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2017年10月17日 (火)

反町茂雄さん『定本 天理図書館の善本稀書』

天理図書館に、ホツマツタヱの小笠原写本が収まっている事は、
佐々木信綱経由できているんでしたが、
その経緯も、反町茂雄さんの解説で良く解かりました。
そりまちさんと、正善(せいぜん)さんの深い同志の繋がりです。
 
Tennritosyokan
時を得て、人も得て、2代目の中山正善真柱の貴い人格もあって、
随分と苦労をなさって、その蒐集の成果だとわかりました。
あさってには、また、漱石展も有り拝見してまいります。
反町さんの人柄も、中山正善さんのお人柄も、そのお付き合いの感覚も、
同好の士の昵懇の交わりも良く解かりました。
同好の士というよりも、こころざしのもとの同志と言った方が適切だと思いました。
それにしても、
敗戦後の動乱の時期に、貴重な古書が散逸されずに、
おさまる所が出来た事を、わが国の秘宝の国外流失と散逸を防いでくれたこと、
じつに、万感胸に迫る所がありました。  
 
昭和21年ごろから、京都・大阪に東京から古書の買い出しに
反町さんが月に二回も来るわけですが、当時はお米券を持ってこないと、
旅館に泊まってもご飯が出ない。困った反町さんは、昵懇だった中山正善さんに、
御厄介になると、ご飯も、当時貴重なお酒もふるまって下さった。
ところがある日、京都で良い古書を手に入れて、天理に泊まったら、
顔が何となくほころんでいる。
正善さんから、何か獲物が有ったろう。出せ、出せ。と迫られる。
何にも良いものは無かった。
と言う、反町さんだが、顔のほころびは隠せない。
だせだせ、でないと、今日はこのまま帰れ、出てゆけと、言われる。
冬の寒空で、終電も無いのに、そんなむちゃな。
見せたら取り上げられちゃうでしょ。
と、反町さんは応戦するが、
あれよあれよのうちに、お酒のせいだ、
風呂敷包みはほどかれてしまい、
稀書を手に取って、ほー、っと言う正善さん。
やっぱり召し上げられてしまって、
お酒を恨む反町さんだった。
せめて、古書の販売の目録に載せてから、というのが、
反町さんの古書店の主の願いだった。

そういった、深い長いお付き合いのうえで、
天理図書館の蔵書は拡充していった。

なかでも、購入資金の事で、努力家だったのが、
正善さんだった。
奥さんのおあいさまが、お酒の席で洩らされたのが、
反町さんが来るとぞっとする、という事だった。
みんなお金を古書につぎ込むからだ、
とってもご苦労を為されたようだった。
 
そのおかげで、世界に冠たる充実した図書館が出来た。
日本のたからでもある。
 
 

 
 

 
 
 
 
 
 
 

2017年10月 2日 (月)

カタカムナの事や、他の偽書との区別の事。ヲシテ文献だけがマトモです。  審美眼を磨きましょうと、予言のビデオが総務省で作られていたそうです! ビックリです。ものの見事な的中だと思いました。

カタカムナはどうですか?
なんて聞かれました。
Tatihana
            <カクの実のタチハナが膨らんできました。
              香り良い実です>
Katakamuna
 
他の偽書類との区別を説明しておこうと思いました。
上記(うえつふみ)にしても、天津教文書(竹内文献)にしても、
カタカムナにしても、全部が偽書です。
 
Masakane

ただ、
50年前に発見された、『ホツマ ツタヱ』などヲシテ文献だけが、
記紀の原書としての確認が出来たのです。

ですから、
『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」と、
その他の偽書類とは厳密に区別をして下さい。
Gennbunn1
 
Gennbunn2

 
論証の書籍として、
『ホツマツタヱを読み解く』を出版しております。
基礎資料として、
『定本ホツマツタヱ』を出版しております。
参考書籍として、
『ホツマ辞典』を出版しております。
 
