2017年5月
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2017年5月22日 (月)

天理市の黒塚古墳の、アフチの花と、秋の展覧会の事。

わが家では、ホトトギスが良い声で鳴いています。
ナツも盛りに差し掛かりました。
京都では、上賀茂神社の葵祭りのあとで、
新緑がさわやかでした。
Kamikamo1
          <結婚式を挙げておられました。お幸せに。>
タラヨウの大樹が、御手洗川(御物忌川)のほとりにありました。
Tarayou
 
その昔、ヲシテ時代の中期以前には「カチ(カヂ)のキ」(梶の樹)と呼ばれていたかも知れません。 わたくしの試論です。
Kati
   『トシウチニナスコトのアヤ』に典拠が有ります。
 
『ホツマ ツタヱ』の8アヤはひとつのアヤとして文章が長くて、
かなり難解でもあり、おつかれさまでした。
ヲシテ時代の理解は、一筋縄では参りません。
でも、安直に簡便にやり過ぎると、わが国の高貴を逸してしまうので、
ここに留意をしなくてはなりません。
                 ・ 
奈良の黒塚古墳のくわしい展覧会が、
今年、H29年(2017)の秋に予定されています。
Kurodukakohunn1
                <橿原考古学研究所、博物館 にて、です。>
発掘から20年で、解明もだんだんと進んできたようです。
Kuroduka5
 
黒塚古墳には、「アフチ」の花が咲き始めていました。
Kuroduka6
 
天理市の、10代の崇神天皇さん(ミマキのキミ)のご陵のすぐそばです。
Mimakinokimi
向かいに、お餅のお菓子屋さんが有って、
美味しいと評判です。
歩いても近くに、
ヌナギヒメさんのお社も祭られてあります。
Nunagihime2
 
Nunagihime1
ヌナギヒメさまのこと、記紀はどうして?
記述が冷淡に過ぎるのか? 大いに不思議でなりません。
Nunagihime
 
いかがでしょうか? 如何にもおかしい恣意的な翻訳です。
どう見ても、記紀など
漢字文への翻訳本は、
明らかにおかしいので御座います。
わが国の歴史は、此処から正してゆかねばならないと、
わたくしは考えております。
結局のところ、
いつでもそうですが、新来の帰化人たちが、
ウソも方便と、やたら、ウソ八百を、
垂れ流しにして来たせいでしょう。
今も昔も、本当に真実を解かって来ると愕然とします。
盗人(ぬすっと)たけだけしいと、のことで、
南京大虐殺は、人口の以上の人数をどうして殺せるのか?
まったく意味不明です。
 
 
すなわちのところ、
外国人が、先導して実行しているのです。それが、悪役の濡れ衣を被せられただけなので、汚名を雪(そそ)ぐ必要に、今、背に腹をかえなくてはならないほど、切迫されてきます所で御座います。
そもそも、考えてみて下さいませ。
わが国振りに於いて、
当たり前のことに、
異常なる、他者を悪人に仕立て上げることは、絶無です。
 
このような、幼稚園児の幼子(おさな)にも、
侮蔑的にわかる話を言い連ねるのが、千数百年来の記紀などの漢訳本の姿でした。
それらを、綺麗に一蹴してしまう必要が御座いますね。
このこころざしの、気が付いての有無が、
どう有るのかどうか?
の事々が大切で御座います。
この感覚が「ヲシテ国学」という事で御座います。
ヲシテ時代からの伝統におきまして。
それが、
韓半島や、China大陸部のそこからの伝因のことに因りまして、
悪風の悪習・悪因が流行って来ますのが、
ヲシテ時代の晩期の頃です。
ここに、反・アンチの外来思想の旗印!  です。
いかに、
物質的には豊かになっても、
キラギラしくも、
豊かになってきていても、
本当の意味ではどうだったのでしょうか?
そこのあたりの経緯を詳しく判別・判定の事々を、
冷静に行ってゆくべきです。
 
それが、
ひとつには、
中世の「わひ、さひ」(侘び・寂び)の、
本来の我が国の情緒の復活の運動でもあるのです。
おかしいと、そういう風に振れていましたら、
何時の時代にも、
揺り戻しの機運の起きて来る。
それが、本当の文明ですね。
 
考古学でもそうですが、
発掘から、その解明には、相当の努力と期間を必要とします。
掘っただけでは、どうしようもないのです。
 
ヲシテ文献で言えば、
1、その発見の後に、
そして、
(他写本との照合による、文字や文章の確定の作業。校合のことです。)
そのあとに、
その後に、
 
ヲシテ文献の場合、
5番目の、諸事の考察に進んでいます。
 
何と申しましょうか?
1の事項はまだしも、
2か、3からの事項から、
わたくし達の進めてゆく「ヲシテ国学」と、
そうではないオカルトの類(たぐい)の人達との、
その路別れが生じて来るのです。
これは、目的とするところの違いですので、
仕様の無い区別になります。
要は、早い目に、
目的の行き着く理想のユートピアに付いて、
諸人のおこころを理解してゆく事に尽きる事であります。

