2016年9月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

おすすめ

最近のコメント

フォト

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

2016年9月17日 (土)

松本善之助先生の、古事記の原書!『ホツマツタヱ発見物語』(展望社)発売!!

すごく良い本になりました。
発見に至る熱気と感動が伝わってきます。
「古事記」の原書発見の、現地レポートです!
Hakkennmonogatariomote_3
       <装丁の写真は、「日の出」です>
 
松本善之助先生の、現代発見から50年記念の再刻出版!!
毎日新聞社版『秘められた日本古代史 ホツマツタヘ』の、
正編と続編の2冊をほぼ網羅して1っ冊にまとめました!
 
Hakkennmonogatariura_2
 
毎日新聞社版『秘められた日本古代史 ホツマツタヘ』の、
正編が中古書で一冊が5000円にも値が付いていました。
さすが、松本善之助先生のご熱意の伝わる書ですから、
今に価値は高いです。
― 追記、H28,9,19 ―
と、今日見ましたら、一挙に、1000円に下がっていました!!
さすが、古書店さんの反応は、迅速です。
それでなくては、商売になりませんものね。
現在時点での解説が、再出版本に加わったから、
元の版は、あまり売れなくなると言う、
そういう評価でしょうか?
するどいです。
          ― 追記終わり --
 
もう、あれから、毎日新聞社版の出版から、
36年も過ぎ去っていました。
干支(えと)でいうと、3巡りです。
そう言えば、松本善之助先生とわたくしとは、
干支で3巡り違いです。
誕生日も近くて、わたくしは水瓶座ですが、松本善之助先生は魚座です。
もう、36年も過ぎ去ったとは、色々な意味で感慨深いです。
あれから、干支の3巡りの三十六年。
さて、弟子の私達はとどまってはいませんでした。
松本善之助先生の高い志を受け継いで、この36年間で、
ヲシテ文献の研究も、さらに随分と進みました。
青木純雄さんと言う天才を得て、
また、平岡憲人さんや斯波克之さんの強力な理解者を得て、
ヲシテ時代の国文法にまで、その歩みを続けています。
この解説も加えました。
 
これからの、さらなる発展に向けて、
松本善之助先生の、現代発見の、
そのドラマティックな、息沸く物語りを、
どうぞ、ご覧願います。
現代発見の、息をも付かせぬ、松本善之助先生ならではのあつい物語です。
巻頭と、巻末には、その後の36年間の研究成果から、
紙数の制限いっぱいに解説などを加えました。
本当の日本文明の発見に至る道筋を、
『現代用語の基礎知識』(自由国民社)の編集長だった、
松本善之助氏の、その、禅の托鉢修行から、
神社の紅梅のもとに、草鞋の鼻緒のすげ替えをしていて、
ハッと、我が国の本当の伝統に目覚めた、
その物語りは、現代にも、今の私たちにも、
訴え掛けてくれます。
ちょうど、アップルのスティーブ・ジョブズが、
日本に興味を持っていました。
お寿司と、禅の興味までで、逝(ゆ)かれてしまったのが、
とても残念です。実は、彼とわたくしは、同い年なのです。
生まれ月も近くて、わたくしは水瓶座ですが、彼は魚座です。
でも、
私たちには、スティーブ・ジョブズの先を行けるように、
松本善之助先生が、ここに道筋を付けてくださいました。
感謝です。
禅の仏教以前に、さらには、漢字以前に、
我が国に大文明が有った事の大発見なのです!!
この本は、
3段階が解ります。
 
  1、本当の我が国の大文明の発見に至るこころざし、その現代発見。
                 ワクワク
  2、戦後の代表的な編集者の、研究への取り組みの詳細。
                 ホーッ 
  3、現時点で、何処を気を付けると良いか?
                 ナルホド
 
 
 
どうか、みなさま、書架に、どうかお納めのほどを、
お願い申し上げます。『古事記』の原書の発見の事が良く解かります。
 
なお、良い書評を書いて頂けそうなお方を、
紹介して頂けませんでしょうか?
新聞の記事とか、雑誌の記事などに、
その良い書評を書いて頂けそうなお方に、
書籍を贈呈する極めて極僅の少部数の用意が御座います。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2016年9月 3日 (土)