今書き始めております文章の幾つかをUPいたしました
 
直訳では、漢字以前のヲシテ時代への扉が開き得ないのです。
此処をお伝えせねば、わが国のすごい文明が哭きます。
アマテルカミの大哲学が判りません。
 
わが国の国学を、立て直して再構築をしなければと、
その思いがありますので、
原字原文派をわたくしは貫いてきております。
そして、理解者もここにきて多く輩出してきてくださいました。
もう、直訳文のおかしさにお気付き下さってくださいます。 
 

 
               ・
何と、大的中とは!
これはスゴイと思いました。
良く出来ている映像です。
おもしろいです。
ほんとに、総務省が作ったの?
そう、わたくしは疑問に思いました。
すごいです。
 
今は、不在者投票の制度の充実してきています。
わたくしども夫婦は、だいたい不在者投票です。
もう、30年近くなりましたが、
一二回程度だけ、即日投票に行きました。
日にちを規定されると、不足の事情も発生しやすいので、
期日前投票にと、ここ、10年以上の私たちの夫婦です。
期日前の投票が、とっても有効だと思います。

むかしは、その日の事情などの説明がうるさかったんですけれど、
いまは、だいぶ有権者に親切になりました。
有り難い事で御座います。

 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

2017年9月17日 (日)

古写本の展覧です。天理参考館。『日本書紀』・『古事記』や奈良絵本など、満載です。 追記、漱石展のこと。

『古事記』や『日本書紀』などの古い写本が特別展示されます。
Img151
特に、『日本書紀』の、この乾元本は、
鎌倉時代末期、嘉元元年(1303年)。
吉田家系の卜部兼夏の書写で、
装丁も上等の巻子本(かんすほん)です。
巻子の巻の直径は5cmよりは太そうです。
10cmにはオーバーしないようです。
こんな長い巻物にて、探そうとして、あの記事は、
どこに書いてあったのかなー  。
なんて、ぐるぐるやってたら、日が暮れます。
巻子本は、古い書籍の仕立て方です。
やっぱり、慣れている、
冊子の仕立ての、本の形式は有り難いですね。
ページ数でインデックスが作れます。
巻子本の時代はどうやっていたのでしょうか?
よほど、
わたくしたちよりも、頭の良い人が多かった時代なのかと、
そんな空想にも耽ります。
 
おそらくに思いましても、
ヲシテ時代は、巻物だということが真実でありましょう。
みんな、その当時には、グリグリグルグルと、グリグリグルグルと、
やっていたのでしょう。
それで、何とかなっていたというのは、
現代人の頭よりも、何倍か、上だったと、
わたくしは脱帽しています。
こういうように、推測して思っていまして、
ヲシテ時代の、アヤの実物の巻物のような物体がどうっだったのだろうか?
 
『日本書紀』の巻物の前で、
うろうろしていて、
また、
あっちに行ったり、ひょろひょろ戻ってきたり、
ウロウロしてました。
監視の担当の人は、
また戻って来た。
また、あっちに行った。
なんて思われたと、
今になって気が付いてきました。
でも、
日をあらためて、また、参ります。
明日かな?
主の疑問は、ヲシテの文章の記された巻物です。
発掘で出土してくれましたら、一発に、世上に展開です。
さあ、いつ、どうなるか?
縄文遺跡は西日本に少ないなんて、
ずーっと言われてきたけれど、
東名遺跡(ひがしみょう)の発見・発掘が起きたのは、
十年方々のことです。
まだ、妥当な評価には至っていません。
わが国は、ものすごい大文明だったのです。
貶めようとする人達が多いので、ご注意を願います。
 
ヲシテ時代に存在した文献のこと、
おそらくは、絹本のキヌ生地にヲシテの文章を、
一行12文字に、染めて、ぐるぐる巻きとって、
巻物の、巻子本の仕立てに為した。
これを、物体としての「アヤ」と表現したモノだろうと、
想像しています。
絹本(けんほん)から紙本(しほん)に、そう言う推移が有ったと、
考えてゆくのが妥当に思っています。
おそらく、絹本から紙本で10分の一のコストダウンかと…。
絹糸から作る絹本は美しいけれど、手間暇労力、高価になります。
紙本はそれに比べると安価です。
でも、美しさは劣ります。
今も昔も、ついえの多寡が物事を動かします。
水は高い方から、低い方に流れるのが原理です。
最初の頃は100円ショップなーんて思っていましたけれど、
このごろは私も重宝させてもらっています。
 
