2009年12月12日 (土)

閑話休題。   「いやまひ かえす あくらいし」。  時雨煮のこと。

「いやまひ かえす あくらいし」

     (アマテルカミを尊敬する事、

           今にまた再び、思い起こすことが出来る、あぐら石)

                    ( 『ホツマ ツタヱ』 36アヤ -  30ページ (9318) )

アマテルカミのご由緒の深き石です。 おそらく、お座りになられておいでの事が多かった石なのでしょう。

Photo

何をアマテルカミがお考えになられて、お座りであられたのか?

このことを、よく、想います。

このところ、

『フトマニ』の解釈に脳味噌がクタクタだからですね。

             ・

石巻の回転すし屋で、味をしめてから、

回転すしによく行きます。 

安曇川でも、ほとんど回転すしでした。

普段の行きつけは「くら寿司」です。

ここは特に良くて、

保存料や味の素系のものなどの添加物が無添加ですので、

食べた後のどが渇くことがありません。Photo_2

わさびを、自分で付けますので、香り良くって、良く効きます。

あたまから湯気が出るほどになりますので「くら温泉」なんて言ってます。

高級過ぎるものより、「くら寿司」がいいですね。

アマテルカミもおっしゃっておいでのように、元気で長生きが一番ですから。

わたくしも、そんな事を言うのがもはや不自然でもないような年齢になっちゃいました。

でも、気持ちは、まったく変わらず、若者の好奇心旺盛状況です。

              ・             ・

女房が、時雨煮(しぐれ に)というのは、どういうわけなのか?

と、聞いて来ました。   佃煮なら、尼崎の佃島の由来ですから解りますが、時雨は何でしょうね?

スーパーで、子年魚(こ あゆ)の時雨煮があって、珍しく添加物ゼロだったのでした。これを買おうかな? としての事でした。見るにも、美しい琵琶湖産の子年魚(こ あゆ)の時雨煮でした。3パック買い求めました。添加物が含まれてあると、わたくしはまずほとんど食べないからです。

どうして? 時雨(しぐれ)なのか?

訊かれましても、

良く解りませんので、『日本国語大辞典』が一階においてあるので見たら?

と言っておきました。

ちゃんと調べた女房が、

何だかよくまだ解らないと言います。

そこで、

『大言海』を見ましたら、氷解しました。

10月頃の時雨(しぐれ)の時期に、桑名のハマグリが美味しいので、これを煮付けて保存食にしたもの、

それを特段の美味として時雨蛤(しぐれ・はまぐり)と呼んで珍重していたものから来た名称だったのでした。

さすがです、『大言海』大槻文彦さん。

巨大な冊数の『日本国語大辞典』では、名にしおうは図体(ずうたい)ばかりで、知恵が十分に巡ってないのですね。

では?

その先、

「しぐれ」とは、どう言った意味内容であるのか?

それは、ヲシテ時代にまで遡及して初めて理解可能になるのでしょうね。

ヲシテの解明をもっと進めてからの仕事ですかね?

これも、これこそが大きな仕事です。

大槻文彦さんの上をいっちゃいますことになるわけですから。

            ・

ちなみに、「しくれ」は、2か所に典拠があります。Sikure_4 

これがまた、「しくれ」の「し」は、『フトマニ』の「あいふへもをすし」の「し」にも、意味が共通していますのですね。

ちょうど、「しくれ」は、今の季節です。「ミ」の季節です。温かさのカミの4本がすべて地中にもぐった状態です。それで、ヲ(温かさ)のカミ尽きて、カンナツキです。 だから、「し」が「く」の「れ」です。

寒い季節になって、身体を温める食物がよいので、ハマクリなどいいわけですね。オオナムチは、「ヌルテ」を焚き火にしてモチヰ(餅)を皆にご馳走しました。(ミカサ146p、11571) 今日の琵琶湖の小年魚のしくれ煮はとっても美味しかったでした。

ヲシテ文献の読み進め方は、こちらを参照してください。

例として、「タツ」の事の解き明かしはこちら。

根拠のことなどは、こちら。

     ∞      ∞

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           ・

古史古伝、は「偽書」です。  お間違えなく!

「秀真伝」も「偽書」の一種です。

「秀真伝(しゅうしん でん)」は、ヲシテ時代の人名を

漢字表記してるので、スグ分かります。  お間違えなく!

せっかく見つけた、漢字以前の高度な縄文日本の文明、

なのに、外国文化の色眼鏡で貶めて見ようとする、構造的な間違いです。 偽書ですね、気持ち悪いですね。

共に、即、廃棄してください!  捨ててくださいね。

偽書運動には、終末を迎えさせなくてはなりません!