国家意識のこと。「ヲシテ国学」の意味合いのこと。 追記、長島の一向一揆のこと。 『国書総目録』の事も追記しました。

国学の流れの事、あらためて、説明して欲しいと、
そう言われました。

総じていえば、わたくし達「日本の人達」は、
余りにもご気楽な、数千年間を過ごしてきていたと、
そう、言う事に尽きるかと思います。
わが国の幸せが、暢気(のんき)を作って来ていたのです。
 
 
江戸時代の初めごろから、
やっと、我が国とは??  と、
一般にも、真剣に問われるような事態に遭遇したようにも思います。
其れまでは、ほんの一部の貴族階級だけが、
真剣に、この問題に直面してきていました。


ちょうど、江戸時代の初めごろから、
世界の同時発展性を、わたくしは感じていますが、
http://www.geocities.jp/bhermes001/encyclopedism.html
知の囲い込みの時代から、一般化してゆく、時代の潮流変化です。
 
わたくしは、
グローバルに発展の事が、紀元前のずっと古い時代から起きていたと思うのです。
江戸時代の初めには、木版の活版印刷が、我が国においても導入されています。
印刷技術の革新は、
わが国にもいち早く反映していることが、
言えます。
http://www.printing-museum.org/communication/column/pdf/column_12.pdf


その結果、
一般の市民にも、我が国の歴史の基礎文献が、
それを、
目の当たりに見聞きすることが出来るようになりました。
やっと、
江戸時代の初めごろですから、
今から、400年ほど前のことでした。
だって、それまでは、一般の市民レベルで我が国の歴史の基本書籍について、
目にすることも、まずは、あり得ない事でした。

そこから、慶長勅版の『日本書紀』の出版から、
徐々に、わが国の歴史についての考察にも,
一般のわたくし達が参加できるようになりました。

要するに、わたくし達・庶民は食べてゆくだけ生活をしてゆくだけ、
そして、国家のことを考える事には、あなた任せで居られたのでした。
それは、幸せな事だったのです。ある意味におきまして。
良い国だったのです。
ですから、国家の事についてどう考えてゆくかなんてことは、
数千年来に於いて、考えの端にも掛からない事でした。

江戸時代になって、ようよう、
時代の潮流は変わり目を迎えます。
印刷技術の向上も、大きく寄与したことでした。
当時、
極めて限られた憂国の志士によって、
わが国の進みゆくべき道の模索は試行錯誤の試みを
思案してゆく状況が起きました。

極めて限られた憂国の志士のうち、
契沖は、『万葉代匠記』・『和字正濫抄』をあらわします。
なかでも『和字正濫抄』は、歴史的仮名使いの発端になります。
国語学の先達です。

そのうち、一般人の憂国の志士の内に、
『日本書紀』の研究も、進める人が出て来ます。
平安時代に現われた天才の、一条兼良の優れた研究の、
『日本書紀纂疏(にほん しょき さんそ)』の 後に、
さらに進められる天才は、貴族階級には、ずっと現われませんでした。
一条兼良(いちじょう かねら、かねよし)は、不出世の優れた人物でした。
其処を打ち破ったのが、谷川士清(たにがわ ことすが)です。
間口を広くしてこそ、優れた研究が出て来るものです。
http://opac.lib.mie-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BN01815446?hit=-1&caller=xc-search
そのひとつの集大成です。
物事の、大切さを覚った、その、愛国心からして、
有無も無く、突き進んだ激動の一族係累をすべてかけた、
わたくしなどは、及びも寄らない愛国者魂です。
谷川士清は、本当の意味ですごいです。
わが身も、そして、一族係累ことごとくを掛けて、
それは、すさまじいです。ここに、わたくしは先師と仰いでいます。
後になって、
『古事記』をやってたような人とは、格段の相違が有ります。
わたくしたちの、クニ・国家・民族を思う志の高さに於いてです。
この意味において、谷川士清は偉いです。

『古事記』にも、研究をする人も出て来ますが、
そもそもの文献の価値自体に『古事記』は、
これから、更に疑問を抱かれてゆく事でしょう。
このため、有意な解説を私がするわけにも参りません。
何故ならば、賀茂真淵から破門されても、
悔い改めないのですから、
それは、目的が違うんですね。
やっと、此処のところに、わたくしも、気が付きました。
賀茂真淵も、やっぱり偉いです。
遠く、国家・国民・民族の永久(とわ)なる幸せを、
此処を目的としているからです。