さて、
『古事記』の展示物の方は、
写本としての装丁もみすぼらしい感じが、
いなめませんでした。
室町頃だとか。
でも、最古から二番目だそうでした。
やっぱり、『古事記』は、
江戸中期以前には、ほとんど、見向きもされていないんですね。
『魏志倭人伝』も同様のランクの本です。これは敗戦後から持て囃されました。
Chinaのプロパガンダ以外の何物でもないです。
ここでの、『古事記』の写本の精緻さのクラスは低いです。
 
本居宣長が『古事記』をやるんだと、
そう宣言したら、
師匠の賀茂真淵から破門の宣告を食らいました。
ぜんぜん許してもらえません。
しょうがなくて、
宣長は、毎年、真淵の掛け軸を掛けて、
お祈りして謝罪をしていたんですね。
昨日も話したんですけれど、
真淵は国学の主流です。
そこから、宣長は破門されたのです。
一生悔やんでも、宣長は、わたくしのみるところ、
確信犯です。お商売っ気の方がたっていた。
そう見ています。
真淵の、本当に日本を大切に思う、
「国学」の主流からは、
破門扱いです。
 
八木書店さんの、
きわめて現代技術の精緻を持っての、
復刻の記念の展覧で御座います。
本物を一目見ておくのも、
目の栄養になります。 
 
また、
奈良絵本などは、現物を、
目にするのもむつかしいです。
Kotennseki2
 
落剝や劣化など、
棄損が激しいので、
天理図書館の館長さんでも、
この間初めて見せて貰えた。
と、言うほどの、
稀覯書(きこう しょ)です。
 
何べんでも入れる、フリーチケットもあるそうです。
きょうは、買いそびれてしまいました。
帰り際に、やっぱり、フリーチケットだった、
と、後悔しました。
いつも思うんですが、後悔先に立たず。
ことわざ通りで御座います。 
 
『類聚名義抄』も、観智院本の展覧を拝見できます。
 
Kotennseki  
台風の合間の事で御座いました。
これから、また、あれこれと、作業を続けてまいります。

 

 
― 追記 ―
10月には、天理図書館の方で、
夏目漱石展も展示されます。
あわせて、一緒にも見れます。
天理図書館と、天理参考館はすぐ近くですから、
どちらかに、車を止めておいて、
徒歩で移動も、モミヂを見ながら楽しそうです。
Img169
 
Img170
 
漱石、150年ですか。
現代作家のはじまりに近いですね。
勉強になります。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2017年8月30日 (水)

