わが国の国防の事、
真剣に考えますと、
頭が痛くなります。
ミサイルで狙われていたり、
一般国民が、連れ去られる事件が起きていて、
解決も、ようやく、少しは進んできたものの、
さらには、同朋のうちに裏切り者がいてたりします。
そんなことから、
国家の事、真剣に考えようと、
出版しました。
国家とは何か?
このことを、しっかりと、問い直さねば根っこが出来ません。
<新作の、和仁估安聡さん筆風のフォントです。
(わにこ、やすとし。容聡にも書く。
俗の名は井保勇之進)
標準文字の48文字は製作しました。
特殊文字は、これからです。
また、微調整の作業に入ります>
<追記、7月3日
微調整をしています。ちょっと良くなりました。
でも、気が付いて下さいますお方様は、
この微妙な差さには、むつかしいですね。
『記紀原書ヲシテ』や『定本ホツマツタヱ』 で組版をした、
ホツマ文字と言いますか、ヲシテの文字より、
ホッソリしてきました。
そこには、幾つもの理由があるのですね。
話は長くなります。
『ホツマ ツタヱ』と『ミカサフミ』の和仁估安聡さんの写本の文字で、
縮小しても読み易くて、綺麗な文字を探し出して、フォント(字母)に、
写真版の活字化したのが、前前前々作のものでした。
青年期から壮年期にかけての和仁估安聡さんの書体で、
やや太い筆体のものが、写真植字向けに良く映えたのです。
今回のトライは、前回の写真製版に適した文字体から、
一段と、グレードUPさせる、こころみです。
現在から、さらに未来に向けて、デジタルの処理にも適した風に、
さらに、グレードをUPさせて進化させた文字形状だと理解して下さい。
印刷技術の分野も進化してきています。
それで、細めの文字体も良く映えるようになってまいりました。
pdfの時代に和仁估安聡さんが遭遇したら、
どんな理想文字形の、
ホツマ文字と言いますか、ヲシテの文字のイメージを、
創りだしていたのか?
円熟期の、和仁估安聡さんの書体の、
デジタルのフォントでの再構築の、試みの仕事の事。
おおー!
これも、1000年先を、展望して重要だからと、
そう判断いたしました。それで、日夜、目がチカチカしつつも、
頑張っております。
一番に苦労しているのが、ワ行の「ヲ」の文字体の理想形と、
表現とのギャップです。ここが、印刷の技術に関わってまいります。
さてさて、今回には、ようやく、
ずいぶんと、大きな文字にしても綺麗になります。
200ポイントまで大きくしても、対応可能です。太字もOKです。
かつては、写真製版の時代には、
そのような、配慮はムリな相談でした。
また、ウン十年ぶりに熟慮をして、
和仁估安聡さんの、ヲシテの文字体の理解度も、
時代とともに、進んできている事が、
わたくしにも把握できてきました。
時代は隔てていても、
ともに、習熟度は共時性であったと思っています 。
とはもうしましても、
わたくしの方が時間はもっと必要であったようです。
『ホツマ ツタヱ』の写本時代の安永4年(1775)ごろから、
『ミカサフミ』の写本の時代へ、
さらに、
そのうちでも『ミカサフミ ハニマツリのアヤ』の写本の時期の、
安永8年(1779)のころにと、
飛躍的に、ホツマ文字と言いますか、ヲシテの文字への、
習熟・理解度はUPしています。
和仁估安聡さんも、とても、精緻にエクセレントの活きにて、
努力を為されてこられておられたと、
感動します。
ですが、和仁估安聡さんの円熟期の筆である、
『ミカサフミ ハニマツリのアヤ』の、文字数は、
残念ながら少ないのです!
そういうわけで、単なる、収集のコピペでは、
円熟期の和仁估安聡さんのヲシテ文字の理想形に、
ゆき付けないので御座います、悩みが、ここにあります。
話は、エクセレントの事に関連しまして、
ダンスの友達の、エクセレントに話題を移します。
どう? エクセレントであり得るのか?
いつもの、ダンスのステキな友達に暑さ見舞いをと思いました。
80kg弱?にもの、どうどうたるものですが、リズミッカルなんですね!