目的の、そのところが、何処(いずこ)にあるのか?  です。 
肝心要の判定の、その、分水嶺です。


ところがです、
さて、
さて、
今から50年前に、
『古事記』『日本書紀』の原書の、
『ホツマ ツタヱ』など「ヲシテ文献」が発見されます。
それは、『古事記』『日本書紀』の原書としての、発見です。
松本善之助先生が、
神武天皇紀の文章の『ホツマ ツタヱ』との原文対比比較をして、
明瞭に記紀の原書であることを発見されました。
『ホツマ ツタヱ』など「ヲシテ文献」の発見は、
岩波書店の『国書総目録』の第7巻の「ふ-よ」の、
発刊によって、一般にも目にも見て取れるようになりました。
昭和45年(1970年)が、『国書総目録』の第7巻の「ふ-よ」の発売年でした。

『国書総目録』(岩波書店)と言っても、知らない人が多い事に、
気が付きました。
ちょっと、解説します。
明治以前に有った書籍の総覧をしようと、
大きなプロジェクトが始まりました。
(正確には慶応3年以前の書籍の全部について)
これを、岩波書店の創立50年企画のビッグ・プロジェクト、
国書総目録プロジェクトと呼ぶにふさわしいものでしょう。
そこに、
『ホツマツタヱ』の写本も、引っ掛かることになりました。
やっと、現代印刷物にも載ったのですね。
日の目を見る、やっとの一歩の、
成り行きです。
 
この辺りの事情を、ご説明いたします。
       ・      ・      ・
そもそもが、
わが国におきましては、
著作が多いので御座います。文化・文明の大きさのその事でしょうか?
平安時代には、『源氏物語』や『枕草子』などなど、
現代にも活き活きと語り継がれる名作も輩出しています。
それらを、網羅すべく、江戸時代の中期に塙保己一さんが、
再刻の出版の事業をおおよそ6割ほども、私財をなげうって完遂なさって下さいました。
ですが、
まだまだ、
『群書類従』に収録されていない、多くの書籍が残っていました。
たとえば、
『ホツマ ツタヱ』など「ヲシテ文献」も、そのひとつです。
つまりは、
わが国の文化・文明が大きいので、
とても、塙保己一さんおひとりの財力・知力をもってしても、
網羅出来なかったのでした。
岩波書店の創立50年の記念事業として「国書総目録プロジェクト」は、
注目に値します。
さてさて、
『ホツマ ツタヱ』など「ヲシテ文献」が、そこに、どういう風に、
ピック・アップされたか?
が、わたくし達の注目点です。
Kokusyosoumokuroku01
国書総目録の7巻目です。
ここに『ホツマツタヱ』が初めて、
おおやけに、現代の印刷物に記載がされました。
Kokusyosoumokuroku02
        見開きです、7巻目の「ふーよ」です。
Kokusyosoumokuroku03_2
ここが、「ホツマツタエ」の表記個所です。
小さいので、見辛いので大きくします。
Kokusyosoumokuroku1
「内閣」とは、国立公文書館の所蔵の「内閣文庫」の略名記です。
これは、日本国民の成人でしたら誰でも閲覧可能です。
やっと、
昭和45年に、その『ホツマ ツタヱ』など「ヲシテ文献」の
写本の在り処だけが、おおやけに公表されたわけです。
ここ『国書総目録』(岩波書店)に!!!
ですが、この、2行の記事だけです。
書名の記述と保管場所の記載だけです。
この記載だけで、だれが、国書の総元締めの原書の位置にと、その価値が有るのか?  1億人にも、100億人にも誰も解かる筈もない状況です。
そこを、価値の正しさを見極められた、松本善之助先生は、やっぱり、お偉い!!  のその一言です。
また、
「竹柏」とは、「竹柏園文庫」のことで、
故・佐々木信綱さんの蔵書の名前です。
現在は、天理図書館に、所蔵されています。
この、現在の所在を発見して頂いたのが、
大阪の平岡憲人さんでした。これも、現代での大発見のひとつです。
 
どうでしょうか?
『国書総目録』の記載事項の2行を見て、
『ホツマ ツタヱ』が、
記紀の原書である事実、
つまり、『ホツマ ツタヱ』など「ヲシテ文献」が、
『古事記』『日本書紀』の原書である、この重大な事実について、
はたして? 百万人の内にたったひとりでも、
『ホツマ ツタヱ』など「ヲシテ文献」は大切なものだと、
気が付く人がありますでしょうか?

