出来得る限りの、オリジナルに戻る大切さ。 真実には殉じるほどの心意気。
明治から昭和にかけての尊敬する人に、
山田孝雄先生がありました。
近郊の人に、石碑の書を頼まれた際に、
『もとの文字でなら』良いですと、承諾されたのでした。
みんなに読み易いように、漢字かな混じりで口語訳にして、
と、言うアイデアは、一蹴されたのが山田孝雄先生でした。
劣化コピーを恐れられておいででしたのでしょう。
今も、山田先生の書の万葉歌碑は、
東北、涌谷町の黄金山神社の社頭にしっかりと佇んでいます。
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東北地方で、産金のところと言うと、
昭和の始め頃までは、
石巻の沖合いの金華山がつとに有名でした。
江戸時代に、金華山の僧侶が宣伝に長けていたからなのでしょうね。
しかしながら、
江戸時代から研究の盛んになった『万葉集』には、
ひとつの和歌がありまして、
小田郡の場所であることが鮮明な事実であると発見されたのですね。
ここに、金華山側の僭称の事実が明瞭に成りました。
この発見を受けて、地元の有志が、
当時、尊敬されていた山田先生に、恐る恐るお願いにあがったのでした。
仙台にお住まいの山田先生は、『万葉集』にある原字原文でなら、
と、石碑にと、揮毫なさって下さいましたのでした。
わたくしが、山田孝雄先生を尊敬申し上げる故は、
梅沢伊勢三先生の研究を始めてお認めになられた、事にも拠っています。
梅沢先生は、『日本書紀』『古事記』の原字原文での対比比較の研究をおこなって、
『古事記』よりも『日本書紀』の方が原資料により忠実であることを、
解明されましたのでした。
『記紀批判』『続記紀批判』(創文社・梅沢伊勢三、昭和37年、昭和51年)
簡単に一言で言うと、『日本書紀』より『古事記』こそが内容的に新しい時代の作品であると言うことです。
また、言葉を変えて言いますと、日本の源流を訪ねようとしたら、『古事記』よりも『日本書紀』を重要視すべきである。と言う事になります。
解ったならば、その真実に殉じてでも貫く姿勢。
これが、真摯な姿勢と言うものだと思います。
後年、梅沢先生は、亡き山田先生のお住まいだったお宅にお住まいになられたのでした。
そして、梅沢先生は、「古事記学会」のトップに推されてもおいででした。











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