いやいや、もっと上の感覚ですね。
いわば、メロディックなんですね。
リズムの理解の段階と、
メロディーの理解段階と、
もうひとつ、
曲想のそのあたりへの理解段階と、
いくつもの階段があるようですね。
ふた月前に知り合った、ダンスの友達は、
曲想の事にも、
わたくしの感覚とフィットしまして、
勉強になります。
この曲は、つまんない!
その判断が的確なんですね! そこが勉強です。
このあいだは、
暑い暑いと言っていたので、
明日にでも、チョコレートに添えて…。
出身のメキシコよりはましだとも。
とっても、エクセレントで御座いまして、勉強になります。
スクワットが、一番長寿に助けになると、
そう、彼女はこの前も言っていました。
求めるところの理想は、一致でしょうか?
このメッセージを添えると、言いましたら、
女房も「よかったですね」と言っていました。
女房にも、チョコレートですかね。理解してくれたのがうれしいです。
どう? エクセレントで有り得るのか!?
の、常なる問い掛けです。 大宇宙に対しての。
とはいえ、
いつも、ウチに常備のチョコレートの方が、
健康には何倍も良いとは思うんですが、
気持ちのところは、
ちょっとでも、名称の見知ったブランドのものがうれしいのでしょうね。
実質と、見栄え、得心感、など、
その感じ方などはむつかしいもので御座います。
さて、そこの、再確認をするためにも、
もう、
最も良いと判別しました、チョコレート100%大東ココア社製、
を食べて数年になります。
カカオ95%製品でも、甘さがとても重いです。
さてさて、ブランドチョコレートと久しぶりに食べ比べて、
女房がどう反応しますか?? これも興味津々で御座います。
また、たのしみの日々で御座います。
ダンスのことなど、
ラテンアメリカの母国の人には、特別のリズム感があって、
ビックリする勉強になります。
宇宙の源からの生まれ出では、万国共通だと思う事、
そんなことも、腑に落ちる理解です>
では、
その根幹を為すものは何か?
わが国とは何か?
国家とは何か?
民族とは何か?
その、拠って立つ、大きな根拠は、
やっぱり、古典ですね。
なにしろ、『古事記』や『日本書紀』の原書が発見されたんですから!!
わが国のタカラであって、
全世界の人々のタカラでもあるんですね。
『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」とは、すごい宝物です。
松本善之助先生の、聞きしに勝る、手に汗握る物語です。
よしのすけ先生、ちかごろは、「ぜんのすけ」とも呼ばれたりしています。
藤原定家も、本当は「フジワラ の さだいえ」さんと言うのが、
本名だったそうです。 今は、「ていか」の呼び名の方が一般ですね。
わたくしも、「いけだ みつる」が本当の読みなんですけれど、
「いけだ まん」とか「いけ まん」とかと、って呼ばれてくると、定家流のレベルにもなるのかも知れません。
筆での定家流は、「ていか りゅう」の通り名で、「さだいえ りゅう」とは言いませんものね。
呼び名は、調子が大事ですね。
松本善之助先生の研究の成果の真骨頂は、
『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」は、『古事記』『日本書紀』の原書だという事で御座いました。
『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」のことで、
『古事記』『日本書紀』の原書だと言う事実の発見をスルーしたら、
透明人間みたいに、
何をバカ言ってるの?
のレベルになりますね。
大切な、肝心要のスルーの人達の事を、
こちら関西ではアホまるだしとも言いますね。
茨城弁だったら「いちこい」とも「ごじゃっぺ」ともいいます。
そこで、
ちゃんと説明しなくてはならないとなりました。
すなわち、
『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」と、『古事記』『日本書紀』との原文での比較対比の、
書籍です。
先日も、「この本がなくっちゃ!!」と、
『定本ホツマツタヱ』の価値を心底から理解して語って下さいましたお方が、
語ってくれていました。うれしい事で御座います。
真面目にやって来ていて良かったと、そう、気持ちも和やかになりました。
自動車の運転も、より一層、おだやかになります。ありがたい事で御座います。
『古事記』の漢字訳の情報操作は、
おとしめがはなはだしいので、
原文対比の比較をするのも、
ちょっとやそっとの、ちょこっと見では、
わけがわからなくなります。
『日本書紀』も、まあ、50歩100歩の、ドングリの背比べ的な感じです。
『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」は、
翻訳前で、いかにすごいか!
と、言う事で御座います。
さて、
わが国の事、
国家としてどう考えてゆくか?