         ・        ・         ・
 
そもそも、文献学と言うものは、
本質的に、
考古学よりも、もっと何十倍も困難さを包含しています。
なぜならば、素人目には、
一見には、区別が、その良し悪しに気が付いては行かないからです。
 
たとえば、「マカコのヤシリ」がヲシテ文献に典拠が有ります。
Makakonoyasiri
Makako
「キタワセ(鍛える)」ですから、鉄の刃金製であると考えると、
妥当であります。
つまり、実物として、
黒塚古墳での「鉄鏃」に相当することが、
やっと解かって来ました。下の写真は、レプリカです。良く出来ています。
Kuroduka1
天理市の黒塚古墳展示館に展示してあります。
が、さて? 「マカコ」の意味は何か?
それは、黒塚古墳での「鉄鏃」の出土物の分析と解明が、
もっと進むと、ヲシテ文献での典拠の用例の言葉の意味の解明に、
繋がってくるのかも知れません。
 
黒塚古墳の、ツルギも掲示します。レプリカだそうです。
Kuroduka3
 
Kuroduka4
 
黒塚古墳からは、鏡が多く30面以上も出土しています。
Kuroduka7
 
鏡面のくわしい解析によって「魔鏡」になっている事が解かったそうです。
墓室に付いても、くわしいレプリカが、制作・展示されています。
何でも、二上山の石質に近い長野県の更埴市から取り寄せて、
出来るだけ忠実再現をしたそうです。
なお、鎌倉時代頃の盗掘の後も再現してあって、
もう10cmも掘ったら、あやうく破壊された寸前にあったとの事。
黒塚遺跡が残ったのも、奇跡でした。
Kuroduka2
中央部には水銀朱の赤を塗り、
棺の周囲にはベンガラの赤を塗ってあったとの事です。
ツルギふた振りと、カガミの一面が棺の中に添えられてあって、
外部に、多くの鏡が立て掛けてあり、
ニシキの袋に二重に入ってあったカガミもあるそうです。
ニシキの織り方再現も進んできているそうです。
漢字渡来以前の、本来の我が国の文化・文明の解明です。
ヲシテ文献の記述との合一・吻合が、
またまた、新たに明らかになることでしょう。
さて、
秋の展覧会が楽しみです。
ヲシテ時代の高貴さ、その後期・晩期の実情が解かります。
本当の我が国の精神的な独立なのです。
 
これで、
またひとつ、帰化人たちのついた嘘を晴らせます。
千数百年前、漢字が来てから、「日本」に文化が出来たという、
真っ赤なウソです。
かれらは、ディする貶めが習い性なのですね。
京都人になるには、3代住まないととも申します。
わが国振りになるには、何世代かの時間が必要なようです。
 
黒塚古墳の、
アフチの樹の花の咲きはじめを、UPにしてみます。
Kuroduka7_2
 
 
 
今日は、女房が、
ホトトギスを、その姿を見たと言っていました。
鳩よりは、ちょっと小さ目ですが、
スズメよりももっと大きくて、
ヒヨトリよりもやや大きいような、
で、
今日は、夕方とても元気に、すぐそばで鳴いていました。
何か良い事が、あったのでしょうか?
うるわしい事で御座います。
本当に、うるわしい良い声で御座います。
朝もそうですが、
ホトトの声を聴いていると、
気持ちが晴れます。
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2017年5月18日 (木)

足立康史議員の事。わたくしの本籍地の、地盤の議員さんでした。 「ヲシテ国学」の公式のこと。

中世での例にても同様でした、
分限者のお方は、どうにも対投資効果ばかりに、
目先が向きます。
Sidawarahi
           <シダの新芽です。
            シダの種類で、ワラビとゼンマイの名称は、
            中世ぐらいで入れ替わっているようです。
            そうしましたら、
            『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」に典拠のある、
            「ワラヒ(ワラビ)」は、現在でいう品種は、
            どうなのでしょうか? これの解明も、ひとつの、
            大きなテーマです。
            そもそも、「ワラフ(笑う)」の語源は何か?
            ヲシテでの解明です。これもテーマです。 >
 