 

  

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2009年12月10日 (木)

『古事記』の世界観。 わたくしの戦争体験。

半籐一利さんが、ラジオで、ご自身の戦争体験を語っておられました。空襲後の火炎の中での隅田川の水中では、水面がどっちだか分らなかったそうです。

さて、昭和史の中では、幾つもの良くない選択を積み重ねてしまったのか?

これが、戦争への一里塚だったようです。

世界からの孤立方向にむいてしまったのは、なぜか?

ここに、『古事記』の世界観が強く作用していたと、わたくしは分析しています。

            ・

よく、お前は昭和30年生まれのくせに、戦争も知らないくせに。 よく言うな。  と、

言われますが、

わたくしの、出生自体そのものが戦争体験なのです。

父は、体力が弱かったので内地和歌山で守備にあたっていまして、命拾いをしました。

母は、結婚1年で戦争未亡人になりました。夫の乗った戦艦がフィリピン沖で撃沈されたからでした。敗戦後、乳飲み子を抱えて苦労する母に、幾つかの縁談を世話して下さる方があって、そのなかから、父を選んだわけでした。その選択理由は至って簡便でした。連れ子あって地味な方がいいだろう。

それで、3人兄弟ですが、長兄は母の連れ子、次兄は父の連れ子でした。

わたくしの出生自体が実に不思議だと、つねに、子供の頃から聞かされて来ていました。あの戦争が無かったら、あなたは生まれてない、と。それで、あの戦争とは何だったのか? 生きるとは何なのか? 私の、生きる上でのテーマでした。

母は、茨城県出身で、大阪に出て来ていました。祖父の事業のとん挫で、兄弟そろって大阪に来たのでした。時代の流れで、手広くやっていた人力車の商売が成り立たなくなったのでした。そうこうするうち、戦争もひどくなった頃に、母は尼崎の農家の一人息子に嫁ぎました。下関まで、一度だけ赤ん坊を見せに行ったのが最後だったそうです。敗戦直前には、農作業の帰り道にアメリカの戦闘機に銃撃され、30センチほどの目の前で銃弾が土煙を上げるプスップスッという光景が忘れられない、恐怖だった、と、何回も聞かされました。

半籐一利さんも、子貝川の堤防で鰻取りの帰り道に同じような経験をしたそうです。ラジオで聞いて、わたくしの母の話を思い出しました。

            ・

西欧の近代生産の革命手法を取り入れたのに、

どうして、焼けのが原にまでなってしまったのか?

国際連盟の脱退は、軍部だけでなくて、新聞論調など世論の方が強硬だったようです。

幾つもある選択肢の中で、神がかり的な唯我独尊の選択を重ねて行った結果、やがての、敗戦の焼けのが原でした。

       ・         ・

『古事記』は、ちょうど、当時の中国の唐における天壇思想に対抗するために作られた書籍です。あちらが、「天」からの統治権の授与をいうなら、こちらも、同等にする必要に迫られたのでした。

『日本書紀』は、神代巻(神代の巻き)は、一書にいわく、という、参考典拠が羅列されていますので、一貫した話になっていません。それでは、天壇思想に対抗できないです。

これが、『古事記』の世界観が明治期の西欧文明流入期にフィットした理由です。

本来の「日本」はお互いの存立を尊重しつつ、より良い方途を探りだす精神であるはずです。

『古事記』の世界観は唯我独尊で神権授与が根拠ですので、事あるごとに傍若無人になります。

『古事記』によって、対、西欧文明対策を講じたために、大切な選択肢を迫られたとき、強硬路線の判断が何回も重ねられてしまった。  それで、 あの焼けのが原。

これから先、どうしますか? 本来の「日本」の精神である、お互いの存立を尊重しつつ、より良い方途を探りだす、こちらの方向に戻したいと思うのです。

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2009年12月 8日 (火)

本年は、いろいろと、本当に有り難うございました。 感謝ここに、感謝です。

郵便局に行きましたら、もう、年末の装いでした。

今年の一年を、思わず、回想しました。

本年も、いつもに加えてお世話になりました色々のことを想い出していました。

         ・

ユズ(柚子)の実が、窓辺で黄色くなっていました。

香りの良いユズです。 それは、棘(とげ)がとても強烈です。

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採(と)ろうとしまして、あちこち、手など棘に痛い思いをしました。