未来志向での事を考えますと、
文化や文明としての、わが国の本質のとらまえ方をどうするか?
に、
最も重要なカギがあります。
なにしろ、『古事記』や『日本書紀』の原書が発見されたんですから!!
もう、50年前とは、
時代が変わったという事になります。
『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」の発見と現代研究の意義は、
そのぐらいに大きいモノであります。
だがしかし、
直訳していて、理解を進めようとしていたら、
「直訳偽書の秀真伝(しゅうしんでん)」の世界に終わっちゃうんです。
偽書に貶めて、かえってわが文明の真実を、
おおいかくそうとする、悪巧みに加担してしまうんですね。
折角の我が国独自文明の発見なのに、
Chinaもどきにおとしめて、どうするの?
あたま、どこか? おかしいのでは? ありませんか?
古典は、
原字で・原文で読まないと、おかしくなります。
ホツマ文字と言いますか、ヲシテの文字の読み書きできない人は、
『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」を話す講師としては、
合格点には成り得ません。
そこの差を、表すために、
さて、
ホツマ文字と言いますか、ヲシテの文字の、
文字形の事につきまして、
どう現代に、取り戻して活かしてゆくか?
かつて、30年前には、
写真植字の技術が花形でした。
もちろん、その前には、金属での活字の組み版が、
主流でした。
さて、
30年前で、写真植字のホツマ文字と言いますか、ヲシテの文字の
字母(文字体・フォント)を作りまして、
それで、種々活用していた訳でした。
最も、祖本での『ホツマ ツタヱ』の完写本の、
和仁估安聡さんの写本から、よりすぐった、綺麗な文字を、
探し出して、写真植字のホツマ文字と言いますか、ヲシテの文字の
字母(文字体・フォント)を作ったのでした。
これは、相当に手間な仕事でした。
さて、幾星霜、
時代は、
デジタル世代にと変化してきました。
もはや、写真植字をやる印刷屋さんは見当たりません。
デジタルのフォント(字母、文字体)の印刷屋さんばかりです。
そこで、
作りましたのが、
漢字の渡来してくる以前の雰囲気の文字体を、
遡及して再現してゆこうと、その仕事でした。
そこそこ良い評価も頂いています。
いわば、「いけだ まん 流」のホツマ文字と言いますか、ヲシテの文字の書体です。
「いけ まん流」のヲシテ文字体とも呼んでもらえましょうか?
ひとつの夢の事で御座います。
むかし「いけ まん」と、よく、呼ばれていました。
麻雀で、満貫をドラ抱えで良く上がるからの「いけ まん」でした。
ドラは抱えて、切らないんですね。わたくしの習性は。
それで、「いけいけマンガン」の「いけ まん」の通称になりました。
もったいなくて、ドラが切れないのです。
それはさて置き、
さて、さて、
一方で、
写本の伝来についても、
重要な要素で、忘れてしまうわけには参りません。
江戸時代の中ごろに、
『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」の伝承や、
研究をして下さっていた先達があってのことです。
その当時に、ホツマ文字と言いますか、ヲシテの文字の、
理解はどうであったのか?
最も古い時代の伝承・研究者は、奈良の僧の溥泉(ふせん)さんが居ました。
溥泉さんの自筆のヲシテの文字は、
『朝日神紀』の草稿本と、『春日山紀』の草稿本と、
『神明帰仏編』の草稿本に、書かれています。
上表の、第一期と、第二期にあたります。
第三期にあたる、『神嶺山伝記歳中行事紋』は、
溥泉さんの筆体とは異筆でして、『トシウチニナスコトのアヤ』です。
最重要の、『カクのミハタ』のウチの一冊だと、
今は、そう認識しています。
誰の筆によるものか?
