日、出版社から、そろそろ、広告の清算をと、連絡がありました。
せめて、皆様、
その、広告の感じだけでも見てくださいませんでしょうか?

Photo_6

ご安心下さい。

出版社から、今日、また連絡があって、

広告費は、今度の清算の時でよいとのことです。

Photo_55

縄文日本の輝きを取り戻そう!

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2006年4月 5日 (水)

要石 (かなめ いし)

松本善之助先生に、お供して、

鹿島神宮に

参拝に赴いた時のことでした。

鹿島神宮の、大鳥居の前の茶店で、お茶を

頂いていた時、

突然に、地震が来たのでした。

震度は、3ぐらいのものでしょうか?

地震慣れしていない私は、

怖さを覚えました。

東京にお住まいの、松本善之助先生は、

いたって、平気なご様子でした。

関東と、関西、なんとはなしの雰囲気の違いは、

このようなところから、起きて来るのでしょうか?

   ~    ~   ~   ~    ~

鹿島神宮には、 「要石(かなめいし)」

があります。 

これは、実は、地震避(よ)けなのです。

つまり、

「要石(かなめいし)」

のあったおかげで、地震が小さくなったとも、

考えられないことも有りません。

さて、「要石」

どう言ったら良いでしょう。

この

「要石(かなめいし)」

とは、

目に見えるところの石の頭は、小さなものです。

お鍋を、逆さまにしたような物。

ところがです。

江戸時代に、水戸光圀公が、

堀りに、掘って見たそうなのです。

ですが、いくら掘っても、石の底には掘り至らなかったと伝えられています。

なんと、その、掘りに掘ったのが、

七日七晩。  というのです。

黄門様にても、匙を投げる巨大さでした。

   ~    ~ ~   ~ ~    ~

「要石(かなめいし)」

本当の起源・所縁(ゆかり)は、

実のところ、

縄文時代にも溯るほどの、由緒がありました。

そうしますと、

「要石(かなめいし)」

ではなくて、

‘カナメ イシ’

と書く方が、より、適切ですね。縄文時代には、

漢字など無かったのですから!

   ~    ~ ~   ~ ~    ~

‘カナメ イシ’

の伝承が残っているのは、

鹿島神宮だけではなくて、

ほかにも多くあります。

鹿島神宮の近くの、

香取神宮にも有ります。

これは、ヲシテ文献にも、記載がちゃんとあったほどの、

由緒も正しきものでした。

  

これは、漢字の、渡来以前に溯れる、本当の、日本の伝統です。

 

Kanameisi1_5

現在の、詳しい、要石の状況などは、

こちらを、ご参照になってください。

香取神宮     (フツヌシさん)

 

鹿島神宮  (タケミカツチさん・ミカツチともいう)

そのほかにも、日本全国の各地に、

「要石(かなめいし)」

は、広がっています。

人間生活は、自然災害と、決して無縁ではあり得ません。

それは、常に、天然自然の恵みを頂いてこそ、

生活が可能になることのできるのが、

ヒト(人間)

であるためです。

天然自然と、どの様にして関わりあいを持つか、

このことが、極めて重要です。

シャーマニズムのような、いわば低レベルの関わり方が

縄文時代に一般的であったことは、有り得ない事実です。

「要石」に見ても、それが解かります。

地震を、どうやって

ヒトの生活に、小さな被害で済ませれるか?

これが、「要石」を、設置する考え方です。

現在、言われだしている、

「減被害・減災害」の考え方と、

同一だと、お思いになられませんか?

これって、単なる、シャーマニズムではありませんよね。

   ~    ~ ~   ~ ~    ~

   ~    ~ ~   ~ ~    ~

2006年4月 4日 (火)

うぐいす、の 和歌

あんまり、

何年ぶりなのでしょうか?

本当に良い、お歌を、

聞かせてもらえました。

実は、

わたくしの、女房の和歌なのですが、

本当に感動してしまいました。

女房は、

インターネットは、さっぱりですので、何も言わないと思います。

この場で、お広めさせてくださりますよう、お願い申し上げます。

    …  ∽  …  ∽  …  ∽  …

うぐいすの かわりてかわる

鳴き声の そのとしどしの

おもむきおぼゆ

浮世はなれ・大笑い

ヲシテ文献を、やっていると、
笑い話に事欠かない。
10年以上も、研究会に来ている人の、
職業を知らないままだったことがある。

それが判明したのは、
ある時のことだった、
松本善之助先生の奥様から
「あの、銀座のお店の人はお元気ですか?」
と、聞かれた。
ところが、わたくしには、心当たりがなかったので、
「え?」
と、言っていましたら、
その、銀座でお店を構えている人とは、
私の、自宅で開いている研究会に、
もう10年以上も、通い続けて来ている人のことだったのでした。

松本善之助先生も、
「ヲシテの話をしだしたら、キリがなく続いちゃうからねー」
と、あきれ果てておいででした。

Matumotosennsei

私の自宅で開いている研究会は、
人数も少なく、また、遠方から行きかえり両夜行便で通って
来てくださる人もあるのですが…。
よく、10年以上も、と、
お腹を抱えての、大笑いになりました。

2006年4月 3日 (月)

真実の、日本の独立

日本は、日本国は
本当に独立国なのだろうか?