いいものは、怖い面がありますですね。

今日は、お風呂でさぞ、あちこち沁みる事でしょうね。

       ・       ・

今年は、日本固有種の鞍居桃も、見つかりました。

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           ・

また、日本固有種の柑橘種のコウジミカンも見つかりました。

Photo

ともに、

大きな前進です。

         ・

それと、『よみがえる日本語』の上梓が出来たことは、

なんと申しましても特段に言える、大きな前進です。

これから、またまた続編完結まで、気の遠くなるような仕事が待ち受けています。

とにかく、緒に付け得たことは評価できますでしょう。

完結出来れば、国のたから、全世界においてのたからになることは、請け合いです。

         ・

『定本ホツマツタヱ』の在庫が、もう無くなってしまいました。

わたくしの死ぬまではあの在庫であるだろうか? と思っていました、それが、なぜかもう? 在庫が底をつきました。 この書籍は、漢字文献類との前後関係を一目で理解するための基本書籍です。頒布を切らしてしまうわけにはゆきません。

なぜなtらば、「日本」の国家としての本筋をまともに考えようとするならば、

だいたい大学の教養課程の教科書にしなくてはならない書籍ですから、です

現実は、きびしく、初版の売上金が戻ってこないので、本当に苦しい所です。が、どうあっても、頒布を切らしてしまう事だけは、なりません。借金で増し刷りしました。また、賛助して下さっての事が、あって何とか実現出来ました。深い深い恵みの事を思います。 それで、ユズ(柚子)の実の痛た痛たながらの収穫にもなるのでした。

      ・       ・

来るべき来年も、輪をかけて忙しくなり行くような気配です。

みなさま、

健康にお気を配り下さいまして、お身体のこと、おん、お大切に。

わたくしは、

盆暮れもなき生活を、ずーっとして来て居ります。

ご挨拶もまったく為し得ない不出来で恐縮です。

どうか、どうか、ご宥恕のことでと、ご容覧のほどを、どうぞお願い申し上げます。

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2009年12月 4日 (金)

創造的な解明のこと、「トヘラ」は何か?  「ヘラ(願望)」か?

「トヘラ」のこと。

前々から気になっていました。

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「トヘラ」を植物の名前として考える、と、どういう働きが、あるのか?

辞典など枝や葉は、折ると臭い、とあるのですが、

実際はちょっとも臭くありません。

実がなりました。 ので、実が臭いのか?  見に行ってきました。

Photo_2

はじけて直(す)ぐの実は、指にペタペタしますが、臭くはないです。

小鳥も好きのようです。

ハタレのアメヱのミチが、どうして? ここに、ハウチワで、ぎゃふんとなったか?

「トヘラ」植物説が、どうも、頼りないです。

おまけに、

「トヘラ」は、ヲシテ文献にほかの個所には1例も出典なしです。

            ・

Photo_3

                     <御塩殿>

宮本輝さんの『異国の窓から』(角川文庫、初版は1988年光文社)が、目に留まりました。女房が買っておいていた本でしょうね。なんとなく見ていました、ら、こんな文章がありました。宮本輝さん曰く。

「創造というものは、おそらく、それまでどうしても見えなかった何物かが、ほんの少し見えた瞬間から始まる。(創造)は、人それぞれ、(希望)や(成長)や(闘志)や(真の教養)などに置き換えられるだろう。」(54P)

とっても良い言葉ですね、

是非とも、引用させてもらおう、

知って欲しいと、そんなキラキラしたまばゆい言葉であるとおもいました、

Photo_5

「トヘラ」でなくて、

「ヘラ」(願望)の意味の「べら」と、解釈すると、

これはこれで、文脈が通ります。

     ・     ・     ・

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               <御塩殿の向こうに海を望む>

            ・

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             <宇治橋に明かりが灯りました>

ちなみに、

「やれ」の用例は下記の通りです。

この、8アヤの「ヤレ」は壊れることを意味していましょう。

Photo_8

また、「ヘラ」の出例個所も示します。

Photo_9

Photo_10

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Photo_12

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2009年12月 1日 (火)