わが国の事、それが、
その国家の本当の樹立こそが、
安定と平和を齎してくれると、
その理解に至るには、
長年のこれから先の事が必要であるようです。
            ・
でも、
足立康史さんのように、
https://www.youtube.com/watch?v=OS2suU90hYk
言辞をしっかりと主張して下さるお方も、
出てこられて、うれしい事で御座います。
わたくしも、此処もうちょっと、頑張って主張は曲げませんから、
そのうちに世間のお人にも、
理解がもっと広がってきてくれますか?
と思っています。
もちろん、何がどうあっても、
間違った方向にはわたくしは転換は致しません。
Yumi
            <ユミの、縄文時代です。
             橿原考古学研究所にて>
            ・
そのような、
世間の事は、
わたくしには、ほおって置いて、
亡命する国会議員たちの類が出て行ってからの事なのでしょうか?
Jyaketu
        <ハリエンジュ、だと、教えて戴けました。
         香りの良い、ですが、トゲもすごいのです。>   
祖先に感謝、わが国のこと、国士のお方々に感謝は、
わたくしは強く思います。
狭い意味での事ではなくて、
何千年と積み重なって、より良くしてゆこうと、
その思いのかさなりに、わたくしは、強く感謝を思います。
わが国の大切さを思う心です。
これが、
基本の気持ちの在り様だと思います。
 
 
写真をいくつか。
Kiri_2
      <キリ(桐)の落花です。
       香りが良い事で御座います。>
Kiri1_2
            <キリもそうです。
             タケ(竹)も、いよいよ、
             枯れての更新の時期で、
             竹の秋です。>
Takegare
 
 
      ・
さてさて、
そう言うような事など考えてもおりました所。
に。
記紀の原書の出現ですから、
真面目にきちっと遂行してゆこうと、
わたくしはこころざしておりました。
わたくしのこの、長い間の取り組み始めた初期の、
20~30年来は、
まったくひどいものでした。
それが、十何年から二十年近くも続くわけでして、
さらにも、
まだまだ、「ねずみ男」的な人達の接近・出現は絶える事もさしてもなにも無いです。
Nezumiotoko
                <アドレスです>
このような、残念な事々は、もう、
慣れっこにはなっていますので、
気にも留める事も、何も無い訳で御座います。
悲しい事で御座います。
でも、
何十年来の、ぐりぐりにでの、
そう言うような、
グチャグチャを、今後にもやっていてもしょうがないので御座います。
アホかバカかの、ABCにもなりますね。足立康史議員のびっくりのアタフタの事にも、同じきのような人にもあれどもで御座います。これは、いかにも寂しいもので御座います。そのようなてあいと、距離を置くのが必然です。
Syakunage_2
 
 
何しろ、あと、
どう頑張っても、100年はどうだろうか?
です。
目の黒いうちに何とか!!?
とは思って居りましても、
そうは、問屋が卸してはくれませんですよね。
そこで、
息の有る内の、取捨選択に、
その究明のテーマの仕事です。
本当に、世の中を動かしてゆく、
その原動力は何か?
と、
この頃、良く考えます。
真実と、誠実と、
当たり前なことだと、わたくしは、意を新たにしております。
でも、
大切な事には、
ダマされたりしてはならない事も、
この事も、とても大きな要素であります。 

            ・       ・
 
わたくしの主張する「ヲシテ国学」の公式です。
 

第一項

『古事記』<『日本書紀』<『ホツマ ツタヱ』など「ヲシテ文献」

(12代景行天皇の56年以前。 <の意味=重んじる事。)

第二項

初代クニトコタチによる、「トのヲシヱ」建国

(A、考古学でいうと、少なくとも縄文時代前期中葉には遡及できる。

B、立憲君主国家としての建国。)

 
Amakami

 
 
 
 
 
 
 
 
 

2017年5月 8日 (月)

ご陵巡拝のこと。「なら 記紀・万葉」プロジェクトのこと。 ハシツカ(箸墓)のこと。

季節も初夏の良い気候でして、
ご陵さんの巡拝にと思いました。
Jinnmutennnou
            <初代、神武天皇ご陵にて(じんむ)>
そうしましたら、
何だか出会う人が多い様な気がしました。
Suizeitennnou
            <2代、綏靖天皇ご陵にて(すいぜい)>
え?
と思っていましたら、「なら 記紀・万葉」の30Pの冊子が、
あることに気が付きまして、貰ってみました。
Img102
良い方向に、やっと、動き出している事、
ホッと一息いたしました所です。
Kikinotigai1_2
Kikinotigai2  
やっと、
時代の雰囲気が、おかしげ『古事記』の幻惑の迷いから、
我が国本来の「こころ」への修正にと、
戻りて、動き出しつつありましょうか?
もちろんの事、
記紀の原書の『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」は、
記紀との比較において、99.9%のところ、
『日本書紀』に軍配を上げます。
要するに『古事記』はダメ本で御座います。
ジャッジ出来るのは、記紀の原書の位置であるからです。
だから、我が国の今後にとって、とても大切なので御座います。
この重要な位置の理解が出来て、「ヲシテ国学」の意味が解かって来ますね。
本来なら、『古事記』の処断について、断罪の多寡をはかる所があたりまえです。その事重要なのですね。
記紀の原書なのだから、翻訳過程での良し悪しの判定を付ける義務があるのです。必然的な義務とも言えます。
この議論のシステムも解からない人も、
過去に、余りにも多く出会ってしまいました。
こんな簡単なロジック、
どうしたら? お解り願えるのか?
日々に、勉強を重ねております所で御座います。
 