まだ解けません。
<昨日は、辻さんも手伝いに来て下さいまして、
作業も、はかどりました。上に掲げた写真は、
考慮する、写本のコピーや写真版やらの山です。
どう理解してゆくか? 和仁估安聡さんの、
その、理想の文字体の事です。
ホツマ文字と言いますか、ヲシテの文字のです。
考慮して熟考して、思い描いたイメージを、
表現に移してゆく、実際の、
フォントの製作は、パソコンでの作業になります>
溥泉さんの、その、ひと世代ぐらいあとに、
湖西の安曇川平野に、和仁估安聡さんが、出現します。
溥泉さんの書き残してくれた、
ホツマ文字と言いますか、ヲシテの文字の数は、
それほど多くは無いのが、残念なことでした。
そのなかでも、
理解度の増したのは、
『春日山紀』や『神明帰仏編』の執筆の頃でした。
『朝日神紀』の執筆の際は、理解度がイマイチです。
人の、ホツマ文字と言いますか、ヲシテの文字の理解度は、
時期によって変わって来ます。
とくに、
当時の江戸時代では、
コピー機も、スキャン機も、カメラだってありませんから、
書き写させてもらうのが、唯一の、手段です。
初めの頃には、
特殊文字の有り成しの事も解からないです。
文字形の理解も、浅いもので御座いますね。
ホツマ文字と言いますか、ヲシテの文字の、理解は難しいです。
近頃にも、
エ(e)の形状の理解についても、
まだ、混乱期の域から出ていない人も多いもので御座います。
一例で「テ」のホツマ文字と言いますか、ヲシテの文字の、
例を見てみましょう。
江戸時代の中期の写本の文字形は、
おおよそ上記のようなところです。
わたくしの、「いけ まん」流の『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」からの
漢字以前に遡及した文字形では、次のようになりました。
それが、
いまだ、理解の未だしに、
「直訳偽書の秀真伝(しゅうしんでん)」レベルに、右往左往している人々は、
下の例のように、
エ(e)の母音形の文字形を、ホッソリとしてしまったりします。
江戸時代のしっかりしたどんな写本にも、
こんなような、みにくい、エ(e)の母音形の文字形の例は、
江戸時代の中期の写本には、一例だってございませんです。
いくら、目を皿のようにしてもです。
だから、おかしいと、わたくしは言うわけですね。
そんなに、赤ペンでペケを付けたような、細いエ(e)の母音の文字形はおかしい! と。
それで、
溥泉さんにしても、和仁估安聡さんにしても、
書写の時期と言うモノに、注意をしてゆかねばなりません。
さて、
和仁估安聡さん、
理解度の円熟してきた、その、うるわしい晩期に
うつくしく、理想的な文字体に、
ホツマ文字と言いますか、ヲシテの文字を、
晩年に書いたらどうだったのか??
その再現に努めている訳で御座います。
和仁估安聡さんとしては、安永8年(1796)あたりですね。円熟期は。
そこには、
同時代性としての参考に、
溥泉さんの文字体も、考慮してゆくべきなのです。
なぜならば、
和仁估安聡さんが100%書写でき得たのか?
その、保証が何処にも得られないからです。
もしや、溥泉さんに、和仁估安聡さんの理解不足の補完が期待出来得るかも知れないのです。
博覧強記の溥泉さんです。
そう言った意味での、和仁估安聡さんのヲシテ文字・フォントの、
再現する仕事の現場の写真が、
上記に掲げたもので御座います。
国家の重要事項のひとつに、
国語の事があります。
文法のことも、
明治以降の西欧文法の直訳的な移入で、
おかしくなりました。
国語も直さねばなりません。
なにしろ、『古事記』や『日本書紀』の原書が発見されたんですから!!
ここで、
まだまだ、
動詞編とか、名詞編なんかも作ってゆかねばなりません。
国語の再構築に向けても、
フォントで、和仁估安聡筆風の字母を作る仕事が必要にもなります。
入門書で、
良いモノは何かと聞かれることも多いです。
この本は、近所の、40ぐらいのご婦人の人から、
好評を頂いております。
事情は、思いの外に複雑なのです。
溥泉さんにしても、和仁估安聡さんにしても、
わが国のためにと、
国士的な思いが無ければ、ここまで、
仕事をしては来れなかったと思います。
いろいろ、考えましての、
1300年来の、悪い事の根源のひとつが、
現代での、情報操作のマスコミのやり口とよく似たのが『古事記』で有った事で御座います。
すなわち、『古事記』とは、
インチキをまぶして、貶めをして、
売り上げを稼いで、売国に染まってゆくパターンです。
売らんがために、タコが足を自分で食べるようにして、
「信用」を喰らっていっているやり口です。
もう、
欺瞞性に気が付かれ始めたら、崩壊あるのみです。
『古事記』の大きな欺瞞性について、
早く気が付いても貰いたい、と、
原字で、原文での対比・比較が、
なによりも、第一の証拠になります。
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