そんな、疑問が投げかけられる、ことも
今、現在の時代にしてまでも、よくあります。
敗戦後の、戦後処理が、
完全に終了したとも言いがたいことであるからでしょう。

わたくしの、専門といたしまして、

外面的なこと、は、さておいても、
内面的なこと、
心の側面に限定しただけでも、
とても、
寂しくなります。
祖国の日本を、大切に思わない人がある。

こんな、
衝撃的な事実も現実であると申せましょう。
でも、本当に主体であるはずの大多数の、日本民族一般が
その心のよりどころを、
見出せないでいるのです。

このことを、
わたくしは、長い年月、憂い続けてきました。

   ・   ・ ・   ・ ・   ・   ・

記紀(『古事記』『日本書紀』)の、
原書が、
すでに、発見されているのに!     です!

この事実が、
どれほど大きな、衝撃であるのか、
本当に、理解した人は、
いまだ、
日本全国で、10人の指を数えるにも、満たないほどではなかろうか?
と、
わたくしは、覚っています。

 九州のお人

 岡山のお人

 四国のお人

 和歌山のお人

 伊勢のお人

(あれ!?    今までに、本を出している人は、

松本先生、と、

私、以外には 、  ありませんね。 )

もれて、忘れていたら、ごめんなさい。

このごろ、物忘れが、始まって…。

   ・   ・ ・   ・ ・   ・   ・

本当の、
真実の意味での
祖国・日本の独立は、
縄文時代の、高度な文明に、誇りを持つことに始まる。
わたくしの、この信念は
もはや、30年あまりにして、
固まりました。
もはや、いささかも、変化のしようもありません。

それで、
現代には、
ほとんど見向きも、されることもない、
縄文文字ヲシテの、復元と復旧に
心血を注ぎ続けてきていたのでした。
縄文日本の光輝を、どうしても、取り戻さなくてはいけない!

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どうぞ、
みなさま、
縄文文字ヲシテを、
お使い下さい。
日本の、真実の誇りを取り戻しましょう!

2006年4月 2日 (日)

物忘れ ・ ‘角筆’文献

日本民族は、物忘れが得意なことだと思う。

つい100年前までは、普通に使われていたことが、

現代では、忘れられていることも多い。

‘角筆’文献はその例として、(かくひつ)

最適だ。

‘角筆’なるものは、明治天皇の御物の中にも有るというのに!

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宇和島市の旧家に保存されていた、

象牙質の、美しい‘角筆’

18歳で亡くなってしまった「弥生」さんの遺品。

竹製や、木製が多い中で、象牙質の‘角筆’は、珍しい。

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‘角筆’で書かれた文字を撮影することは難しい。

以前、三重県の県立図書館で、四苦八苦しながら

撮影していたら、

「なにを写しておられるのですか?」

と、図書館の司書の人に、聞かれた。

ベテランで、優秀な、司書の人でさえも、

‘角筆’文献のことは知られていないのだ。

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宇和島市の旧家で発見された‘角筆’の文字。

右上の余白に、薄いくぼみ文字で「ボウシツ」とある。

見えるだろうか? 本物の現物を見ても、それと解かるまでに、

初めての人で、10分ぐらいかかる。(説明しても!

‘角筆’で書くのは、現代で言うと、蛍光ペンで忘備メモを書くようなものだ。

    ~  ~    ~   ~    ~  ~

‘角筆’文献のなかには、見ごたえのある美術品もある。

高野長英が、獄中で書いた、漢詩の手紙は、すばらしい。

高野長英(1804~1850)の壮絶な生き方を、如実に実感することが出来る。

それは、本物の実物でのこと。

高野長英記念館(岩手県奥州市<旧・水沢市>)に、

展示されているレプリカには、

その、伝わってくるものがない。

ほんとに、良くできたレプリカなのだが…。(‘爪書き’ともいう)

やはり、本物にあたらなくては、と思う。

所蔵家の了解が得られたら、

この場所に、

苦労して撮影した、

写真を公開出来ればと願っている。

それまでは、宇和島市でのゆかりの石碑で、偲んで頂ければと、

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   ~  ~    ~   ~    ~  ~

たった100年前の、

‘角筆’文献でさえも、忘れ去られ…、 だった。

そんなことだから、

2000年を溯るような、

ヲシテ文献のことが、サッパリと忘れられていても、

決して不思議なことではない。

   ∽   ∽   ∽

なお、角筆文献の研究については、

小林芳規先生が切り開いてくださっておいでであります。

『角筆文献研究導論』 (汲古書院) を、

是非、お読み下さいますよう。

2006年4月 1日 (土)

やなぎ・さくら

Photo_5

やなぎ(柳)の新芽の、
若緑の小さな葉が、
うぐいすの、声の風にそよいでいました。

まだ・まだ、  さくらは、ほんの、ひとはな・ふたはな。
写真にもなりません。
さくらの代わりに、
『フトマニ』の28番目の‘項目’を、はなびら色にしました。

い そ の
いのそのは やなぎ さ
くら の こち よりも かす
み に もも の はなや お
そ ら ん

「いその」の項目は、
こころが、のんびりと…。
そんな、感じでしょうか?
<こち>とは、東の風で、氷を融かし行く力のあるものです。
<かすみ>は、現代では、黄砂が原因であると究明がなされています。
『フトマニ』は、即解しようとするとむつかしいですが、
そんなことは、頓着せずに、
親しみ、楽しんだほうが良いと思っています。

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