それは、
「因幡の白ウサギ」や「ミミズク」をあげつらうのは、まさに、論議の論外なのは、
明らかだと、わたくしは考えております。これらは、どう考えても、ヘンです。
 
でもでも有り難い事に、やや、
世の中の理解も、わたくしの思いに近付きつつ御座います。
それはそうでして、
二重国籍問題の解決も無いままに、
過去何回も繰り返してきていたような事の、
いわゆる
耳に聞こえの良さそう、とか詐欺や、
オオカミ少年のやるやるの詐欺とか、
だましレベルの事は、もう、うんざりなのです。
しっかりと、地に足を付けて、
わたくし達の本来の生き行く先のミチを、
真面目に希求せねばならないと思うので御座います。
この思いも、やっと、
世間の理解にも、寄り添って来てくれるような雰囲気で御座います。
うれしい事で御座います。
 
                 ・
 
そんなことで、
ご陵さんへの巡拝も、ちょっと、気が良くなってのご報告にもなります。
出会う人も多いので、
写真も頼んだりしやすくなりました。
でも、
安寧天皇さんからは、写真を頼める人に出会えませんでした。
Annneitennnou
            <3代、安寧天皇(あんねい)ご陵>
それもその筈で、ひとしきり、雨が降ったりもしました。
ウォーキングの人は、雨宿りだったのでしょう。
Itokutennou
            <4代、懿徳天皇(いとく)ご陵>
このところ、継体天皇などヲシテ時代以降にも思いを及ぼしています。
宣化天皇は継体天皇の皇子さまにあたります。
Sennkatennnou
             <28代、宣化天皇(せんか)ご陵>
宣化天皇さんのご陵からは、ウネヒ(ウネビ・畝傍)の山が良く見えます。
Unebi
Unehi
 
時代は、進んでいます。
この先、ダメ本からの脱却をはかる道筋です。
 
『古事記』→『日本書紀』→『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」へ、
と、順次コマを進めてゆかねばなりませんが、
やっと、世間の理解が第一段階の、
『古事記』→『日本書紀』の、上中下構造の改訂に来つつ…  です。
 
分量比較だって、『古事記』3巻、『日本書紀』30巻ですから、
十倍も『日本書紀』が上です。
Mamusikusa
       <マムシクサとウラシマソウです>
『古事記』はダメ・ダメ本であること明らかで御座います。
その上に、本物の宝物の『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」があるのです。
この事実の事、ほおっておくことは、わたくしにはできません。
マトモな研究・啓蒙が、
これが、
わたくしの仕事であり、
わたくし達の仕事にもなってきております。 
                   ・  
 
なお、
ハシツカ(箸墓)のこと、
橿原考古学研究所とアジア航測さんで、
デジタル測量を今風に精密にして下さっています。
さすがです。
Hasihaka1
詳しくは、こちらで。
Hasituka2
ヲシテ文献には、
Hasitukano3
 
Hasitukano1
 
Hasitukano2
 
ここの所も、『古事記』は酷い貶め記述改竄をやっていますので、
『定本ホツマツタヱ』(池田満、展望社)の該当箇所を、
ご覧願います。
『古事記』のひどさが、ここでも良く解かります。
 
 
幾つかの段階にも、
進みゆく本当の「国学」です。
その路筋です。
つまり。
『古事記』の酷さが解かってくる、
このところが、現状のあたり。
『日本書紀』と、『古事記』とを比べたら、
あれ? 『古事記』は、売国レベルではあるまいか?
と、気付いてくれるレベル。
もう、何か変だな?
『日本書紀』がマトモだった!
この事実が、
どうして?
隠蔽されて、千年来のダマしをされ続けてきていたのか?
この辺りの、ひどい、わが国を貶めるプロジェクトの、
その、
二千年近くの陰謀と画策を、
今にやっと、黒雲を晴らしましょう、
と、気持ちの良い展開にとつながります。
さらに、
もっともっと、何十倍もマトモなのが、
『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」です。
この正当な研究・啓蒙の事業は、
とても大きな事業で御座います。
それで、気を、いつも引き締めております。
                 ・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2017年5月 4日 (木)