ヲシテ文献との、出会い。 わたくしの場合。 松本善之助先生との出会い。

よく訊(き)かれますことです。 昨日の夜にも、聞かれました。

わたくしのヲシテ文献との出会いのこと、を、です。

これを、ご説明しておきましょう。

        ・

今を去る、38年前の事でした。

当時は川西市(兵庫県)に暮らしていまして、高校2年生のときでした。

学園紛争でずいぶんと苦労をしていましたのを思い出します。

生徒会の副会長でしたので、紛争の混乱がモロに身に及びました。

3年生の指導的人達は、引き籠ってしまい、矢面に立たされたのが逃げないわたくしひとり。

あれからです、髪の毛が薄くなり出したのは、です。

そんななか、ある日、新聞の3行案内で、尼崎市の同人誌「アマゾン」の、

案内が、ふと、目に留まりました。 

暑い時期でした、次回の例会は○月○日夕方○時から、○○公民館で。

希望者は参加しても可。 と。

今も、立派に活動しておられます。

http://www.geocities.jp/hiwaki1/doujin/kakushi/amazon.htm

38年前のあの時、

わたくしは、

ふっと、 なぜか?  参加を決めました。

     ・        ・

尼崎にはバスで行くわけでしたが、少し早めに着きました。

いつも、延着する事が多いバス路線なので早めに出発したためでした。

歩道橋を上ると、下に、古本屋が見えました。

ちょうど良い、と。 店内に入りました。

此処で見つけたのが、読めない漢字のある本でした。

安かったので、買う事にしました。

Img081

後で解りましたが、落丁本(ページに組み違えがある)で捨てられたのが、

何故かめぐりめぐって古本屋に並んでいたのでして、こんなことは、まずないとのことでした。

さて、『守護さんと私』なんと読むのか?

辞典を見ても出ていません。

出版元の「真の道」に電話をして聞いてみました。東京世田谷でした。

すると、大阪に支部があるとの事。

次の休日に行ってみる事にしました。

さて、

その、梅田の大阪市北区堂山町の支部にて、

松本善之助さんの話があるから、聞いてみますか?

と、いう、出会いになったのでした。

不思議な不思議な偶然の何重にも重なったいきさつでした。

      ・        ・

はじめ、

松本善之助先生のお話を聞いた日には、

雲をつかむようでした。

それでも、

何か鬼気迫るものを、あるいは、真実に限りなく近いなにものかを、

感じたのですね。 もうすぐ刷り上がるとの印影版の『ホツマツタヘ』の購買を決めていました。

お送りくださった、『覆刻版ホツマツタヘ』(小笠原 長弘 写本、復刻)に取り組みました。

Img019

            <『覆刻版ホツマツタヘ(小笠原長弘写本)』

                       最初のアヤのあたりだけルビが振ってあって、

                   後は、ヲシテだけの所謂(いわゆる)白文(はくぶん)

言葉のうつくしさに強く惹かれていったような回想でしょうか。

古本屋もそうでしたが、

あちこちの、図書館に通って、幾つもの国語辞典・古語辞典にあたりました。

ちょっとも、埒があきませんでした。  〝をしかど〟なんていう言葉は、どんな辞書にも出ません。

当時に、通った図書館は、

メーンが、

大阪、中之島図書館。

(食堂のカレーは肉が入って無いので大好きです。今も少しも変わらないのには、このあいだも、ゾクゾクしちゃいました)

池田、池田文庫。  (財団法人 阪急学園)

(当時の、移築の古建築の建物がなつかしいです。小林一三さんのお気持ちが今になって、よく、偲ばれます。窓の木枠の年輪の輪が妙に残って硬くとんがって黒くて綺麗なんですね。ひだまりの、窓辺。 逸翁美術館でも本当にお世話になりました。美意識は、ここに若い頃勉強させてもらえたのであったかと、回想します。ヲシテ文献にある、ヲヲヤケの精神もですね。一三さんはお偉いお方だと、常々思っております)

その他、夕陽ヶ丘図書館、神戸の県立図書館などなど、 よくよく、お世話になりました。

竹内文書の『神代の万国史』なんて買ったのも、このころでした。

          (今なら、ネットで早く解決なのでしょうけれどね)

そのうち、松本善之助先生からのお便りで、

大阪、自然社にて、研究会を始めるのでよかったら来てはどうか?

と、お誘いをいただきました。

大阪の天王寺の、謡曲でも有名な松虫に通うことになったのは、

かくある成り行きの経緯(いきさつ)からでした。

自然社は、http://www.sizensya.or.jp/

日捲(めく)りのひとこと案内カレンダーの頒布の収入で、

活動の原動力を得ている真面目なところです。それで、松本善之助先生に、応援を送って下さいますようにもなったのですね。

ここでの講義は、10年近く続きましたでしょうか。

そのうちには、

京都での研究会も並んで開催され、記紀との照合比較の講義研究をじっくりと受けることが出来ました。

その長い間、お葉書やら、

お手紙やら、

本当に、筆舌に尽くし難きご指導を、松本先生から賜りましたです。

この以降については、あれこれ書き記したものにも、散見できるかと思います。

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«「ホツマ」から、 「ヲシテ」への敷居のこと