ビタミンCのこと、歯への酸蝕症の問題の回避の事。追記、夏目漱石の糖尿病対策の事。 三上山、最大の銅鐸の事。

健康関連で、
熟年ぐらいから、酵素類の活性が、どうしても落ちて来ることが、
解かってきています。
その対応で、最も有効なのが、
活性酸素からの防御に、抗酸化性の物質を、
多めに摂取しておくという事です。
代表選手が、ビタミンCです。
Yamatogawa
      <大和川にも、もう、アキ(秋)の雲が映っています。
       葛城山の山並みを望みます>
それで、
この間、2~3か月前から、
ビタミンCの、多い摂取を始めています。
Sudasii
         <ドングリ類でアクの少ないのがスダジイです>          
これを聞いた人も、
ぼちぼち初めて、とっても良く成って来たと、
その声も聴きます。
その一方で、
気になりますのが、
Simonogou
       <琵琶湖の湖東で、探訪。
       夏休みで、元気な小学生がガイドをしてくれました>
ビタミンCは、ちょこちょこと、
4時間おきぐらいに、摂取が良いとの事です。
それが、真面目にやると、
歯に対して、酸蝕症の悪影響が出やすくなります。
その過程で、回避は、わたくしはストローを使うようにしています。
この他、
やり方はいろいろあるようです。
カプセルに入れて飲むことをしている人も有るようです。
いずれにしましても、
歯の酸蝕症対策も、ビタミンC接種に関して、
お考え願います。
ちなみに、
ビタミンCの多めの摂取で、
わたくしは腕の肌が綺麗になりました。
Doutaku
   <日本最大の銅鐸です。つまり世界最大の銅鐸です。
    復元品なので、さわってもいいとの事でした。
    ちなみに、手の甲でコンコンやったら、良い音でした。
    野洲市の銅鐸博物館です>
お肌は、形成の過程からして、血管とも良く似ています。
つまり、血管も綺麗になってきているとも、
想像をしております所です。
Mikamiyama
        <右側のとんがりが三上山です。
         左のなだらかが、最大銅鐸の埋まっていた、
         大岩山です>    
約10万Kmもの、血管の隅々に、
若返りが及んでくるとしたら…。
血の巡りも良く成ります。
Mikamijinnjya2
     <御上神社の楼門では、武人が守ってくれていました。
      御上神社で主のお祭りの、
      アメミカゲさんは、アマテルカミの皇孫です。
       つまり、
       アマテルカミと西のおキサキさんの、
       ハヤアキツヒメさんのミコ(皇子)のアマツヒコネさんの、
        そのお子様であらせられます>
 
カナサキさんの、「これ み の うちの めくりよく」と、同意義です。
Yamahi
『ホツマツタヱ』の1アヤ6ページにあります。
よく、
通じる事で御座います。
みなさま、それでも、歯の酸蝕症にはご注意のほどを。
 
         ・       ・
 
追記
「糖質制限食」関連です。
夏目漱石が「厳重食」のやり方の恩恵を受けていたそうです。
「厳重食」とは、現在の「糖質制限食」とそっくりだったのです!
これ程もの、近々の事柄でも、
もう、忘却の彼方だったとは!  と、
思わず空を見上げるばかりでした。
なお、
現代の「糖質制限食」の開祖の釜池豊秋先生の、
『糖尿病の新常識 糖質ゼロの食事術』(実業之日本社)
を、再読していましたら、
原理から、志から、編み出されてこられた動機から、
思うところ、共感深く感じました。
でも、予防的な方法には、
「なんちゃって糖質制限」程度の食事方法が、より有効であると、
わたくしは考えています。
糖尿病になる以前に、
予防的対策として、
「糖質制限食」は、とても有効で、
糖尿病の合併症を生涯に於いて防ぐことが出来ます。
糖尿病の合併症からは、失明にもなります。
また、膨大な医療費の削減にもなります。
透析の費用だけでも、莫大です。
老化は、どうしても避けられないものですが、
スローエイジングは、人生にとってしあわせでありましょう。
それが、
得られるかどうか?
解かるかどうか?
です。
百歳で、ぴんぴんしていて、
日本中を旅行している未来を想像してみて下さい。


 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 

2017年8月26日 (土)