木下武司さん『和漢古典植物名精解』の事など。タラヨウのこと。

キリ(桐)の花見に誘われてもありました。
良い香りです。
Kiri2
ですが、事情もあって女房が膝痛(ひざいた)で、
病院に連れてゆく際に、そのおまけに、キリの花見でした。
Kiri4
膝痛のことは、ダンスで勉強した事が役に立ちました。
女房に、骨格や筋肉などの身体の構造を説明しましたら、
膝痛の根本の対策になったようです。
ダンスで培った、身体基本構造の理解が役立ったようです。
Kiri3
基礎の、根幹の理解が、一番大切です。
何でも勉強であります。
当面のことは対症療法が必要ですから、整形科での受診です。
月曜日の話でした、もう、今日には、かなり回復に向かっているようです。
人体は、精密な生理構造によって維持されていますから、
本当に複雑で、分子生物学の新分野の視点からでも、
まだまだ良く解からないことだらけのようです。
ダンスで勉強した人体の構造的な仕組みの、骨格と筋肉なども、
本当に、一つ一つを見ても、吃驚する程に繊細で大胆で、かつ、合理的です。
分子生物学を草創期から注視なさっておられた三石巌先生の思いも、
何となく解かるような気がします。
               ・
さて、『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」での「キリ」の用例です。
Kiri

そう言う事からも、
人々は、有用植物に、注目するはずです。
冶金への利用で、「シロカネ(銀)」の製錬に使用していたと思われます。
 
私たちの先祖は、偉い人がたくさん出ているはずです。
特に、植物の生態数のバリエーションのすばらしく花開いているのが、
わが国なのです。そう、日本列島です。
寒冷期の氷河時代でも、四回を海に囲まれて、そのおかげ、
温暖さは、周囲に秀でていました。
それで、多くの絶滅危惧種が、わが国には残ったのです。
つまり、わが国は、何万年何十万年レベルでの、
絶滅危惧種の宝庫であったのです。
やっと、
この事実に、
考古学の発掘からも、
解かって来ました。
漢字に幻惑されて、China渡来説にかぶれての大間違いを、
ここで、直してゆかねばなりません。
さてさて、
文化・文明の発生の後にと、話題を移しましょう。
ヲシテ時代の始まりは、
最低に少なく見積もっても、6000年前はあります。
その根拠は、三内丸山遺跡での「クリ(栗)」の品種改良を伴った栽培植栽に定礎を据える事が出来ます。
このことは、
『古事記』『日本書紀』の原書の『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」に、
その典拠を見ることが出来ました。
詳しくは『ホツマツタヱを読み解く』(池田満、展望社)をご覧ください。
しっかりと纏めております。
ヲシテ時代にも、古くから、薬草や有用植物への利用の知恵は相当にあったようです。
キリ(桐)もそのひとつです。
登呂遺跡から、弥生時代のキリ(桐)材によって作られたコト(琴)が出土しています。
Kiri1
http://kiri-life.com/column03

そして、
ヲシテ時代中期にも、キリ(桐)の冶金の利用の用例があります。
そうしましたら、キリ(桐)は古い時代から我が国のものであった、と言えます。
ところが、
明治以降からの植物学では、大陸渡来思想に覆われたままでした。
最近になって、鳥浜貝塚や三内丸山遺跡などの発掘から、
やっと、本当の我が国の文化・文明も現物の出土物から紐解かれつつあります。
ですが、哲学や世界観は、文献や言葉でしか詳しいことは解りません。
                 ・
この、大きな出来事に、
即さの理解を求めようとは、
わたくしは考えてはおりません。
ゆっくりと、じっくりの、マトモな理解を希求してきております。
従前の「神代文字」のレベルとは、隔絶の区別がなされなくては成りません。
何故ならば、記紀つまり、『古事記』『日本書紀』の原書である証明を、
既に済ませて公開出版しているからです。

つまり、
12代景行天皇56年までの、国史は、
『古事記』『日本書紀』から、『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」に、変更されるべきである。と言う、当たり前の主張をしています。
Amakami
この事は、
松本善之助先生はじめ、
わたくしや、青木純雄さんなど強く主張している訳で御座います。
ここを、どうして解除してゆくか?
が、
長い千年来のわたくしたちのクリアーにしてゆくべきこれからのテーマです。
ここは、真面目に考えたら、外す事は出来ません。
これで、記紀の原書の発見と、真面目な研究によって、
やっと、本当の我が国の文化・文明も精神的なことが判るようになりました。
でも、漢字に置き換えられて2000年近く経ってしまったのです、
漢字訳によって、随分と変容してしまいました。
豊かで温かい、また勁い我が国本来の文化・文明は、現代語で表現するのは、
現代文への直訳では、決して上手くゆきません。
それはそうです。
Chinaは、我が国の事を「倭人(こびと)」だと、
根っから貶めて言わんとしていたのです。
やっと、「日本国」と書き始めたのは、
天武天皇のころになってからでした。
ほんとうに、バカにされっぱなしだったのでした。
『魏志倭人伝』の時代から、わが国は、やられっぱなしもいいとこでした。
今でも歴史は繰り返す、のように、「小日本」とか「日本鬼子」とかと、
畔せせりのように突っ掛ってきて、バカにしようと企むのが彼らのようです。
性癖なんでしょうかね?
こちらとの差異は、
「トのヲシヱ」の基礎構造が6000年来にも有るので、
わが国の伝統とは、
大陸も半島も、心理的な基礎構造が違うようです。
地政学の理解から現代にもわたくしたちにも辿って行ける路スヂが見えて来るかとも思っています。
 