こういう意味におきまして、
おおやけに、文献の所在は解かるのでしたが、
でも、だれも、その『ホツマ ツタヱ』など「ヲシテ文献」の価値は、
だれにも、さっぱり解からなかったのが、
本当に実情です。


そこに、
初めて解き明かしたのが、松本善之助先生です。
だから、
だから、松本善之助先生はとっても偉いのです!!

ちなみに、
『国書総目録』の、7巻目の奥付けもUPします。
Kokusyosoumokuroku2
わたくしが、持っているのは第二刷りですが、
第一刷りの初版は、昭和45年(1970)の事でした。
ちなみに、昭和45年は、わたくしの15歳の時でして、
それから2年の後に、わたくしは『ホツマツタヱ』と遭遇します。
この時期に、『ホツマ ツタヱ』など「ヲシテ文献」の専門家は、
松本善之助先生のたったおひとりだけです! 全国広しといえど、です!
自分で研究を進めてゆくしか、他に、道はありません。
そうして、もう、今年には44年が経ちました。
間違った道を歩んだとは、今でも思ってはおりません。

さてさて、
極めて仮定の話になりますが、
もしも、
わたくしが両親の反対を押し切って、
どこか、つまりは、
皇學館か、国学院かの、
大学にいっていたら、
自由闊達な研究成果を収めることは、
100%無かったと申せましょう。
母からは、何回も、それで良いのか?
と、念押しに訊かれました。
結構、意志は強いので、一端決めたら、
容易に変更しないのが私です。


松本善之助先生からは、
大学の中から直せと、言われていましたが、
40年前の当時は、右も左も解からない、ひよっこ学生です。
とても、そんな学識も無くて、
つぶれに成っちゃてたことでしょうね。
思うに、歴史の過去の追予想の事からしますと、
そんなことで御座います。

この意味でも、最も、まともな道筋を歩んできたと、
今でもそう、掛け値なしに思っております。
 
 
思い出しますと、10年ほども前の事でしたが、
某大学で、講座を作ろうと試みた事が有りましたが、
その際には、あともうおひとり、参加者が不足で話が流れました。

 
さてもさても、
今でも、です。
まだまだ世は、そう言った段階にほど近いです。
出来るだけの発信は、
わたくしは、してきている自負はありますが… 。
 
国立公文書館に行って、
『ホツマツタヱ』の小笠原写本を見てみて下さい。
巻次の順番が、未だにもってバラバラです!!
世の認識は、そのような程度です。
その世の中の無関心の内に、仕方なく、研究は進めてまいりました。
こんな大切な事なのに…  、  で、
誰も真面目にやらないので、仕方なく、わたくしは真面目に取り組んできました。

『ホツマ ツタヱ』など「ヲシテ文献」の発見と現代研究の進展によって、
「国学」
の定義も、これから大きく変わってゆく事が予想されます。
なにしろ、
『古事記』『日本書紀』の原書の発見と研究です。
そして、我が国に独自の「ヲシテ文字」の発見です。
ヲシテ時代中期に花開いた「5・7音韻」の正式な文体の発見です。
従前の「国学」の概念で把握できるはずもない事でしょう。
根底とする文献に変更が大きく発生しましたので、
パラダイム・シフトの起きるのが当然です。
記紀、『古事記』『日本書紀』から、
『ホツマ ツタヱ』など「ヲシテ文献」への変更、です。
そういった意味から「ヲシテ国学」として、
提唱を始めています。
パラダイム・シフトに属する大変革ですから、
『古事記』『日本書紀』から「ヲシテ文献」への、
大変革です。
新たに、大学も作り直すしか他に方法も無いのです。 

とはいえ、
啓蒙には困難が付きまといます。
直訳して、ヲシテ時代の言葉を、
たとえば「ヰ・クラ、ム・ワタ」哲学用語を「五臓六腑」に直訳して広めたら、
それは、江戸時代の偽書に貶めていることになります。
大きな枠組みからの理解を、セットでしない限り、
猿芝居になってしまいます。
此処が、とても難しいところです。
  1、『古事記』『日本書紀』の原書の発見と研究です。
  2、我が国に独自の「ヲシテ文字」の発見です。
  3、ヲシテ時代中期に花開いた「5・7音韻」の正式な文体の発見です。
この3点セットの前提が、基礎理解のどうしても必要な条件です。
 