ケントさんの新著『ついに「愛国心」のタブーから解き放たれる日本人』と、日本文明の神髄の事。

ケントさんの、「日本文明論」。
 Kento1
とても興味深いです。
進駐軍の「WGIP」の方策が解かりやすく、
米国人の本音が読み取り易いです。
そのうえで、
わが国の特異な高度さに付いて、
『万葉集』から説き起こして、
正鵠に近い理解が示されています。
       ・        ・
さて、「正鵠に近い」と表現しましたのは、
新規発見の、『古事記』『日本書紀』の原書の、
『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」の、
その研究成果についてが、
未見であるという事を指摘させてもらう事が出来るからです。
とは申しましても、
『万葉集』に遡及してわが国を理解してこようとは、
ケントさんは、とても秀逸です。 
と言いますのは、
江戸時代の古文書だけを読んで「日本文明論」を展開している、
人も居たりもしますが、あきらかに、近世視点からしか観点を持たない、
うすら寒さを、わたくしは背筋に感じたのでした。
その、ランクと比較しましたら、
雲泥の差で、雲の上にとケントさんは顔を出しています。
米国出身にして、あっぱれと称賛したいことで御座います。 
                        ・ 
さて、
『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」の研究からは、
多くの事柄が見えてまいります。
文章の表現の経時変化も見て取れます。
経時変化とは、つまり、文法の発展・発達の事にも、
言い換えることも出来ます。
解かり易い例があります。
『ミカサフミ ナメコトのアヤ』と、
同内容の記されている、
『トシウチニナスコトのアヤ』との比較対比です。
Tosiuti1
この比較表は、昭和55年(1980)の頃に書いていたものです。
わたくしの書くヲシテ文字にも、時代変遷が見て取れます。
つまり、私の25歳のころの記述のヲシテ文字です。
62-25=37。なので、37年前にさかのぼる訳でした。
ちょっと、拙い感じがします。
さて、ヲシテの文章のその比較の差から、
何が読み取れるか?
文章表現が、同内容箇所の主文のタマキネさんと、
『ミカサフミ ナメコトのアヤ』(上段)の独自文と、
『トシウチニナスコトのアヤ』(下段)の独自文と、
この三者について、明らかに文章の綴るスタイルが違います。
要するに、これは、時代変化がここにあらわれていると、
わたくしは気が付きました。
さて、
7代アマカミ、イサナギ・イサナミさんの、一世代前のタマキネさん
(アマテルカミの祖父にあたる、トヨケカミ)が、
「トシウチ」の同内容箇所の主文の作成者です。
誦述なのか、記述だったのか?
子細は判断に迷うところです。
でも、
『ミカサフミ ナメコトのアヤ』独自文と、
『トシウチニナスコトのアヤ』の独自文と、
それぞれ文章のスタイルに違いがあります。
ちょうど、
7代アマカミ、イサナギ・イサナミさんの時代に、
5・7調の文章形態が正調として整った趨勢が有りました。
その、一世代前がタマキネさんです。
そして、
『ミカサフミ ナメコトのアヤ』独自文のシガのカミ(カナサキさんの親戚)と、
『トシウチニナスコトのアヤ』の独自文のオモヒカネ(アマテルカミの重臣)と、
タマキネさんから受け継いだ時代の人が記述をしたわけです。
5・7調の整えられてくる時代の雰囲気がこの3者の比較表から、
漂って香ってまいりますのを、わたくしは覚えていました。
 
           ・      ・      ・ 
 
こうして、『古事記』『日本書紀』の原書の、
『ホツマツタヱ』など「ヲシテ文献」にも、
視点を広げてまいりますと、
米国人の視点に見る「愛国心」とは、
もっと違った深くて長い歴史のわが文明に根差した、
歴史との密着性がヲシテ時代からあるわけです。
「トのヲシヱ」の何たるか?
つまり、
立憲君主国家の、縄文時代前期頃からの、
このわが国の成り立ちに付いての理解が、
今、喫緊の必要性を持っていると、
わたくしは、切実に感じる訳です。
そして、わが縄文文明の真骨頂の「トのヲシヱ」とは、
「トホカミヱヒタメ」の自然哲学の理解無しには、
マトモな理解には到達し得ないのです。
それには『ミカサフミ ナメコトのアヤ』や『トシウチニナスコトのアヤ』の、
理解が大前提となる訳です。
でも、
その前には、
『ホツマツタヱ』の基礎知識の習得が必然的に基礎としてあります。
おおよそ、『ホツマ辞典』を熟読頂けましたら、
おおよその基礎知識はご理解頂けるはずです。
そして、
「トのヲシヱ」の精神が、
現在の皇室に受け継がれてきていた事が、
理解されてくるはずです。
その、年月は、
驚くことに、少なくとも6000年は連綿と続いてきているのです。
くわしい論考は、
『ホツマ ツタヱを読み解く』(池田満、展望社)にまとめてあります。
 
 
 
 
 

 
 
 
 

 
 

 
 
 
 
 
 

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