                 ・
 
 
昔の悪口の蔑称が「倭人(こびと)」だったのでした。
つまり、
『魏志倭人伝』と言うのは、明らかに悪口におとしめのための本で、
毀誉褒貶の悪いバイアスだけが掛かっていたと言えます。
『魏志倭人伝』は、揚げ足取りに徹した書物です。
こんなものを、マトモに取り上げるのが、間違っています。
すでにして、漢字渡来の以前の時代から古墳時代に入って、
やがて、
世界でも最大級の仁徳天皇のご陵を作ったりしているのが我が国です。
漢字渡来の王仁(わに)が来た頃の話が、仁徳天皇の時代ですよ。
それが実現しているのには、
縄文時代の前期頃からの長い、世界に冠たる高貴な歴史が、
わが国に、すでに実存していたからなのです。でないと、話のつじつまが合わないでしょう?
ですから、
我が国本来の文化・文明は「縄文日本文明」と呼ぶと解かり易いでしょうか?
それは、文献学で記紀の原書の、
『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」に拠って初めて解明されるのです。
『ホツマ辞典』(池田満、展望社)に、広範な基礎知識を詰め込んでありますので、
ご覧ください。
『縄文人のこころを旅する』(池田満、展望社)には、解かり易くヲシテ時代中期に遡る道筋を記しました。
初見に、全体の雰囲気を掴んでもらうためには、
松本善之助先生から絶賛の賛辞を頂戴した本です。
       ・        ・         ・  
さて、
はじめのころ、
ヲシテ文字をどう書いていたのか?
ヲシテ文献には「ソム」の表現が多くあります。
Somu1
Somu2_2

「シルシテ」の表現もあります。
Sirusu1_2
 
Sirusu2
 
Sirusu3

これらの実物は、おそらく、「キヌ(シルク)」などの布に染めたものであったと推察されます。
これらは、ヲシテ時代中期に遡る頃の用例です。
つまり、考古学で言うところの、縄文時代の晩期から弥生時代の初めごろの事に成ります。
 
では、もっと古くには、どうだったのでしょうか?
ヲシテ時代の草期にも遡る、考古学での縄文時代前期はどうだったのか?
ヲシテ文字は何に記していたのか? が、
ヲシテの文字の醸創期の時代への遡及に欠かせない考察になります。
そういったことから、
タナハタ(7月7日)の「カヂ(楮の一種)」に「ヲシ」の用例は注目されます。
Katiniosi
「カヂ(カチ)」の葉に「オシ(ヲシテ)」を記したと、
見て取れます。
𣑥(タク)や、梶の樹あるいは楮の樹の種類の事を詳しく調べますと、かなり、ややこしいので御座います。
木下武司さんの、『和漢古典植物名精解』(和泉書院)および『万葉植物文化誌』(八坂書房)がとても役立ちます。漢籍の調査から、専門の薬学の視点が面白いです。
それらの中で、
簡易な筆記方法として、今わたくしの試案として、
「タラヨウ」が考えられます。
主幹のそばの葉は、丸みを帯びてズングリ型です。
枝先に行くと、スマート型になります。
Tarayou1
「タラヨウ」は、漢字由来での今の呼び名ですが、
わが国に古くから自生していたようですから、
メモする樹の葉、として、活用されていたかも?
と、考えられます。 木の枝で文字が書けるのです。
それで、7月7日には、「タラヨウ」や𣑥や、梶の樹あるいは楮の樹の代表として、
「(カチ)カヂ」を主のお供え物として、「タナハタ」のお祭りに供したと考えて良いかも知れません。ヲシテ時代の「タラヨウ」の呼び名には、何か別名があったのかも知れません。つまり「カチ」と呼んでいたかも? とも、思ってみても良さそうなのですね。
漢字渡来後の用語の変遷については、
『和漢古典植物名精解』140ページ参照。
 