これから、未来に向けては、
あなた任せでは、居られない時代になってまいります。
ボーダーラインがますます低くなってきて、
わたくしたちが、毎日外国と接するのです。
そのためには、我が国・わが民族とは何か?
その把握を真面目にしておかねば、おかしくなってしまいます。
そのため、
今、特に「ヲシテ国学」の必要性が迫って求められます。 



 

凄惨と言う言葉が、
この頃、ニュースを見聞きしますと、
特に、思い浮かびます。
さても、一向一揆の鎮圧の惨状はすさまじい事で御座いましたでしょう。
Photo
   <多度山が望み見れます。
          願證寺です>
Photo_2

空気感が、願證寺には、ありますね。

わたくしの、所要のその折に、
木曽川の長島の一向一揆の跡、その現場に、
うかがってみました。
多度山も見えて美しい場所です。
Photo_3

Photo_4

涙ながらにも、どうしても、
涙腺は開いたままです。
どうしてこんなにも、すさまじい戦闘がおこなわれることになったか?
つまるところ、国家をどう考えてゆくか?その命題に、
わたくしたちが、本当の庶民も実践の参加が強制的に枠組みにはめられた、
その時代のようです。
もう、斜に見ているような事は、有り得ない時代のようです。
と、わたくしは思っていますが?
みなさまには、如何(いかが)お考えで御座いましょうか?

長島城は、その跡地は、
残暑の内にも、海辺にもほど近くて、ほのかな爽やかさが有りました。
 
潮入れ合いの、今では運河には、サクラがのソメイヨシノが、
植わっていました。
Kuromtu1
 
今では、良い日よけです、助かります。
 
そんなことは、どうして? 混乱を根絶出来得るのか?
国家の事、そして、その文明の本当の貴い理念について、
正当に説明の出来得るように、
と、ここが、一番の重要点の要だと、
そう、私は思っております。
 
 
 つまり、
国家の枢要に、この一大事の事、
あやしげな思いが混ざると、
後の世に、どれほどの、子孫の人達に、
迷いが生じて、それが、一向一揆のような不幸にと、も。
そのような事が有っては断じてならない。
というのが、
そもそもの、40有余年来のわたくしの根本の心情です。
解かるお人には解かって貰えました。有り難い事で御座います。
わたくしは、もっと先に進んでゆく、その仕事を、
背負っていると、そう思って来ております。
まだまだ、
背負う荷物の重さは減りませんことで御座います。
ひとつ、荷下ろししたら、
また、ひとつかふたつ、背負う荷物が増えて来るのです。
それも、グルグルの成り行きの事で御座います。

また、
さすが、専門家です。
写真は、
Ikedamituru
女房は遠視気味で遠いところが良く見えます。
老眼になって来てます。
わたくしは、近視で近いところが良く見えます。
二人合わせると、うまくゆくと、いつも笑っています。
ご気楽夫婦です、破れ鍋に綴じ蓋と、
そういうたぐいの事で御座いましょう。

 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 

 

2016年8月29日 (月)

京都の会場が定まりました。

お寺で「ヲシテ」?  と、
疑問に思われる向きもありましょうが、
愛国者精神の基本姿勢で一致しているのです。
Kyoutowosite1_2
9月には、開催しません。
次回の日程は、10月29日です。
11月から、第三土曜日の定期の開催になります
          ・         ・
日蓮さんは『立正安国論』で、
国家の安寧を強く願いました。
思えば、松本善之助先生の菩提寺も日蓮宗です。
そう言えば、松本先生から、日蓮さんの事を書けと、
言われても居りました。
実現は出来ていませんが、その思いはあります。
そうなのです、
縁(えにし)は、不思議につながっていました。
愛国者精神の基本姿勢で、よくよく考えたら一致でした。
また、思い起こせば、
日蓮さんは、最晩期に、病を押して富士山に行った帰りに、
富士山御師の本庄家にも行って居ました。
そこで、愛国者精神の共感から、
当時の当主の本庄采女(ほんじょう うねめ)さんは、
弟が住職をしている寺を、日蓮宗に改宗させた、
経緯もありました。
これも、愛国者精神からの成り行きです。
当時、お寺の関係のお方にも、愛国者精神は、
充実してみなぎっていたのですね。
そのような訳から、
日蓮さん所縁(ゆかり)のお寺で、
「ヲシテ」の講義も、
愛国者精神からの成り行きと、
そう理解をして頂けますでしょうか?
コモリカミの瀬見の小川の、糺の森にも、すぐ近くです。 
 
