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2006年3月30日 (木)

かく すれば  かくなるものと

かく すれば かく なるものと
しり ながら やむに やまれぬ
やまと たましい
 

ペリーの浦賀来航を聞いて、密航をしようとした
吉田松陰。(1830~1859)
ペリーも、その潔さに敬服したと言う。
当時の、密航は死罪が当然の定め。
後ろ髪を引かれつつも、引き渡さざるを得なかったペリー。
やがて、吉田松陰は、安政の大獄で、刑死する。

    ~   ~ ~   ~ ~   ~ 

実は、この和歌には、もとうたがあったのでした。

    ~   ~ ~   ~ ~   ~ 

なにゆえ に くだきし身ぞと
人問わば それと答えん
やまと たましい

谷川士清(たにがわ ことすが)
『日本書紀』の全巻の注釈書を、日本で始めて出版した
偉人です。

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あの、本居宣長(1730~1801)でさへもが、先輩として敬慕したほどでした。
それが、谷川士清。(1709~1776)
水戸藩や、あるいは、紀州藩だったら比較的に、
逆に安泰だったのかもしれません。
ではなくて、藤堂家の藩公と親しい関係があったため、かもしれません。
藤堂家としては、幕府の目が、怖かったのでしょう。
宝暦事件・明和事件に必然的に関わった谷川士清に対して厳しい処置が、
なされます。

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士清の没するのを待ち構えていたかのように、
嗣子の士逸(ことはや)を追放処分に処しました。
士逸(ことはや)さんも、出来る人だったといわれています。
宝暦事件・明和事件と、幕府はなりふり構わず自己防衛を進めました。

しかし、所詮は蟷螂の斧だったとも申せるのかも知れません。

    ~   ~ ~   ~ ~   ~ 

しきしまの やまとこころを
ひと問はば あさひににおう
やまさくらはな

そう言えば、今日、やまさくら の早咲きの樹に、
ひと花・ふた花、春が来ていました。
本居宣長のこの歌も、
谷川士清の和歌の、本歌取りだったのかも知れません。
あの世に行ったときに、本居宣長に訊いて見たいと、
ひとつの楽しみです。

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