「タラヨウ」の花が咲きました。
Tarayou2
UPしてみます。
アリンコも来てました。
Tarayou3

漢字表記が2000年来にも国字として為されていますので、
殊更にも、混乱がひどくなったわけでしょう。
『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」が忘れられてしまったことも、
大きな原因です。
漢字以前の時代の我が国の大哲学を理解するには、
漢字流に、また「小日本」流に流されてしまいます。
 
「タチバナ」のこと、
日本に原産としたのは、『万葉植物文化誌』(木下武司、八坂書房)で、
(327ページ)評価できます。 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 

2017年4月27日 (木)

三石巌先生の『医学常識はウソだらけ』のこと。  追記、継体天皇のおキサキさまのご陵参拝の事。

三石巌先生のことは、夏井睦先生のご縁から知り得ました。
Mituisiiwao
             <祥伝社、黄金文庫>
今、女房が読んでいます所です。
女房も、三石巌先生の事、初耳だったそうです。
かなり、書籍も売れているのですが、わたくし達夫婦は、
まったく知らないでいました。
そう言う事からしましたら、『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」のこと、
世間の知識から、本当にまだまだ縁遠いのは事実です。
さて、三石巌先生は、
分子生物学の成立の初期から、注目しておられて、
三石巌先生の独自のアイデアを出して、
分子生物学の立ち上げ期にも貢献をなさっておられたとかです。
女房が、
ウチの食事は理想的だ。と、三石巌先生の『医学常識はウソだらけ』を読みながら、
言っていました。また、栄養やビタミンなど、摂取において個人差が大きい事は、
わたくし達夫婦にとって新知見でした。
三石先生の説で、1:100の個人差の開きがある、とのことです。
わたくしの通常の食事で、計算上はビタミンCは充分のようです。
それでもさらに、オーバーフローさせておいた方が、何かと良さそうです。
そこで、ビタミンC(アスコルビン酸)を余分に摂取してみようと、
一昨日まえから試みています。
続けるべきか? 続けざるべきか?
また、ビタミンCの摂取量の多寡は?
個人差が多いので、
自分自身で様子を見ながらの判定を付けてゆく事にしています。
               ・
三石巌先生の『医学常識はウソだらけ』で、
渡部昇一さんが推薦文を書いていました。
Bantou
                    <蟠桃です。扁平の実を付けます。
              山片蟠桃は、番頭さんだったことに、
              しゃれで、蟠桃とのペンネームを付けたようです。
              本当は、ヲシテ文献に「ミチミノモモ」(ホ24-25)が、
              由緒も正しく源流なのです、ね。(ホ15-45も参考)
              何でもChinaではなくて、
              我が国源流なのですね。
              鳥浜貝塚は12000年~5000年前ですよ!
              それと良く合致する、
              『ホツマ ツタヱ』など「ヲシテ文献」の記述!
              山片蟠桃にも知らせてやりたいところです。
              彼だったら、きっと間違いなく喜ぶことでしょうね。
              山片蟠桃はすぐれた人物だったと思います。
              骨董の世界でも、目明き3人、何とか千人。と言います>
近々に、渡部昇一さんの訃報を聞きました。
ご冥福をお祈りいたしております。
渡部昇一さんとは少しコンタクトも有りましたが、
『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」には、彼には、とても、敷居は高過ぎたようです。
10年ほど前の事で、相当高齢になってからですから、
彼、渡部昇一さんには無理だったと思われます。
紹介者も、理解が不足でしたから、さらにそう言う結果でした。
『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」は、
記紀の原書の位置です。
この構図の事ですが、
この、大きな構造的な意味を把握していないと、
マトモな紹介者とは成り得ません。
 
            ・     ・
 
昨日も、
「日月神事の丸に ・ の意味もすっきりと解釈できたことに驚き、コメントさせていただきました。
    ー中略ー
正直に申し上げますと、先生の考えているような古の日本を伝えるきっかけにしたいのです。
もちろん、先生のお考えの日本と私の考えている日本が同じ意味合いであることではないのも、常識として理解はしておりますので、ギリギリのところで、ご指導願えませんでしょうか? 
 