Photo_2
 
Photo_3
 
Photo_5
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2016年8月25日 (木)

大村智先生のこと。

わが国の長い歴史において、
やっと、現代になって、
本当に新しく、
ヲシテ時代に遡って「本当の国学」を、
構築してゆく事は、
そうそう簡単な事ではあり得ません。
当然の事で御座います。
わたくしは、40年以上も前から、
身を捨てる覚悟で取り組んできました。
           ・
それが   …
気楽に、求めて来る人もいますが、
それは、単なるコピペでは無理な作業です。
実際に、苦労を、
本当に、骨身を削って積み重ねる思いの深くあった人には、
その事情は解かろうものです。
でも、
ですが、ここが、
暗記モノの事を勉強だと思ってきていた人々とは、
地道な、地に足を付けて積み重ねてきた、
本物とは、ちょっと、風情が違うんですね。
つまりは、
受験勉強のような、特に、
暗記モノが、極めて上手だった人には、
本質の在り処の解き明かしについては、
その、発明・発見の悩みや苦しみが、
解からない・知らない事でしょう。
コピペするものを供給しないと、ダメのレッテルを貼る。
それって、パクリの人達の、所業のやり方なんですね、
解明とは、研究とは、
あれこれと、解からない事に、
焦点を付けて、
調査をして、試考を重ねて、推論を付けつつ、また、
論定を遂行しても、客観的に理解が得られないようなダメのモノなら、
これは、ボツにします。
さらに、また別の考えから、試論のアイデアを考えてゆくと言う、
きわめて、
本式の考究の事を辿って本質を見定めてゆく作業なのです。


でも、
考えてみてもくださいまし、
悩んだり、苦しんだりするから、
発見の感動が、ものすごく大きいのです。
苦しみ・悩みが100あると、
発明・発見の感動は1000になります。

簡単に答えを見出し得られると、
それは、
コピペ族に成っちゃうんですね。
1の疑問が、
一秒で、即決!!
だと、
感動は1です。
 
でも、考えてみれば、
それは、誰かの考え・アイデアのパクリでコピペでしょう?
それは、
つまるところ、
なーんにも、自分で考えだした成果が無い!!!
それは悲しい事では御座いませんでしょうか?
つまらない話ですね。
受け売りの程度の、
又聞きの程度の、そのような価値です。

やっぱり、
鋭く光り輝くモノは、
ビッと来ます!

今月の、「日経新聞」の、「わたくしの履歴書」欄は、
面白かったでした。
参考になって、勉強になりました。
大村智先生、そうとうの賢人・偉人です。
多くの勉強をさせて頂きました。 
大村智先生も、過去、相当にパクリをされて、
怒(いか)っておられましたとの事です。
当たり前ですね。
一生懸命考え必死になって成し遂げた成果を、
パクられたら、怒(いか)るのは、
わたくしでなくとも、
普通の人間なら当然の事です。
大村智先生の、色々なご判断のこと、
多くを勉強させてもらいました。感謝の念に堪えません。 

 
                  ・
 
どうでしょうか?
ヲシテ文献解明でも、
上手くいっても、わたくしの経験では、10にひとつがちょっと当たりの程度です。
そんなに、試考の当ては、10%も5%も有ったら良いところです。
それが上出来のレベルです。
ですが、
何回も打ち続けたら、そのうちに、大きなヒットが有る!!
これを期待してます。
そうしか、
ヲシテ時代の究明に、現実に定かな定塁を求め行くすべもないです。
思いの外に、
ヒットは、
社会的に大きな遡及効果です!!!
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2016年8月20日 (土)

登呂遺跡の、「コト(琴)」のこと。

本日は、所要のついでに、
伊勢の国の国衙・国分寺の、
そのあたりを訪ねて来ました。
Isekokuga
小高い丘で、残暑の中でも良い風が吹いていました。
国分寺の跡の考古博物館の3階から、
見晴らしが良かったでした。
スズカヒメの、その所縁(ゆかり)の鈴鹿市です。
ススカヒメと、清音の表記の方が良いかも知れません。
Susuka1
そうしましたら、鈴鹿市の名称も「すすか・し」と、
呼び名も変えていった方が良いのでしょうか?
さらには、漢字表記にも、ちょっと疑問を挟んでこられるお方も、
また、あったりして…  。