と、照会が来ましたが、
困ったレベルではあるまいか?
と、危惧を濃厚に感じました。
だって、初めっから、おっかしいのです。
思想体系がまったくのところ基盤さえもが食い違っている、
モノで、較べていて、「すっきりと理解できた」と言われても、
困っちゃいます。ヤボで薮睨みもいいところですね。
片や、「神がかり」。
こちらは、冷静で真摯な「記紀との比較対比」を根拠にする文献学です。
まったくのところ、乗っかっている土俵が違います。 

わたくしは、
記紀の原書の研究と、そのマトモな啓蒙を進めるのが仕事です。
偽書の「直訳偽書の秀真伝(しゅうしんでん)」との区別を図るのも仕事のうちです。
偽書の「カタカムナ」などの「神代文字」との区別を図るのも仕事のうちです。
神憑りに行き過ぎている「日月神事」などとの区別を図るのも仕事のうちです。
そう言った、明瞭に明らかにしてきている、
わたくしの立場のことが解かっているのかどうか?
『ホツマツタヱを読み解く』(池田満、展望社)をお読みください。と、まずは言及すべきでしょうか?
下手な紹介だと、偽書におとしめて広める事にもなりかねません。
それは、「ねずみ男」のレベルであって、「猿渡り」の「猿滑り」なのです。
困った事なので御座います。
 
そう、書籍には、解かり易いようにと、配慮もしつつ、
明瞭に説明をしております。
『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」の読み取りの高度な手法につきましては、
                 ・
そう言ったことなのですね。
つまり、「ギリギリのところ」と言われても、困っちゃうのですね。
わたくしの仕事は、
記紀の原書の研究と、そのマトモな啓蒙を進めるコトです。
つまり、おかしげの人たちとは、対峙する関係にあるわけです。
早く言えば敵対関係です。
もちろんのこと、
はじめには、親切丁寧に、手を携えるようなおみちびきを、
致しております。
でも、1~2年ぐらいでしょうか?
そこそこ、お付き合いが続きますと、自然にその目的とするところの、
理念・思想がお互いに解かってまいります。
それからが、本当のお付き合いになりますのでしょうね。
Kaminoke
          <髪の毛が生えてきたと、
           女房が、奇跡だと言っています。
           「糖質制限」のおかげです。 
           この写真なら、ちょっと見えますでしょうか?
           ダンスウェアのモニター条件で写した写真です。
           モニター価格で約3割引きでした。>
なお、
お医者さんにもさまざま居られるようです。
Natuisennseiburogu_3

 絵に描いたようはアホ医者によるアホ反論。食物繊維が海藻やキノコから十分に摂取できることを御存知ないらしい。

 食物繊維って穀物から摂取しないといけないの?」 です。
みなさま、お気を付け下さいますよう。

      ・     ・     ・

なおなお、
北朝鮮情勢などなど、まったく不透明で御座います。
もしもの際には、書きかけの原稿は、
四国の合田さま、「おシヅさま」と、
尊称を申し上げております。「おシヅさま」にあれこれと託して御座います。
未完の途中経過のあやふやを出して、
晩節を汚すことも困りますし、
かと言って、折角に心血そそいで思想を巡らしたものを、
みすみす世からゼロにと失う事も切ないからで御座います。
もしもの際には、よろしくお願い申し上げます。
 
 
              ・
 
― 追記 ―
初夏の風に誘われて、
継体天皇さまのおキサキの、
タシラカさまのご陵に詣でて参りました。
山の辺の道に、散策する人も多くて、結構賑やかでした。
Tasirakahime1
小高い丘の上から、
二上山が良く見えます。
Tasirakahime
さて、
もう少し上がった、
そこに、
本当のタシラカの皇女のご陵が有ったのではなかろうか?
歴史は、とても複雑で御座います。
無闇に薮こぎなどのように、
歩き回っておりました。結局は、よくも解からずじまいでした。
それでも、こんなところかと、綺麗なお山を拝礼させて頂けました。
Tasirakahime2_2

さて、
ここから、山並みのスロープを西に降りて行きますと、
大和神社、またさらに、
ずっとずっと行きますと、
安楽寺の、
孝霊天皇さんの黒田のイホト宮のところに至ります。
Ihodomiya2
クロタの地は、ヤマトの盆地の、
中心地だったと、そう言うようなご判断だったのでしょうか?
Ihodomiya1
以前は気にも掛からなかったのですが、
春から、初夏に至って、今日は、
何だか? ぺんぺん草様にも見えて、
入り口のアスファルトが美しく拭かれたのと対照に、
大きなギャップに、ちょっと写真UPしたくなりました。
Ihodomiya3
要の時代の孝霊天皇さまです。
ご高齢になられてから、富士山にもご登山になられての事、
かえすがえすも、現代にもお知らせしたいことで御座います。
またまた、
さらに、孝霊天皇さまのご事蹟のその数々も、
何か、現代に・未来にもっとアッピールしたと思います、
のは、
わたくしだけでしょうか?
やはり、
『古事記』『日本書紀』の記紀だけではなくて、
原書の『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」の、
正当な評価があってしかるべしだと、
わたくしは思って来てます。
そのうちには、
大きな奔流の流れにもなってまいりましょうね。
その時代まで、
大きな潮流にとなって来ます迄、
元気に長生きの事で御座います。
みなさま。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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