さて、
さて、
それはとも置き、
其処、鈴鹿市の考古博物館で、
静岡市の登呂遺跡の展覧パンフレットを、
たまたま見ました。
Torokoto
そう言えば、
数十年前には、
コト(琴)は大陸渡来だから、
と言われて、ヲシテ偽書説の根拠の一つだと、
苦しめられた思い出が浮かびます。
それも昔。
登呂遺跡からの弥生時代の「コト」が、
重要文化財に指定されるそうです。
 
時代が変わって来ましたですね。
あのひとたちからの、息吹く如くのおとしめも、
段々と証拠が出土してきて、
嘘が通じなくなって来つつあります。
でも、
ここで、
もう一つ注意しておかなくてはならないのが、
表記の問題です。
 
モノでは、嘘をつけなくなると、
次は、ソフトの面で、また嘘をついてきますのが、
あの人たちの常習です。で、其処に備えてゆくには、
漢字直訳の害について、真面目にお考え下さいますでしょうか?
 
ヲシテ時代の、それもヲシテ時代中期の「コト」の、
これが、例えのひとつになります。
そのものを、ヲシテ時代中期の「コト」を、漢字の「琴」と直訳していて、
果たして良いものなのでありましょうか?
此処が、
わたくしの常々申し上げてきている事で御座います。
ヲシテ時代中期の「コト」を、
直訳に当て嵌めて「琴」と翻訳したら、
それは、大陸からの渡来の楽器になってしまいます。
 
わが国の方では、「5本絃」の「ヰ・ス」コト、
6絃の「ム・ユツ」コトなど、多くの例証が、
ヲシテ時代中期に文献根拠として実在して有るのです。

わが国の縄文・弥生時代にあった「コト」、
それと、
中国大陸や韓半島にあった「琴」とは、
この両者に、
形状も、それぞれ大きく違うのに、
安易なコピペの直訳をしたら、
それが独り歩きして、
結局のところ、
わが国の尊厳が横取りされちゃうんです。
本当の我が国の古来から、ヲシテ時代中期にあったモノとは、
ちょっとと言いますか、相当に大きく意味合いが変化していませんでしょうか?
ちょっとずつ、畔せせりに侵害してくるのです。
尖閣をビビッて譲ったらすぐ水際まで侵食してきますよ。
それが、畔せせりの、なせる業、
「ハタレ」の為せる業です。
陥ってはなりませんですね。
此処が重要です。
 
 
此処のところを、
わたくしは、ずっと、申し上げています。
もう、お解りで御座いますでしょうね。
対する相手は、信義を重んじるなんてちゃんちゃらないわけでして、
そこは、「ヲシテ国学」に目覚めたわたくしたちとは、目的が違うのです。
簡単な、楽器の出土物の表記でさえ、
直訳したら、我が国の宝物が、外国由来にと横取りされてしまうのです。
庇(ひさし)貸したら、母屋を乗っ取られ、です。
こんなバカな事が有りますか?
 
ちょっとの親切心が、
思わぬことに「売国奴」に成っちゃう、笑えない悲劇です。
気楽な気持ちで、直訳を、親切心でしたら、「売国奴」に成っちゃう悲劇です。
 
さらに、つまりは、
なおさら、理解のむつかしい哲学用語なんかについては、
まさに、やられ放題もいいとこになってしまいます。
庇(ひさし)貸したら、母屋を乗っ取られ、 が、
もっとも注意せねばならない事柄です。
 
わたくしは、
松本善之助先生仕込みの、
強烈な、
愛国者ですから、そのようなことには、
どうにも、おさまらないので御座います。 

          ・         ・
 
 
 
 
 
               ・
一番わかりやすい例が「ヰ・クラ、ム・ワタ」のことです、
『ホツマ辞典』の「序」(P3)にも書いておきました。
いまだに、「ヰ・クラ、ム・ワタ」を、
「五臓六腑」に直訳しても、誤訳だとも気が付かない人もいます。
それは「貶めでしょう!」と、忠告しても解かんないですよね!
悲しいかな!!
売国した意識も無くて、本当にかわいそうな事で御座います。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

«松本善之助先生の、 肉声録音が見つかりました。 「ハタル」人達の対応をどうするか? 京都の「ヲシテ講習会」が近付きました。